下
さてやってきました水族館。
「ペンギンショーなんかが見れないのは残念だが、それでも十分楽しめるだろう。」
そう言って神崎が入っていく。
カラオケ店と変わらず受付なんかはいない。何もせずに中へ入っていくのはやはり新鮮だ。
「ところで、柳は魚は好きなのか?」
あー、どうだろうか。
「うーん…いや、大して好きと言うわけではないな。だが水族館は好きだ。なんというか、幻想的な雰囲気があるだろう?」
「あー、わかるわかる。薄暗い水色の空間なんてなかなかないもんな。」
「そうだ。それに、魚も見たら見たで面白い。」
そんな他愛のない話をしつつ館内へ。
最初に見れるのは近海の魚らしい。
かなり大きな水槽に小さい魚から大きい魚まで、多くの魚が泳いでいる。
「おお、すげえな。水族館なんて長い間行ってなかったから、ちょっと感動する。」
神崎が横で子供のように目を輝かせている。やはりこいつは可愛い。
「小さい魚って不思議だよなぁ、こんだけ大量にいるのに殆どの魚が同じ行動を取る。」
「そう言われると不思議だな。だか、この魚からしてみたら、人間のように大きく外れた行動を取る奴のいる種族の方が不思議なんだろうな。」
「…そうかもしれない。」
神崎はなんだか神妙な顔つきになって頷く。
が、すぐに表情は元に戻り騒ぎ出す。
「おいおいサメだぞあれ!でっか!すげぇ!」
本当に子供みたいだな…
いや確かにすごいんだけども。
「なんでデカイ生き物ってこんな神秘的なんだろうな。」
「神秘的…か?怖いだけなんだが。」
適当に歩きながら、興味があるものがあれば足を止めて見るというのを繰り返す。
「お、見ろ柳チンアナゴだぞ。」
「本当だ。可愛いなチンアナゴ。」
「ところでなんでこいつチンアナゴなんて名前つけられたんだろうな。」
「ちんこに似てたからじゃないか?」
「お前さぁ…どうなのそれは。恥じらいを持てよ恥じらいを。」
「こんなことを言わせようだなんて…鬼畜の所業だな神崎。セクハラだぞ。」
「ええ…」
「おい見ろ柳ペンギンだぞ。」
「本当だ。可愛いなペンギン。」
「いやまで柳、あいつの口をよく見てみろ。」
「じーっ…えこっわ。超怖い何あれ。」
「あいつのかわいらしい外見に騙されちゃあいけねぇぜ。なかなかに恐ろしいものを持ってる。」
「こうしちゃいられないな。早く全国の子供達にペンギンの口内の写真をばら撒かなければ。」
「いや子ども達は騙しててあげよう?現実見せるには早いよ?」
「なあ見てくれ柳。」
「どうしたんだ。」
「あれカニか?エビか?どっちだ…?」
「おいおいそんなのもわからないのか神崎。まだまだだな。…どっちだ…?」
「いやわかってないじゃねぇか。」
「いやわかりづらすぎる。もっとどっちかの特徴を激しく主張してくれ。」
「うん?いや冷静に考えてカニってあんな脚じゃなくね?エビだろ。」
「やっと気づいたか。私はとっくの昔に気付いていたがな。」
「本当か…?」
「見ろ柳クラゲだ。」
「本当だ。綺麗だなクラゲ。」
「お前の方が綺麗だぞ。」
「ふぇっ…?」
「いや冗談だけど…そんな可愛い反応する?…って痛い痛い痛いつねるなやめてくれごめんなさい。」
「むー…」
「ところでクラゲって漢字にすると海の月なんだよな。生意気にもカッコいいと思わないか?」
「クラゲのくせに。」
「あれなんか機嫌悪い?」
最後にもう一度でかい水槽が見たいと神崎が言ったので、もう一度見にきたのだが。
「なあ、俺の見間違いじゃなければダイバーさんいない?」
「いや安心しろ私にもそう見える。」
最近の水族館に人間も展示されているとかじゃなければ従業員がいるんだが。なぜなのか。
あ、こっちに気づいたっぽい。
ジェスチャーで何かを伝えようとしている。
あれは…
「『ちょっと待っててくれ』か?」
神崎が私より先に口に出す。
「っぽいな。」
ダイバーさんが上に上がっていったので、水槽を見ながら待つ。
待つこと5分くらい。
「お待たせしましたー!」
「あ、どうも、お疲れ様です。」
「お疲れ様です。」
神崎に続いて私も労いの言葉をかける。
「いやあまさか最後の日にお客さんが来てくれるとは思いませんでしたよ。」
「こちらこそ最後の日に水族館で働いている人がいるとは思いませんでしたよ。」
「なんでこんな時まで働いてるんです?」
気になったので質問する。
「うーん…好きなんですよ、魚が。なによりも。」
「なる、ほど…」
いいなぁ、と、そう思ってしまう。
生まれてこの方、何事にも変え難いほど好きなものはなかった。
3度の飯に勝るものすらなかった。
或いは、もしそんなものがあったら今神崎とデートなんてしていなかったかもしれないが。
「いいですね、そういうの。」
「あなた方は、そんなのは無いのですか?」
「俺は、ないですねぇ。あったらこんなところにはいないと思いますし。」
私と似たようなことを考える男だ。
「私も同じですね。」
「そうですか。見つかるといいですね!」
この後死ぬことなんて微塵も感じさせないほどの明るい笑顔でそう返してくれるダイバーさん。
「そうですねぇ、では私たちはこの辺で。」
「さようなら、ダイバーさん。」
私はなんとも言えない心持ちでこの場を去るのだった。
「さ、公園に行こうか。」
◆
流石に公園にはカップルや子連れの家族がポツポツと居たので、一番人のこなさそうなところに行く。
場所を移すと、神崎はすぐに草の上に寝転がる。
ちなみに公園というのはちっちゃい滑り台とブランコだけ置いてあるポツンとしたところではなく、自然公園のようなしっかりした所だ。
「お前も寝転がったらどうだ。」
「髪も崩れるし、服も汚れるだろう?」
「…これから死ぬってのに、気にする必要があるのか?」
「君は女心がわかってないなぁ。女の子はいつだって、す…」
あ、れ…?私、今…
「なんだ?」
「…いや、なんでもない。とにかく、そんなんじゃモテないぞ。」
「おっと、そりゃ困る。」
おちゃらけた気の抜けた返事だが、それが私の心を整えてくれる。
…うん、気のせいだろう。
「なあ、柳。」
「なんだ神崎。」
「名前で呼んでいいか?」
「…いいけど。」
「よかった。」
「ねぇそういうのって普通流れで自然となるもんじゃないの?直接言われるとかなり恥ずかしいんだけど…」
「え、そうなのか?悪いな、人付き合いとか碌にしたことなくて。」
いやそんな返しされたらこっちが申し訳なくなってくるんだけど…
というか実際私も流れで名前呼びなんてなったことないわ…あっても初対面からだわ…
「あーいや、まあ、いいんだけどさ。」
「あ、風香なんか口調が女子高生らしくなってる。」
…ぐ、名前がかなり照れ臭い。
「…そんなこといいだろう、なんだって。」
こっちもなんか恥ずかしい…むむむ、イラつく。
「まあいいけども。…ところで、膝枕してくれないか?」
「へ?…なんて?」
聞き間違いか?
「いやだから、膝枕してくれないか?」
いったい何を言い出すんだこの男は。
「ば、馬鹿じゃないの!?」
「うーん、ダメか。」
神崎は悲しそうな表情で目を閉じる。
…くぅ〜、そんな顔されたら…
私は草の上で正座をして、膝をパンパンと叩く。
神崎は音に反応して目を開き、言う。
「え、いいのか?」
「見りゃわかるでしょ…!」
あーもう何してんだろ私。超恥ずかしい。
顔が熱い、絶対赤くなってる。
「それじゃあ失礼して…よっと。」
私の膝に頭を乗せてくる。神崎の温もりが伝わってきて、なんとも言えない心地よさを感じる。
「おぉ〜これは…」
「…何よ。」
「結構なお手前で。」
「いやどういうことよ…」
「いやあ気持ちいい気持ちいい、いい枕だ。」
「なんか神崎調子乗ってない?」
「神崎?」
「…ゆ、夕陽。…って!やっぱり調子に乗ってる!」
絶対最初とキャラ違うじゃん!
「まあまあ落ち着けよ。」
何こいつちょーイラつくんですけど。
「にしても、そっちの口調の方が可愛くていいぞ?」
あ…また戻ってた…
「…ふんっ。あっそ。」
もうわかると思うが、私の素の口調はこっちである。
なんか異性と話すのが気恥ずかしくて変になってだけだ。
「なあ、俺も膝枕してみたいんだが、やってみていいか?」
「まあ、いいわよ。」
どうせ私もしたのだ。されるのも大した違いはないだろう。
「さっ、どうぞどうぞ。」
「んっ、よいしょっと。」
夕日の膝に頭を乗せる。
「あ〜…これ、確かにいいわね。」
「だろう?」
少し恥ずかしいけど、それ以上に落ち着く。
「よし、頭も撫でなさい。」
「いいだろう。」
髪の流れに沿って優しく頭を撫でてくれる。
「って、おい、大丈夫か?」
「へ?な、何が?」
少し慌てたような様子で夕陽が聞いてくる。
「いや、涙が…」
「涙?って、あ…なんで…?」
言われて初めて気づく。
私の瞳から涙が流れ落ちてくることに。
いったいどうしたと言うのか。私にもわからない。
夕陽は私が落ち着くまでの間、あやすように優しく頭を撫で続けてくれた。
涙が収まり、日が傾いてきた頃、夕陽が言う。
「もう5時前だな。そろそろ俺が言っていた場所に移るとしようか。」
あと1時間で地球が終わるなんて、想像もつかない。
◆
20分ほど車を走らせてたどり着いた場所は、なんとも幻想的な岬だった。
水平線の先には沈みかけの太陽が見え、あたりをオレンジ色に照らしている。
さらに、潮風が気持ちよく体に当たり、すこし涼しいくらいのちょうどいい気温。
素晴らしい、死ぬには絶好の場所だ。
「いい場所ね。」
「ああ、そうだろう。…でも、実は俺もここにきたのは初めてなんだがな。」
「?そうなの?」
ってきり何度か来たことがあるのかと。
「あぁ。
…ところで、少し俺の話を聞いてもらってもいいか?」
「ええ、もちろん。」
「俺は、物心ついた時から両親から虐待を受けていた。今じゃあ痕は大して残っていないが、当時の俺はもう生気を失っていた。まあ当然の話ではあるが。…最低な親だろう?」
「…そうね。」
思ったよりも辛い話のようだ。
私の親は優しかった分、余計にそう感じる。
「なんとかしてそんな状況を打破したが、親戚の引き取り手も見つからず…これもなかなかおかしな話だな。ともかく、これは児童養護施設…まあ孤児院で育てられることになった。
孤児院もあまり良い環境のところではなくて、高校卒業後に援助をもらうのも厳しそうだったから、中学の時は新聞配達、高校の時はバイト漬けだったなぁ。」
っ、だから人付き合いが少なかったのね。
「だが、そんな高校時代でも1人だけ友達ができたんだ。最期まで名前で呼ぶことは出来なかったけどな。」
…その言い方だと、まるで————
「気のいいやつだった。俺にも明るく接してくれて、勉強まで教えてくれて…夏休み中たまに空いた日にはそいつと遊びに行ったりもした。まあちょろっと公園行ったり、駄弁ったりしたくらいだが。けど…ある日、突然そいつは自殺した。」
「…っ」
話を聞くだけでも辛い。なのに、夕陽の顔を見るともっと辛くなる。今にも泣き出しそうな顔をしているのだ。
「どうやら親に虐待を受けていたらしい。俺は自分を恨んだ。なんで気づけなかったんだと。俺が一番気づけた筈だろうが、と。
それから、人との関わりは最低限にしてきた。碌な思い出がないんだ、こうなっても仕方ないと思わないか?」
「っ…うん。」
「で、高校卒業と同時に就職して、下っ端だけど正社員として懸命に働いてきて…今に至ると、そういうわけだ。」
私の人生も、なかなか過酷なものだと思っていたが、目の前の夕陽に比べれば、そんな大層なものではなかった。
きっと、私が想像できないほど頑張ってきたんだろう。
そう思うと、体が勝手に動いた。
「っ…風香?」
気がつくと、私は夕陽の頭を胸に抱き寄せていた。
特に言葉が出てくるでもない。ただ、撫で続けた。
「ふう…か…ぐっ…ぅぅ…」
「いいよ、泣いていいよ。」
ついさっきしてもらったように、あやすように頭を撫でる。
「…わ、るいな。自分でも、なんで突然話そうと思ったかわからないんだが…」
「いいのよ。べつに。」
辛かっただろう、辛かった筈だ。親からは虐待、周囲大人たちは自分を引き取ってくれず、孤児院すらいい環境ではない。やっとの思いでできた友人すらも失くなってしまう。
こんな報われない人生であっていい筈がない。
なのに…なのに…
自分の考えすらも纏まらなくなってくる。
「ねぇ、夕陽。ちょっとだけ、私の話も聞いて?」
「ぅ…ああ。」
「…私は7歳の頃まではなんの不自由もなく暮らしてきた。親は優しかったし、周りにも友達が沢山いた。
けど、私が小学校に通ってる時に、私の両親が死んでしまったの。
私の両親は2人とも同じ会社で働いていたんだけど、その会社が放火事件にあった。その時に…。
その後、普通だったら祖父母に引き取ってもらうんだけど、父方も母方もどっちも亡くなってて、他の親戚の間でたらい回しにされた。
その時にいろんな人を見たなあ。
やっと私を引き取っても問題ないほどの経済環境の家に引き渡されたんだけど、引き取ってくれた人の妻が私のことをよく思わなかったみたいで、色々あって離れた学校の近くで一人暮らし。そして、今。そんな感じ。」
「風、香も、大変…だな。」
泣きながら、辿々しい口調で返してくれる。
「大変だったよ。もちろん、夕陽に比べればなんてことはないような話だけど。」
「っ、そんなことはない。」
「…ありがとう。」
心が温かくなる。
「そう、私も大変だったから、少しはわかるよ。夕陽の気持ちも。」
「ありが、とう。ありがとう、本当に。理解者がいることで、こんなに気持ちが軽くなるなんて思わなかった。」
「そっか、役に立てたならよかったよ。」
「それで…そう、まだ話の続きなんだ。」
「あ、ごめんね、遮っちゃって。」
「それで、つい先日、地球が終わるって、そう広まった。こんな意味のない人生で終わるのかって、悲しくなって、気を紛らわすために外に出たんだが、そこで、風香に会った。まさか仁王立ちで車を止めてくるとは思わなかったが。」
「あはは…」
乾いた笑いがでる。
「そして、風香とちょっと話して、今まで経験したことがないような、胸の高鳴りを感じたんだ。」
…え?突然何?
「恋愛経験なんてなかったから、それが恋なのかなんなのかサッパリ分からなくて。どうしようか考えていたら、風香から誘われた。」
…ちょっとまって
「そのあとデートっぽいこともしてみて、沢山話して、確信が持てた。」
「俺は、あなたに一目惚れしました。付き合ってください。」
なんとか胸の奥底に閉じ込めたままにしておこうとした感情が、溢れ出す。
涙を堰き止めていたものは瓦解し、即座に涙が流れてくる。
…もう隠すことはできない。出会ってたったの6時間と少ししか立っていないが、どうしようも無く好きだ。目の前の男が、神崎夕陽が。
しかし、好きだからこそ、悲しいどうしようもない現実を受け止められない。
あと数十分で死んでしまうと。その事実が。
なぜこうも上手くいかないのか。私たちが幸せになることを世界が拒み続けるのか。
ようやく見つけた、何事にも変え難いほど好きな人が、運命という2文字で離れていくのか。
でも、それでも…そんなこと以上に、嬉しい。幸せでいっぱいになる。
初恋の相手が、自分にこうも熱烈に想いを伝えてくれることが。
夕陽が私たちを照らし、風が髪を靡かせるロマンチックな状況で告白されることが。
…だから、返事はひとつしかない。
目は赤くなり、涙でぐしゃぐしゃの顔だが、なんとか笑顔を作り出す。
そして、言う。
「はい、喜んで!」
————
以上でおしまいです。
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地球最後の日、その少女は恋を知る。 Nanashi @yuito0209
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