≪KK-04 -世界に一つだけのふたり- 4/4≫
「ど、どうしたの」
「大丈夫、大丈夫です。聞いてます、ちゃんと聞いてますから。……続けてください、お願いします」
驚く小須戸に、みさをは涙を手で拭いながら、いいから。と続きを促す。
「『ただ我々は例年通りの発熱の患者さんをきちっと診ていくということなんで、いつも通り来ている人はきちっと診ていくんですね、皆。それはもう自分の責務だと皆思っていますから、皆の健康を守るために。ただそこにコロナが入ってきているのでどう考えるかというところを理解していただきたい。やっぱり1人の医師で1人の看護師でやっているところもあるわけで、そこにいろんなことを課せられると、できなくなることもあるということをご理解いただきたいということであります。』」
みさをが鼻をかむ。小須戸は読み上げを続ける。
「『保健所の職員も現場で起きていることで思っていることを言ってください。職員は真面目なんで、保健所がどれだけ大変かというのも含めて、やっている業務の実態を伝えてもらった方が僕はいいと思う。』」
知事が保健所長に発言を促す。
「『発言の機会をお与えいただきましてありがとうございます。コロナに関しましては、8月の最盛期、保健所は本当に大混乱と言っては言葉がよくないんですが、もう毎日保健師にも夜の10時、11時まで残ってもらいましたし、私も泊まり込みをしたことも、何日かございます。そういった中でですね、先ほどからの医師会の先生方には、私も本当にいろいろと助けていただいたなというふうには思っておりますし、病院の先生方、もう頭の下がる思いで本当にいっぱいでした。無理をしてでも患者さんをとっていただいたりということもございました。』」
保健所長の発言は続く。
「『ただこれから先ですね、先ほど知事、部長の話にもありましたが、この比ではない新たな患者さんが多数出たときに、どこまで保健所の業務を保てるのか、それは非常に危惧はしているところです。先ほどからの話の資料の中でもございます通り、保健所の業務をいかに効率的にするか、重点化していくか、こういったことは当然やっていく必要もございますし、医師会の先生方にもいろいろとご迷惑、あるいはいろいろな業務を一部ですね、お願いしなきゃいけないところも多々出るんじゃないかなというふうに思っています。もう本当に人間関係でお願いしているところもいっぱいありますので、私どもとしてはそういった先生方の力もいただきながら何とかこの冬を乗り切りたいと思っております。どうぞよろしくお願いいたします。』」
続いて市の保健所長。
「『我々も第一波、第二波を経験いたしまして、特に第二波のときには、府は最高で1日255人の陽性者が出ましたし、市では最高131人の陽性者が出ました。1日100人以上の患者さんが出た場合に、1人1人に当然陽性告知をして、それで入院が必要か、あるいは宿泊療養でいいのかとかいう判断をしないといけない。それが朝からずっとやっても、もう100人を超えるのが1週間も続くとどうしても1日で終わらなくて、翌日に積み残してしまうということもありますし、それから今陽性者の濃厚接触者も全員検査しないといけないということですね。』」
陽性判定が出れば全て機械やプログラムのように自動で動くわけではない。当たり前の話であり、そこには対応すべき人間がいて、発生する業務がある。
小須戸は今まで、自分にその視点が抜け落ちていたことに気が付いた。
「『計画調査もきっちりやって、それで全員の濃厚接触者の検査をするということもしないといけないですし、それから陽性患者さんも当然のように医療機関への搬送をしたりとか、宿泊療養先に搬送したりとかっていうので、その調整もあります。ですからもうそのピークのときにかなりそういう状況で、本当にどこの保健所もそうだったと思いますけども、夜遅くまであるいはもう終電でも帰れないというような状況のことも多々ありました。それがもしこの冬にインフルエンザの流行の時期と重なると、もう第二波のピークよりもさらに倍とか3倍ぐらいの患者さんが出る可能性があるという状況ですので、先ほど保健所が動きが見えなくなるとかいう話もありますけど、そうじゃなくて、今まで通りの体制でやっていたのでは患者数が2倍3倍になったときに、同じような体制では絶対無理になってくるということになります。』」
もう、みさをは落ち着いているようだが、真剣に自分の読み上げに向き合っていることは伝わってきていた。
「『しかしやはり我々の使命としましては、その重症化する方をなるべく防ぐということをしないといけませんので、これまでやっていた中で、やはり重点化という先ほど話もありましたけども、重症化する方をなるべく減らす、それで重症化する方をなるべく早く医療機関に繋ぐ、入院の方に繋ぐということに重点化していくということが必要かなというふうに思っていますので、そういうところではやはりしっかりした疫学調査と判断をしていきたいと思っています。』」
ページ数から判断するに、もう終わりは近いようだった。
座長の発言。
「『やはり保健所というどっちかというともうやっぱり繋がりで、医療機関と保健所長さん保健所の方達との繋がりで保っているところもありますので、保健所という業務と医療機関という業務だけじゃなくて、そういう繋がりのところでかなり保健所長さんのご依頼であればということで私たちもよくそういう面では協力させていただいておりますので、その点重々理解しております。』」
座長の発言は続く。
「『何よりもでも患者数が少ないのが一番ですので、これは府の行政として、こういう対策を立てて少なくする。少なくすれば特にオーバーフローすることもありませんので、まずはそこが1丁目1番地で、とにかく患者さんのピークを減らす。これはもう1丁目1番地の行政あるいは府の役目だと思います。その結果として、数が増えてきたときはお互いに協力してやっていきましょうと。もう誰も手を抜いているわけじゃございませんですね。これはもうもちろん皆さんそう思ってらっしゃると思いますので、自分達ができることは何なのかっていうことでこれから考えていく必要があると思います。検査についてももっと柔軟にやっていけると思いますので、多分国はもう苦肉の策で出してきていると思いますが、それでも安全を担保しながらこれからやっていくということで、もう一度先生検討し直してやっていってもいいかと僕は思いますので、よろしくお願いしたいと思います。』」
発言の終わりに座長が深々と頭を下げたことに、想像は難くない。
「『本日は委員の先生方、長時間にわたりご議論いただきありがとうございました。』」
小須戸は締めくくりの事務局の発言を読み上げた。
会議時間は2時間15分。議事録の枚数としては37ページにも及ぶ分量だった。
「終わりですか」
「うん」
まだみさをの声はわずかに泣いていた。
「……顔、洗ってきます」
みさをは席を立ち、オフィスを後にする。
小須戸はみさおの背中を見送り、天井を見上げた。
涙。
……涙とは、涙腺を通じ角膜や結膜への栄養補給、瞼を動かす潤滑剤、細菌や紫外線から目を守る防御壁である。
感情の発露によって涙を流すのは人間特有のもの。
かつて涙を、目から汗が出た。と言ったのはある力士である。
強い悲しみや怒りを血の涙という表現は古くは11世紀、平安時代から見られている。
みさをは涙を流していた。
小須戸はわからなかった。
涙は女の武器。確かに強烈な威力があった。
疲れもあってか、議事録の内容も何もかも頭に入らず抜け落ちていく。
「自分はどうしたらいいですか」
小須戸は天井に向かって、今はもういない、その人に向かって、問いかけるのだった。
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『』内引用
第4回大阪府新型コロナウイルス対策本部専門家会議
https://www.pref.osaka.lg.jp/attach/37375/00371077/021002%20gijiroku.pdf
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