#46
大会も終わり、ゴールデンウィークも終わり、学校行事として考査も終わった。
ようやく一段落、溜まった疲れを抜くためにゴロゴロと自堕落な生活を、と、いきたいところだが、愛理さんにテスト負けたのと大会に勝ったご褒美をあげなければならない。
「耳かきでもするか?」
「舐めてもいいんですよ」
「俺がやると思って言っているのか?」
多分愛理さんは俺が耳舐めしても文句は言わないだろう。
ただまあなんか傍から見たら異様な光景にしか見えないだろうという想像が嫌悪感を抱かせる。
取り合えず竹耳かきを持ってきた。
「膝枕!」
「硬いだろ……」
「いいんです」
愛理さんが太ももに頭を乗っけて、体を横にして、俺の腹のほうに顔を向けた。
間違って奥まで入れてしまわないか心配になるが、心配になりすぎてミスをしてはいけないので平常心を保ちながら竹耳かきを耳の中に入れた。
「んにゃぁ……」
「スライムみたいになってないか」
「もにゅぁ……」
愛理さんが余計な力を入れないから変に動かさなくていいのは楽だが……
少し悪戯したくなったが、怪我をさせてしまいそうなのでやめた。
「こっち終わったぞ」
「……んへぇ?」
反対側をやろうにも愛理さんの瞼が落ちかけ、ボーっとしていて動く気がないようなので、耳に息を吹きかけた。
「ひぅっ」
愛理さんの体はビクッと反応して、そのまま愛理さんは体を起こした。
これまで見せたことのないぐらいの反応をした。
「び、びっくりしたぁ……」
本当に驚いたのか敬語がなくなっている。
「ほら、反対側やるぞ」
「……はい!」
潔く返事をした後、体を反対側に持って行き、相変わらず俺の腹のほうに体を向けてくる。
若干腹に顔を擦りつけてくるのが少し癖になりそうだ。
こちらも終わりもう一度耳に息を吹きかけた。
「ひゃぁっ」
相変わらず乙女のような声を出して反応するのでついからかってしまいそうになる。
「いじわるですね!」
「耳かき以外にも何かしてやろうかと思ったが、そんなことを言うならやめるか」
「樹さんは優しいですね!」
あまりにも綺麗な手のひら返し。
しかし言ったはいいものの、勢いで言ったため、特に何かしようと考えていたわけではない。
「……なにも考えてなかったんですね?」
「はい、その通りでございます」
体を起こした愛理さんは一瞬ムスッと頬を膨らませた顔を見せてきたがすぐに笑顔に変わった。
俺の膝を跨いでその上に乗っかり抱き着いてきた。
ここは俺も腕を背中にまわすべきなのかと考えそうした。
「樹さんエネルギーが充電される」
「なんだそr……!?」
俺が言葉を言い切る前に唇を塞がれてしまった。
それも手で顎を無理矢理開けようとしてくるあたり舌を入れようとしているのだろう。
昔愛理さんが強引にキスしようとしてきたときが懐かしい。
あの時も同じだった。
あの時と違うのは俺が拒否しないことかもしれない。
思ったよりも長かった……
一度終わり理性の箍が外れる前に逃げてしまおうかと頭の中で考えるだけの時間はあった。
しかしそれを実行するまでの時間は俺になかった。
そのまま二度目が三度目が……と続き、途中から諦めてしまった。
「樹さん顔真っ赤ですね」
「愛理さんもだぞ」
「もう一回します?」
「もう勘弁してくれ」
酸欠で脳が真っ白なのか、はたまた幸福感で馬鹿になって頭が真っ白になったのかは分からないが、これ以上したら気絶してしまいそうだ。
「ディープキスした後に何にも考えられなくなるの最高にエロくて好きです」
「そうだな……」
愛理さんが分かるかは分からないが、その後相手のことが色っぽく見えてしまう。
愛理さんのことを考えていると体の中から何かが滾る。
何故かいつもは上手くいく制御ができない。
「ちょっと自室に……」
ソファーを立ち離れようとすると、腕を掴まれてしまった。
これ以上愛理さんの横にいたらまずいと、残り僅かな理性が脳に警告を出している。
「愛理さん、離してくれないか?」
「もうちょっと一緒にいましょうよ」
頭を撫でて、愛理さんの額に口づけをすると、あっさりと手を離した。
手を離したというよりは、自然と力の抜ける感じだった。
部屋に逃げ込んでまず壁に思いっきり頭を打ち付けた。
「っ……はぁ……」
痛みで頭の中の煩悩を取り払った気がする。
ただまだ痛みより欲求のほうが強くて、愛理さんの顔が脳にちらついてくる。
少し椅子にもたれかかって落ち着かせると、また一つ機会を失ってしまったと、後悔した。
「あとでまた色々と言われそうだなぁ……」
愛理さんにヘタレだとか意気地なしだとか事実を突きつけられるに違いない。
もう愛理さんのことを雪姫雪花のことを推しとして見れていない。
勿論雪姫雪花としての活動を応援したいという気持ちは変わらない。
だがそれとは恐らく違う。
俺の中で何度も言い聞かせてきたはずだったが、残りの空席ももうないだろう。
半年も一緒に過ごしてきて、このままの関係値がいいと思っていたが、それももう崩れかかっている。
だというのに、俺の理性なのか、それとも根底にある意識なのかは分からないが、愛理さんとの距離を取ろうとしてしまう。
「はぁ……ん!?」
突如扉からゴンッと何か重そうなもので殴った音が聞こえてきた。
一回だけでは終わらず何度も叩きつけられた。
「あ、愛理さん?」
取り合えず扉を少し開けて、その隙間から覗いて見ると愛理さんが立っていた。
「早く出てきてもらっていいですか?」
「は、はい……」
大人しく扉を開けようとした瞬間、なぜ扉を叩く時に重い音が聞こえてきたのかと頭の中で疑問が湧いた。
視点を愛理さんの顔からゆっくりと下へと移すと、愛理さんの手には何か黒い筒のような物があった。
一見してみるとマットをしまうための筒に見えたが、他に一つ思い出した物がある。
何故そんなものを持っているのかは分からないが、特殊部隊が扉を開ける時に使っていた物に見える。
「愛理さんそれはどこに置いていたんだ」
「内緒です♪」
「意気揚々と言われても困るんだが」
愛理さんの言動には慣れてきたと思っていたが、まず慣れるという思考を捨てて置くほうが慣れるより早いのかもしれない。
こう何度も驚かされると、諦めたほうが早いのでは?と思ってしまう。
「これ置いてくるので、樹さんはリビングに戻っていてくださいね」
満面の笑みと手に持っている黒い筒を見せられ、命令までされては俺は逆らえるはずもない。
リビングに戻り、ソファにもたれかかっていると、愛理さんの顔が現れた。
「ヘタレさん」
「名前までヘタレになるのか」
そう言いながら俺はソファから滑り落ちるながらそのまま土下座の体勢に変えた。
「私がそれで許すと思っています?」
「これで勘弁してください」
「樹さんが土下座してくれるのは珍しいので許します」
愛理さんに土下座を見せることは、紀里に見せることより少ないはず。
まあ紀里の場合、無理矢理土下座させられることは多々あったが。
「顔を上げてください」
顔を上げると目の前に愛理さんの顔があった。
いつ見ても綺麗で可愛らしい。
一言で言ってしまえば清楚なんだろうが、あまりにも言動が清楚とは真逆の方向に突っ走ってしまっているので、見た目しか清楚とは言えないだろう。
「もう一度惚れてしまいそうだな」
「一生惚れててください。まあ惚れてなくても逃がしはしませんけど」
まあ多分俺は愛理さんからも、雪上家からも、そして父さんからも逃げられないので、一生惚れていなくてはならない。
逃げるという考えを持つことすら愚かと言われるだろうな。
まあ恐らく愛理さんに一生惚れているだろうから、そんな考えは持たないだろうが。
「さて、逃げた樹さんには何かお仕置きが必要ですかね」
「なんでもはしないぞ」
「お酒でも飲ませましょうか?」
「酔わせようとするな」
俺を酔わせて思考判断能力を低下させられたら、本当に逃げた意味がなくなる。
「昼ご飯と夕ご飯作ってください」
「そんなことでいいのか?」
「あ、もっと過激なのがいいですか?」
「いや、いいです」
愛理さんにしては珍しく軽い要求だった。
取り合えず、もう昼ご飯を作り始める時間としては丁度いいので、冷蔵庫の中身を確認した。
「あまりないな」
「明日買い出しに行くので……」
「適当に作るか」
冷蔵庫の中から適当に野菜と肉を引っ張り出して炒めて味を付ければ、簡単で美味い肉野菜炒めの出来上がり。
愛理さんと一緒に暮らす前は、これともやし炒めのどちらかで一週間の飯が決まっていたと言っても過言ではない。
盛り付けて、昼ご飯は完成した。
「肉野菜炒めで負けるのはなんか癪ですね」
「何を競ってたんだ……」
「樹さんの料理毎日食べたーい」
「愛理さんみたいにバリエーションがあるわけでもないし、簡単で適当なのしか作れないぞ」
「家庭料理ってどちらかって言うとそういうのじゃないですか?」
愛理さんの料理も家庭料理ではあるが、適当というか怠けている部分が見えてこないのが大きな違いなのかもしれないな。
レシピ本に乗っている料理をそのまま出してくる感じだな。
それに対して俺のはレシピ本に乗っている材料は一緒だが、味付けが違ったり、分量が適当だったり、下処理が雑、途中の過程が消えている、だから味がばらついたりする。
「愛理さんも雑に作ればいいだろ」
「それで真っ黒な混沌が出てきたらどうします?」
「料理ができないやつはレシピ通りに作ってもできないから愛理さんは大丈夫だろ」
「……味悪くなって樹さんが食べなくなったら嫌ですもん」
「それはないから安心してくれ」
「本当ですかー?」
まあ本当に真っ黒な混沌が出てきたら、一度悩むかもしれないが、普通の料理である以上は美味いと思って食べる。
「まあでも今まで通り作りますよーそっちの方が慣れてますし」
「なんか毎日作らせるのも悪いと思うな」
「え、じゃあ代わりに作ります?」
愛理さんの代わりに飯を作り始めたら時間がなくなる。
寝る前か朝起きてから朝ごはんと弁当を作って、夕飯の下ごしらえをするなど、一人の人がするべきことではない。
まあそれを愛理さんにやらせてしまっているのが俺なのだが。
俺にやれと言われても一生手抜きで終わってしまう。
なんなら弁当とか冷凍食品だらけになるぞ。
弁当の中身が手作り料理なのは、本当に感激した。
「せめて分担にしないか?」
「樹さんの手料理食べたいのに……」
「今、食べてるだろ」
「毎日がいいです!」
「俺だって毎日愛理さんの手料理が食べたい。それに、朝起きたら飯ができてて、昼も手料理で、夜も帰ったら飯ができてるのが、ありがたすぎる」
まあそのおかげで、俺は段々と怠慢への道を歩んでいるような気がする。
いやすでに手遅れかもしれない。
その事が当たり前のように感じ、普段何も思わず、流れるがまま生活をしている。
一度立ち止まって考えなければ、気づけないぐらいには。
「しばらくは毎日作ってあげますけど、今日の夜は作ってくださいね♪」
見るからに気分が良くなったので、しばらくはこの生活が続いてくれそうだ。
昼飯も食べ終わり、愛理さんのご機嫌取りのために俺が片づけをしていた。
「この後どうする?」
「樹さんが私に甘えてくることを求めます」
「……一緒に何か見るか」
「じゃあ見たいのあるので、それ見ましょう!」
後片付けも終わった。
それからは、久しぶりにテレビを付けて、サブスク配信から愛理さんの見たいものを探して、一緒に見た。
そういえば、愛理さんと生活するようになってアニメ見ることが少なくなったな。
見るとしてもこうして愛理さんと一緒に見るだけだ。
「なんかああいう青春の甘酸っぱい恋愛っていいですよね」
「俺たちも青春真っ只中なんだがな」
「学校でしか会えない経験とかなかったですもんねー」
「まあそれでいうとお互いVtuberだったのが、それに当たるんじゃないか?」
「言われてみれば」
俺と愛理さんは画面の中のVtuberの姿しか知らないが、それでも互いのことを推していた。
そして多少なり会えないもどかしさはあったかもしれない。
「一緒に暮らしてるから、性欲が前に出てこないんですか?」
「そういうわけじゃないが」
「まあ答えがどうであれ今の私達に別居しろって言われても無理な話ですけどね」
もう互いに離れられない共依存になってしまっているのだろう。
「千郷さんとか見てるとああいう恋愛もありだったなぁって」
「まあ高校生にしてはちょっと特殊か」
「まあだからこそ高校生らしく……」
「愛理さん……固執するのはなぜだ?」
愛理さんは、顔を下げ、少しの沈黙の間が開けると顔を上げた。
「正直今となってはどうでもいいのかもしれないですね。私が樹さんのことを求める理由は……逃がしたくなかったからですもん」
「……なるほどな」
多分恐らく、既成事実を作るか、俺を愛理さんという存在に体も精神も依存させようとしているのだろう。
「樹さん以外好きになったことがないし、私の直感が樹さんを逃がしたら駄目だと。多分これから先、ここまで相性が良くて、気が合って、私を純粋に愛してくれる人はいない。だから私は樹さんが私から離れるのが怖かったんですよね」
「思ったより重い」という言葉が喉の先まで来ていたが、無理矢理戻した。
俺の周り恋愛関係重いやつ多くないか?
「ま、まあこれから先愛理さんから離れることはないから安心して諦めてくれ」
「でも、樹さんと一緒に暮らす上で体が樹さんを求めてしょうがないんですよね。まあ凛斗さんの時もなんで……もしかしなくても逃がすどうこう以前の問題かもしれないですけど」
「……じゃあ次の愛理さんの誕生日だな」
「遠いです。却下」
「じゃあ……」
他になにかあげるために存在する日があったか思い出せない。
「樹さんの誕生日とか」
「近すぎるな」
もう来月だな。
半年から一か月前まで日を早めるなんて冗談だと思いたい。
「じゃあ、樹さんと幼馴染さんの関係値見たら」
「ちなみに基準は……」
「……喋ったら?」
「うん、確定だな」
「じゃあ、手を繋いだら」
それも確定なんだよなぁと心の中で思った。
あいつは距離感の掴み具合は丁度いいが、普通に手は握ってくる。
せめてもう少し基準値を下げてもらいたいものだが……
多分本当に愛理さんは俺と喋っているだけで、嫉妬してしまいそうなので、これ以上基準値が下がることはないだろう。
「本当に樹さんってヘタレですよねー」
「はい」
「何かもう少し樹さんに選択の余地を与えないほうがいいんですかね」
「俺に訊かれても困るぞ」
そのうち本当に選択する権利がなくなる日が来るかもしれない。
まあそんな日が来たら、諦めるしかないのだろう。
それからの生活が気まずいように思えるが、それが愛理さんの望んだ結果というのならば仕方がないのかもしれない。
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