第6話 理沙の想い

 掃除当番を終え、荷物をまとめて帰ろうとすると、校舎の前で何やら人だかりができている。何か事件でも起きたのか? すると、何やら揉めているような声がその人だかりの中から聞こえて来る。あれ、あの声は原井? なぜ原井がこの集団の中心で大声を上げているんだ?


 あたしはちょっと気になって、人だかりをかき分けていくと、その中心に原井と理沙、一郎、そして理沙の所属する料理部のメンバーたちが睨み合っていた。あたしは混乱した。なぜ、ここに理沙が? しかも、原井とこんな場所で出会ってしまうなんて。だが、どうも原井が理沙に告白をしたという状況でもなさそうだ。告白というより、もっと何か深刻な問題が起きているように見える。あたしは思わず彼らの前に躍り出た。


「ちょっと、原井、なにやってんの? なんで理沙ここに来てるの? 一郎まで一緒だし。どういう状況よ」


とあたしが尋ねると、原井は驚いた顔であたしの方を振り返った。


「え? お前、因幡と知り合い?」


「そうだけど。あんたたち、いったいここで何やってる訳?」


「そんなこと知らねぇよ。こいつがいきなり押しかけてきたから話をしていただけだし。とりあえず、お前ら二人には教えといてやるよ」


そう言って原井はあたしと理沙に向かってニヤつきながら話し出した。その内容は聞くに堪えない、腸の煮えくり返るようなものだった。


「この因幡一郎ってやつ、中学の時、俺のこと好きだったんだぜ。本当に引くよなぁ。ホモとか、なんでこの世に存在するのって感じじゃね? 気持ち悪すぎだろ。男のくせに男が好き、とかまじでありえねぇし。そのせいで、こいつ、中学の時ずっといじめられてたんだぜ。まあ、でもいじめられて当然だよな。こんなキモいやつ、生きてる価値ないもんな」


一郎は特に気の置けない友人ではない。しかも、今回の浮気騒動の発端となったあたしの恋敵だ。正直、レズビアンのことに興味はあるけれど、ゲイの事情に然したる興味はない。だが、この原井の言葉は許せなかった。同性愛者に対する世間一般の考えなんてこんなものだ。こうやって馬鹿にし、コケにし、蔑んで見下すやつらばかりだ。そんなやつらとこの原井も何ら変わらない。そんなやつが寄りにも寄ってあたしの大切な理沙に手を出そうとしている。あたしは思わず原井を張り飛ばした。


「あんた、最低! あんたこそ生きてる価値ないわ。さっさと消えろ、クズ野郎!」


あたしは怒りに任せて怒鳴り散らすと、倒れ込んだ原井を置いて先へどんどん歩いて行った。後ろから料理部の部員たちがぞろぞろついて来る。




 あたしは学校が見えない場所まで来ると、


「あたしの高校まで来るなんてどういうつもり?」


と、理沙たちを問い正した。理沙はおずおずと事情を説明した。あたしの理沙への想いを一郎から聞かされ、改心したんですと! あたしのことがやっぱり誰よりも好きなんだって。その気持ちをあたしに伝えるために、わざわざあたしの高校にまで乗り込んで来たんだって。そこで、偶然、原井に遭遇したと。あたしは内心嬉しかったが、どうも理沙を前に素直になれなかった。


「ふうん。で、あたしとの関係を続けたいって?」


「ごめんなさい! でも、遥とは別れたくないの・・・」


「あたしは、理沙のお婿さんにはなれないし、あんたと子どもも作れない。あたしたち、付き合っていても今までずっと隠れてデートしてきた。だって、それはあたしもあんたも両方女だから。どちらかが男だったらどう? 堂々と手を繋いで外を歩ける。結婚もできる。子どもだって作ろうと思えば可能性がある。全然、あたしなんかと付き合うより、男と付き合った方が理沙にとっていいじゃない」


あたしは感情の高ぶるままにそう理沙を攻め立てた。と、理沙が言葉を失って涙を流している姿を見た時、あたしは思わずたじろいだ。さすがに言いすぎたか・・・。一郎があたしたち二人の間に割って入った。


「ちょっと待ってください。僕、遥さんに頼まれた通り、ちゃんとりっちゃんと話をしました。りっちゃん、僕とじゃなくて遥さんと一緒にいたいって、その時僕に言っていたんです。だから、りっちゃんが好きなのは僕じゃなくて遥さんなんです」


「一郎との関係がなくたって、理沙が男が好きになれるっていうんだから、また別の男と付き合えばいいだけじゃない。わざわざ女しか好きになれないビアンのあたしを笑いに来たわけ?」


あたしはそう言いながらも少しずつ後悔の念に苛まれていた。あまりにも「異性を好きになった」という点に執着し過ぎて、理沙の本当の気持ちに向き合うことが出来ていないのはあたしの方じゃないか。理沙を責めるばかりで、傷つけて。同性愛やら異性愛やらの問題は置いておいて、今のあたしは理沙の「恋人」としてどうなんだ。


「そんなことしないよ。わたしは遥をそんな風に笑ったりしない。」


そう言うなり、理沙は料理部員全員の眼前であたしにキスをした。あたしは不意打ちを食らい、思わず理沙を引き離した。


「ちょっと、路上で何してんのよ!」


「遥がわたしと堂々とデートできないのがコンプレックスなら、もう隠すことしないから」


「はぁ? 何言ってんの?」


「わたし、遥がわたしのこと信じてくれるまで、帰らないから」


理沙・・・。理沙はあたし以上に、外でデートすることに気を配っていたはずだ。あたしと手を繋ぐこともせず、一定の距離を常に保って外を歩いていた。そんな理沙が、この公道のど真ん中で、あたしにキスをした。あたしが、同性を好きであることをここまでコンプレックスにしているがゆえに。理沙はあたしのことを想ってくれているんだ。


 何だかんだ、男の一郎に心を動かされたかもしれないけれど、最終的にあたしの元に戻って来てくれたんだ。異性である一郎ではなく、同性であるあたしを選んでくれたんだ。その本気をここで見せてくれたんだ。あたしの先ほどまでの悶々とした想いがすっと水に溶け出すようになくなっていくのがわかった。


「わ、わかったよ。あんたがそこまで言うなら、もう一度あんたを信じてみるから。でも、もう二度と男なんかに浮気しないで。いや、女でも嫌だけどさ・・・。次、浮気されたら、あたしはあんたのことを信じ続ける自信はないよ」


「はい。わかりました。もう絶対に浮気はしません」


と、理沙はあたしを真っ直ぐに見据えて言った。その目に嘘はなさそうだった。あたしはやっと自分の心に正直になることができた。




「そういえば、一郎って原井と中学の同級生だったの? 一郎と中学時代何があったっていうの?」


気分の落ち着いたあたしはふと気になっていたことを一郎に聞いてみた。


「はい。中学校の同級生でした。僕、あいつのことが中学時代に好きだったんです。だから、ずっといつも一緒にいたくて追い回してた。そのせいで、同級生にホモだってからかわれて。それからしばらくして、今度は廉也自身がいじめる側に回って、僕のことをホモだオカマだっていじめるようになっていったんです」


「あの人なんですね。好きだった人にいじめられたって言っていたの」


と料理部員の一人が一郎に話を振ると、一郎は頷いた。あたしの中に原井に対する怒りが再び沸々と湧き上がってきた。


「何それ。あいつ最低じゃん。あいつ、あたしのクラスメートなんだ。それに、実は、一郎にこの前話した、理沙のことを狙ってる男って、あいつのことなんだ」


理沙を含めた料理部員全員が驚いた顔をした。


「わたし、あんな人と付き合うの絶対嫌。わたしには遥がいるし、遥よりあんな人がいいなんて死んでも思わない。今のわたしには遥しかいないの!」


理沙がそう叫んだ。よかった・・・。理沙はやっぱりあたしのことを誰よりも愛してくれていたんだ。


「理沙、それ本当だよね? あたし、理沙が一郎のことを好きになったって聞いて、理沙が男もイケるんだってことを知った。そんな時に、あの原井が理沙のことが好きになったって聞いて、あいつに理沙を盗られたらどうしようってずっと考えていたんだ」


「そんなわけないでしょ! 男だから女だからという理由でわたしは好きな人を決めてないよ。それに、わたしはバイといってもビアン寄りだから、基本は女の子が好きだよ。でも、女の子でも合う人と合わない人がいる。それは男の人が相手でも同じだよ。だから、あの人に告白されてもわたし、断るから。いや、どんな人でも遥がわたしの彼女でいてくれる限り断るけど・・・。とりあえず、ゲイのこと、それに一郎先輩のことをあんな風に言うなんて許せない。」


理沙は顔を高揚させ、口角泡を飛ばして怒った。そんな理沙がとてつもなく愛おしく感じたあたしは、理沙を静かに抱きしめた。あたしも嫉妬に狂って理沙を傷つけたんだ。恋人としてきちんと謝らなければ。あたしの心に初めてそんな気持ちが芽生えた。


「あたしも、ちょっとどうかしちゃっていたわ。そうだよね。恋愛って男か女かの前に、その人の人となりによって決まるものだものね。あたしだってどんなに可愛い女の子でも、好きになれない子もいる。それは、バイのあんたも一緒ってことだよね」


「うん・・・」


「理沙、ごめんなさい。あたし、感情的になってあんたを傷つけるようなことを・・・」


「いいの。わたしこそ、ふらふら浮気心を起こして事の発端を作ったんだから。遥、好きよ。これからもわたしを愛して」


「うん。もちろんだよ。これからもあたしはあんたのことがずっと好きだから」


あたしたちは抱き合ったまま静かにキスを交わした。

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