#8

 俺は風呂から上がり服を着てから冷静さを取り戻すために何も考えずソファーに座った。


「暑い。何か飲むか」


 そこまでエアコンの温度は上げてないはずなんだがなあ。

 今確認してみても26度設定になっている。

 水道から水をコップに汲んで飲んでみると少し暑さが和らいだ。


「あぁ……愛理さん怖え」


 実際配信でもなかなかにやばかったがこう現実にしてみると尚更その恐怖を感じることになった。

 もう今日は勘弁してほしいんだが……

 愛理さんのことだから許してくれるはずもないだろう。


「お互い配信を見ていたことでお互いのことを良く分かっているとはいえ普通ここまで距離が縮まることはないよな」


 この間が初対面だというのに今ではここまで距離が縮まっている。

 俺としてはもう少し適切な距離を保ちたいが愛理さんがグイグイ迫ってくる。

 愛理さんには恥じらいという言葉はないのか?

 さっきなんかは躊躇なくバスタオルを取っていたからな。


「はあ……もう少し教育のなった人間に……」


「はいはい、教育のなっていない人間ですよ」


「いつ上がった?」


「ついさっきですが?」


「いやなんというか……」


「すみませんね。こんな教育のなっていない人間が許嫁で」


 頬を膨らませて不満そうにしている愛理さんがそこに居た。


「あれ?樹さん顔が赤いですよ?」


「ん?ああ、たぶん少しのぼせたんだろう」


「大丈夫ですか?」


「誰のせいだと思っているんだ。誰のせいだと……」


「あはは……すみません。さっきのはちょっと調子に乗りすぎました」


「そうか。反省したのならいいんだ」


 意外にも反省はしていた。

 愛理さんのことだからこれに追い打ちをかけるようにからかってくるのかと思っていたんだが。

 度が過ぎていたと自分で思っているのならそれでいい。

 お互いに黙って気まずくなった。


「静かですね」


「そうか?俺には少し五月蝿いようにも思えるがな」


「樹さんはいつも独りなんですか?」


「そういう愛理さんはどうなんだ?」


「私?私はそうですね~家にはお父さんやお母さん。他にも使用人とか大勢の人が居て静かになることはなかったです」


「そうか……俺とは真逆の生活をしていたんだな」


 俺は以前の家でのことを頭に思い浮かべた。

 あの家での思い出はほとんど一切ない。まず家族全員が揃うことは数年に一度だけ。父さんはいつでも帰ってこられるが問題は母さんだ。

 基本母さんは海外に行って仕事をしていると聞いている。実際のところは全く分からない。

 その中で家族全員が揃うこともなく月日が流れて行った。

 それがあの家での出来事だと、そういうしかない。


「寂しかったんですか?両親とも会えずに」


「いいや。寂しいと思ってもあの家……いやあの家族では意味がないからな」


「そうですか…………これからは私が付いてますよ」


 頼もしいな愛理さんは。

 まだお互いのことを完全に知り切ったわけではない。

 ただネットで互いのことを見ていただけだ。

 それでも互いという存在はこれから大切になってくる。そう思うからこそ知っていきたいと今思った。


「そうは言ってもさっきのようなことはするなよ?」


「ど、努力します……」


「その言葉信用ならないんだけど……」


「ま、まあ?今日一緒に寝るんですし~?その時何もなければ~信用してくれてもいいんじゃないんですか?」


「やっぱり一緒に寝るのは諦めるか。まだ部屋は余っているし」


「部屋は余っているのは事実ですが一緒に寝たいです!おそ……一緒に寝たいです!」


「言い直しても無駄だぞ」


 俺は愛理さんを引っ張って寝室へ運んだ。

 もう言葉じゃ何も通じなさそうだ。


「へ?ま、まさか……」


「そんなわけあるか」


「ちょっと?どこに行くんです?」


 俺は部屋を出て勢いよく扉を閉めた。

 少しは反省しているといいんだが。

 そう思いながらもリビングを通り自室に向かった。


「しかし移動だけでも面倒だな」


 自室がある廊下の四部屋だけでなくリビングを少し行ったところにも何部屋かあるため寝室はその中の一部屋を使っている。

 そのせいで中々に広いリビングを移動しないといけないため疲れる。


「やっぱり隣の部屋を寝室にしたほうが良かったか?」


 そっちの方が楽なんだがな。

 愛理さんがリビングの横の部屋がいいというため仕方がなくそうした。

 何かこだわりでもあるのか?

 俺がそんなことを考えていると突如俺の前に愛理さんの顔が来た。


「なんだ?音も立てずに」


「何で驚かないんですか?期待してたのに……」


「それはそれは。期待に応えられず申し訳ありませんでした」


「なんです?その言い方はぁ。それよりもです!なんで一緒に寝てくれないんですか?訴えますよ」


「訴えてなになる。そして一緒に寝ない理由だが風呂であんなことがあったら普通は断ると思うが?」


「それでもです!私楽しみにしてたんです!樹さんと一緒に寝ること」


 俺は呆れてため息をつきながらも愛理さんを部屋から追い出した。

 まったく世話の焼けるやつだ。

 そう思いながら部屋の鍵を閉めて愛理さんが勝手に入ってこられないようにした。

 もう少ししたら寝付いているだろうし様子ぐらいは見に行くか。

 そう思って部屋の中でしばらく過ごした。









 大体三時間が経ち俺は飲み物を飲むついでに愛理さんの様子を窺うことにした。

 寝ているといいんだが……

 そう思い扉を開けようと引っ張ったときに違和感を感じた。


「おい……まさかじゃないよな?」


 そう思いゆっくりと開いてみると扉を背にして寝ていた愛理さんがいた。

 愛理さんが頭を打たないよう俺はしっかりと支えた。


「愛理さん?起きたらどうだ?」


「ふぇ?…………あれ?私……」


「はあ……一回顔を洗ってこい。折角の顔が台無しだぞ」


 愛理さんは泣いていたのか目元が赤くなっていた。

 流石に悪いことをしたな。

 愛理さんが顔を洗っている間にリビングへ行き体が温まるようお茶を入れ暖房をつけた。


「すみません……」


「いいから座れ」


 愛理さんは隣に座ってきた。


「すまなかった……ちゃんと愛理さんの気持ちも考えないといけなかったな」


「いえ、勝手にあそこに居て泣いていた私が悪いんです」


 仕方がない……

 慰めようと謝罪の意味も込めて頭を撫でた。


「え?」


「駄目だったか?」


「……えっと、いいえ。暖かくて大きい手のおかげかなんだか心が休まります」


「そうか……」


「胸に頭預けてもいいですか?」


「……いいぞ」


 この際だから仕方がない。

 愛理さんがゆっくりと頭を持ってきてぽすっと俺の胸に預けた。

 今思うようなことじゃないかもしれないが愛理さんは小動物のような愛らしさと可愛さがあるな。


「あ~良かったです。樹さんに嫌われちゃったのかと思いました」


「そんなはずはないだろう?少し扱いがあれだったが……」


「まさか共同生活初日にしてこんなことが起きるとは思ってもいなかったですよ」


「そうだな……」


「……かといって離れたくはないです。何故か嫌なので」


「一緒だな」


 愛理さんと離れるのは何故かはわからないが、とても心苦しい。

 本当だったらもう少し適切な距離を持ってだんだんと縮めていくのが正解だろう。

 これが今だけなのかこれからもなのかはわからないがそばに居たい、と思う。


「もう少しゆっくりと距離を縮めるのが正解だったんだろうな」


「そうですね……やっぱり推しという存在は暴走の種になってしまいますね」


「フッ……そうだな」


「あっ!ちょっと笑った!」


「ん?そんなことはないぞ?」


「そんなはずはないです!いつも笑わないのですぐわかりました!」


 下から少しムスッとした顔で指を指してくるので不覚にも可愛いと思ってしまった。

 推しの存在は大きいな。


「ちょっと?手が止まってますよ」


「はいはい、すみませんねお嬢様」


「樹さんが使用人に……ハッ!お嬢様と使用人の禁断の恋愛が……」


「何を言っているんだか……」


 俺たちの距離はこれぐらいがちょうどいい。

 これ以上近くても遠くても何か違う。

 今はこのぐらいがちょうどいい。


「そういえば樹さん興味ありましたよね?触ります?私のおっp――――――」


「馬鹿なことを言ってないで寝るぞ」


「え!?一緒にですか?」


「この期に及んで一緒に寝ない男がいるか」


「触らなくていいんですか?」


「次言ったら一緒に寝ないぞ?」


「えぇ!嫌です。ごめんなさい」


 先に愛理さんには寝室へ行ってもらいこの部屋の暖房を切ってコップを片付け寝室へと向かった。


「ん?何をやっているんだ?」


「?……普通に座ってるだけですけど」


 部屋に入るとベットの上でちょこんと女の子座りしていた。

 俺はてっきり布団の中に入っているものだとばかり思っていた。


「そんなことより早く早く」


 愛理さんは布団の中へと潜っていった。

 はあ……何この可愛いの。

 可愛いということが知れた気がする。

 愛理さんが手招きしているので俺も愛理さんに背を向けるように布団の中へ潜った。


「ドキドキしますね」


 モゾモゾと布団が動いたと思ったら愛理さんが抱き着いてきた。

 や、柔っ……

 愛理さんの胸が当たり余計ドキドキしてしまう。


「あぁーやっぱり駄目です。恥ずかしすぎますこんなの」


 そう言うと手を放し抱き着くのをやめた。

 あー心臓に悪い。愛理さん容姿良いからな……

 普通の女子にされてもこうなるだろうが美少女である愛理さんとなると尚更だ。


「い、樹さ~ん?だ、抱き着いてくれてもいいんですよぉ?」


 仕方ない……

 何か望んでいるような口調でそう言われたうえにさっきのこともあるから愛理さんのほうを向き、


「え?あ、いや……じょ、冗談ですよ?アハハ?」


 愛理さんの後ろに手をまわし抱き着いた。


「はわわわわわ……い、樹さんふぁ積極的にぃいい」


「駄目か?」


「そ、そんなことないですぅぅ~」


 少し低めのねだるような声で言ってみると愛理さんは溶けてしまった。


「ち、ちなみになんですけど~『大好きだ』とか『愛してる』とかってサービスにあります?」


 サービスというあたりちゃっかりしてるな。

 要望に応えるべく俺は、


「愛してるぞ。愛理」


「……」


「お、おーい?愛理さん?」


「ハッ!あっちで誰かが手を振って」


「戻ってきたな」


 ちょっとやりすぎたか?

 愛理さんの顔がだらしなくなっている。


「結論。樹さんはエロい」


「何を言っているんだ?」


「駄目ですってあんな声。……その~今日寝るまででいいのでその声で喋ってください」


「いいぞ。愛理さんには申し訳ないことをしたからな」


「寝るまででいいので、できれば呼び捨てにしてください」


「愛理」


 俺の腕の中で愛理さんは魂が抜けてしまったようだ。

 もう少し愛理さんが好きそうな声にしてみるか。


「愛理。さっきのとこっちどっちがいい?」


「あ、あ、あ、こっちでぇ~おにぇがいしましゅ~」


「何かしてもらいたいことはあるか?」


「も、もう充分です~」


 十分なのか。そうか。

 なんでもしようと思っていたんだがな。勿論常識の範囲内でな。

 からかうつもりで軽くフッっと耳に息を吹きかけてみた。


「み゛ゅ~樹さんそろそろ私の理性が」


「理性を失ってもいいんだぞ?甘々に溶かしてやるから」


 ふざけたつもりだったんだが……

 愛理さんの様子がおかしい。


「ハァハァ……落ち着け私……」


 俺は愛理さんの頭にチョップを入れた。


「早く寝ろ」


「ふぁ~い」


 まったく本当に厄介な奴だ。

 寝息を立て愛理さんが寝たことを確認してから俺も続いて寝た。




 〈愛里視点〉


 フハハハ、樹さんしっかり騙されてる。

 私は寝たふりをして樹さんが寝るのを待っていた。

 こんな無防備な姿なかなか見ることはできないから寝たふりをしてみれば行けると思ったのが正解だった。


「ん?……え、やば……」


 寝顔がやばいとにかくやばい。

 いつもはあんなにきれいな顔立ちのくせに無表情で隙を見せないような感じなのに無防備になったと思ったら落ち着いたように寝息を立てて寝ている姿がとんでもなくかわいい。

 お風呂の時もそうだけど樹さん意外と……

 ところで私、抱き枕にされてるよね?

 最初は普通に頭を撫でて抱き着いてくれたと思っていたけど今は完全に抱き枕にされている。


「まあこれもありなんだけど」


 樹さんに包まれていて興奮しなくもない。

 あったけぇ……


「ぐへへ、へ、へ……へ?」


「寝ろ」


 樹さんに頭を掴まれて無理矢理、布団の中に押し込まれた。

 乱暴されるのもいい。

 というか樹さんさっきまで普通に寝てた気が……


「樹さん寝てませんでした?」


「ああ、寝てたぞ。でもなこんなに近い距離で普通の声で喋られれば起きると思うぞ」


「はあ……勿体ない」


「いいから寝ろ。部屋から出てくぞ」


「あぁ、それはやめてください」


「じゃあ黙ってさっさと寝ろ。明日は学校だぞ」


「はい……」


 樹さん眠り浅い……

 もう少し深かったらあんなことやこんなことだってできたはずなのに……

 樹さんは抱き着くのをやめ背を向けてしまった。

 もう少し楽しめたら良かったのになあー樹さんは冷たいなー

 まあこれ以上何かしてもすぐに起きて寝ろと指図されるだけなので大人しく寝ることにした。

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