第18話:羊飼いと船大工
教会歴五六九年九月(十歳)
「レオナルド様、このヒツジは乳を搾るやつなの」
山羊を飼う役目を与えたロアマ人の子供が質問してきた。
「ちょっと違うけど、乳を搾るための動物なのは確かだよ」
「なにがちょっと違うのですか、レオナルド様」
一緒に売られていた父親の奴隷が少し怯えながら質問してきた。
下手に質問して体罰を加えられるのも怖いが、聞かずに大きな失敗をして殺されてしまう事を恐れているのだろう。
俺が買い取る前の主人は典型的なランゴバルド人だったのかもしれない。
それにしても、ロアマ人なのにヒツジとヤギの違いも分からないのか。
労働奴隷として売られていたそうだが、もしかしたら何か技術を持っているのか。
全ての奴隷から直接話を聞けないから、契約書に書いてあることしか分からない。
「これはヒツジではなくヤギなのだ」
「え、こんなヤギは見た事がありません」
「そうか、ああ、そうかもしれないな。
俺達は色んな所を移動して暮らしてきたから、ここでは知られていない、初めて見るヤギやヒツジもいるのだろう。
別にヤギでもヒツジでも構わない、ちゃんと世話してくれたらな」
俺は子供への刺激を考えて優しく話したが、親の方は顔が引きつっている。
俺達がイタリアに攻め込む前からいろんな場所に行って略奪の限りを尽くし、自分達が知らない珍しい山羊や羊を奪ってきたと理解できたのだろう。
もしかしたら、俺達がオーク王国に侵攻した時に奪ってきた山羊だと思って、自分が体験した事のある死と流血の現場を思い出したのかもしれない。
この男の妻は性奴隷として前の主人の所に残っていると聞いている。
奴隷として攫われた時の悔しさと恐ろしさを思い出したのかもしれない。
「はい、必ずご命令通りに育てさせていただきます」
自分の事だけでなく、子供の事も心配なのだろう。
俺の表面上に優しさに騙されて、子供が失礼な言動を取る事を極端に恐れている。
俺がどれほど優しい言動を取ろうと、獲物を狙うような厳しい目で近衛騎士達が見ているから、小便をちびりそうになるくらい怖いのだろう。
奴隷達の本音を知り、忠誠心を勝ち取るためには、護衛を外す方がいいのだが、王や他氏族からの刺客を考えると、どうしても護衛が必要になる。
しかたがなかったとはいえ、手柄を立てて目立ち過ぎてしまった。
「そんなに怖がらなくてもいい、それよりも聞きたい事がある」
「なんでしょうか、レオナルド様」
「ヤギとヒツジの違いが判らなかったようだが、前は何の仕事をしていたのだ」
「船大工をしておりました」
「船大工だと、一流の職人ではないか、何故単純労働の奴隷とされたのだ」
「私はモンファルコーネで船大工をしていたのですが、貴方達がアクイレイアが攻められた時に、ちょうど妻の実家のあるアクイレイアにいたのです。
捕らえられて船大工だと言ったのですが、信じてもらえませんでした。
妻と引き離されて、子供と二人でヒツジの世話をさせられました。
一年ほどはそのまま子供とヒツジの世話をしていたのですが、急に一緒に逃げろと命じられ、また戻れと言われ、今度はいらなくなったから売ると言われました。
一生懸命働かせていただきますので、子供と一緒に働かせてください」
子供を想って懇願する姿が痛々しい。
今回売られた時も、子供と引き離されて売られる心配をしていたのだろう。
実際に妻と引き離されてしまっているから、当然の心配だ。
まだ幼い子供が別々に売られる事になったら、生きて行ける確率は低い。
役に立たないと判断したら、簡単に殺してしまうのがランゴバルド人だ。
いや、ロアマ人も年老いた奴隷を中州に捨てて餓死させている。
俺達ランゴバルド人だけが非難されるいわれはない。
「分かった、お前の言葉に嘘がなく、俺の役に立ってくれるのなら、絶対に子供と引き離さないと約束してやろう。
それどころか、奴隷から従属民に地位を引き上げてやってもいい」
「本当でございますか」
「ああ、本当だ、俺はこの国の次期公王だからな、約束した事は必ず守る。
だがそれは、お前の言葉に嘘がなく、約束を守るならばだ、どうだ、嘘はないな」
「ありません、嘘などついていません」
「では、船大工だというのは本当なのだな、ロアマ帝国のガレー船を造れるのだな」
「お待ちください、レオナルド様。
私は船大工だとは申し上げましたが、ガレー船を造れるとは申しておりません」
「ふむ、ガレー船は造った事がないのか」
「はい、ガレー船はローマや南部で造られる船で、モンファルコーネではもっと小型の漁船や商船しか造っていませんでした」
「漁船だけでなく、商船も造っていたのだな」
「はい、造っておりました」
「だったら今から湖で使う船の造船所に行ってもらおう。
今作っている船と比べて、もっと大きな船を建造できるというのなら、お前を船大工の親方にしてやる、どうだ」
「おねがいします、どうかやらせてください」
俺は船大工を名乗る父親と子供を連れて造船所に行った。
実際に大工仕事をさせてみたが、父親の言葉に嘘はなく、腕のいい船大工だった。
ロアマ帝国がエジプト遠征やイタリア遠征に使ったガレー船には及ばないが、湖で造られていた漁船とは比較にならない大型船を建造できそうだ。
新たに得た海の船大工を総親方にして、造船所に資金と労働力を投入する。
今はまだ海に面した場所に領地はないが、いずれ手に入れる時の事を考えて、事前に人材を準備しておくと決めた。
今回の件があって、奴隷に対する正確な聞き取りを命じた。
分家ら戦士階級はもちろん、彼らが抱える古くからの従属民も信じられない。
俺に対して含むところがあるわけではなく、思想と価値観が違うのだ。
遊牧を何よりも大切に考える騎馬民族に、農業や商業を中心にした価値観を直ぐに理解させるのは無理なのだ。
海を渡って別の国や民族と商売をして利益を得る事は、彼らの想像力の遥か彼方にあって、まったく理解できないのだ。
だから、俺と俺が新たに登用した元奴隷で、新たに購入した奴隷の聞き取り調査を行ったのだが、契約書を読むだけでは分からなかった事がたくさん分かった。
少数ではあるが、俺の領地繁栄政策に使える人材を得ることができた。
それと少なくない数の人材も得ることができた。
特別な技術はなくても、数人から数十人の指揮をとれる人材がいたのだ。
軍人としての指揮能力ではなく、農民としての指導能力があればいいのだ。
彼らを得たお陰で、一〇〇人単位の新たな開拓村を数多く作ることができた。
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