2020.09
≪KK-04 -世界に一つだけのふたり- 1/4≫
みさをは人目もはばからず、大きくあくびをする。
人も未だまばらな通勤電車の車内。
いつもはきちんと前髪を横にまとめているが、今日は下ろしたままである。
なぜなのか。
これまで小須戸と一緒に府の資料を見てきて、新型コロナの実態というものがある程度はわかってきていた。
しかしである。
自分達は役人ではない。
ただ、会社からの業務命令で新型コロナウイルスについて調べているだけなのである。
みさをとしても興味はある題材であるのだが、どこでなにをどうやって調べていいものか、全くわからない。
小須戸のおかげでとっかかりはつかめてはいるものの、完全な手探りなのである。
自分も小須戸のように、何か新しい方向性を見出したい。
祖母にはあまり見せていないが、みさをは基本的に負けず嫌いである。
このまま小須戸にいいようにやられっぱなしなのはシャクに触るのであった。
電車は駅に到着し、みさをは電車を降りる。
駅の時刻を見ると、まだ会社の始業までは余裕のある時間。
しかし、小須戸はもうすでにオフィスにいて、朝ご飯をもぐもぐしながら、あちこち資料を探しているのだろう。
資料探しや読み解きでは、自分は小須戸にとてもじゃないがかなわない。
みさをはこれまで感染症をテーマとした映画やドラマなどをチェックして、どのように扱われているのかを調べてみることにした。
そこで実際に人々がどういう風に描かれているのかを探ることによって、感染症というもののイメージがどのように受け取られているのかというものがわかると思ったからである。
趣味と実益を兼ねてはいるが、あくまでこれは業務である。
みさをは真剣に業務に取り組み、小須戸にも承諾を得たうえで会社で毎日、感染症をテーマとした映画、ドラマをチェックするという業務に没頭する毎日が続いていた。
今日、寝不足であくびがとまらないのも、家に帰ってから寝るのも忘れてシーズン1の完結まで見てしまったからである。
これは自分が真剣に会社の業務に取り組んだ結果であり、決してドラマの続きが気になってしまったからではない。
家に帰ってまで仕事をするという行為は、昨今問題視されているサービス残業にあたるので問題になるのかもしれないが、みさをはそれを問題視して会社に訴えるつもりはない。
これはみさを自身が使命感にかられてやっていることなのだ。
一刻も早く、この新型コロナの騒動が終わりをつげ、また元のような生活に戻ってほしい。
それは一点の曇りもない、みさを自身のウソ偽りない心からの真実なのである。
それはそれとして昨晩、見ていたドラマに関しては非常によくできていて、見ごたえのあるものだった。
まだ新型コロナが現れる前に企画、制作されたドラマではあるが、おそらく実際の医療現場に相当な取材を重ねたのであろう。
一つ一つの描写に入念なチェックがされていることが伺われ、まさに今のこの世界の現状を予言しているかのような内容だった。
女医が主人公というのも、みさを的にはポイントが高い。
さらに恋人を取り合う女医が感染症にかかってしまい、それを自身が危険を冒してまでワクチンを入手するという展開も熱かった。
恋人の男は右往左往するばかりで、最終的には主人公は恋人とは決別して、新しい恋に踏み出そうとするところで物語は終わりを告げる。
思い返すだけで満面の笑みが浮かぶ。
みさをは展開に大満足だった。
あえて不満を述べるのであれば、実際のロックダウンの描写に今一つ説得力が欠けていたこと。
ドラマでは患者や医療現場に焦点を当てることで、あえてそれ以外の描写を積極的に描くことはしていなかった。
とはいえ、これは仕方ない部分ではある。
物資に群がる人々、加熱する報道、蔓延する見えない恐怖。
要素だけを上げ連ねれば、どうしてもパニック映画である。
実際のロックダウンが起こすものはただひたすらに静寂。
日本でも海外でもそれは色々あったのかもしれないが、もしかしたらそれは報道の切り取りの可能性も高いのである。
コロナ前だって、大規模なデマが行われたという報道があった際、実際は小学生の集団登校レベルであり、周囲は何事もなく日常の光景だったというのは、ネットワークの発達で明らかになってきているのである。
何事も鵜呑みにしてはいけない。
「あの……降りないんですか?」
みさをはハッと目を開ける。
いつの間にかエレベータに乗り、同乗していたスーツの男性が開くボタンを押したまま、自分が降りるのを待っていた。
「す、すみません」
みさをはあわててエレベータを降りる。
スーツの男性もみさをが降りるのを確認してエレベータを降り、自身が勤務しているであろうオフィスに向かっていった。
みさをが今いる階はビルの最上階。
本来降りるべきは、もっと下の階である。
どうせならここから非常階段を通じて屋上に上がれるので、そこで風にあたって眠気を覚ましたいと思う。
だが今は始業前。
またの機会にするのが社会人の心得。
みさをは再びエレベータに乗り込み、本来自分が向かうべきオフィスのある階へと向かう。
自分を待っているであろう、小須戸の元に。
いつもは自分の分のカモミール・ティーも淹れてくれているのだが、今日はさすがに眠気覚ましのドリップ濃い目のコーヒーが欲しいと思うのだった。
オフィスに訪れると小須戸はいつも通りだった。
「おはよう」
互いに挨拶を交わして、みさをは席に着く。
カモミール・ティーの入ったティー・ポットと紙コップの入ったホルダー。
「今日は四回目の府の専門家会議ですよね」
「そうだね」
お互いに内容を確認する。
資料の議題には今年の春の第一波、夏の第二波についての検証。
今冬のインフルエンザ流行に備えた検査体制整備計画と保健所業務の重点化等について。
現在は秋も中ごろ。
夏場に置いて、都と府の夜の街を中心に大きな感染拡大があった。
緊急事態宣言を出すほどではなかったにせよ、報道も盛んに行われ、今はいったん落ち着いてきてはいるものの、冬場に向けてまた緊急事態宣言を出す可能性が出てきたという話も出ており、誰もが戦々恐々としているというのが現状であった。
「『7月の下旬、8月の上旬、この辺りは非常に右肩上がりの状況になっていました。ただ、市民・府民の皆さん、それから事業者の皆さんの協力もありまして、何とかこの右肩上がりというところは一旦ピークアウトし、何とか山を抑え込めているのかなというふうに思います。』」
みさを知事の発言である。
「『この冬に向けて、インフルエンザが流行ってくるシーズンにもなります。これから秋冬特にインフルエンザが流行るシーズンでのコロナとインフルエンザのダブルの流行、この可能性も当然視野に入れなければなりません。今、何とか抑え込んでいる状況ですが、またいつぐっと頭をもたげてくるかもわからないという状況かと思いますし、当然その可能性というのは考えてやっていかなきゃいけないと思っています。』」
冒頭の知事の発言は議題の通り。
「『その中で今後の検査体制は強化していく必要があるだろうと1日にピーク時には2万件の検査ができるぐらいの体制が必要じゃないかというふうにも思っています。』」
PCR検査の数量が適正かどうかを測る目安の一つに陽性率というものがある。
データとして陽性率7%未満の国では死亡率も減少傾向にあり、その基準をとるのであれば単純な感染者数ではなく陽性率7%より上なのか下なのかで感染状況を知る目安になる。
つまり7%より上の数字であればPCR検査数が不足しており、7%未満であれば十分な検査が行われているということになる。
「『第一波では147名、第二波では204名となっております。数自身は多いですが、40代の陽性者に占める割合は5.8%、全体の陽性者に占める割合がさらに下がりまして、8.2%から2.5%ということで大きく改善をしたところでございます。』」
発言は小須戸健康医療部長。
「『数的に言うと多分、2倍以上3倍近く患者数は増えていますけども、重症者は1.5倍ぐらいなので、おそらくかなり検査数が増えて見つかった人が多かった、重症者の数は多分見つけなくても見つかっても変わらないと思いますので、そういう意味で言うと、第二波はかなり検査数が増えて、数が増えているけれども、重症者的にはその1.5倍ぐらいということなんですね。』」
それに応えるのは、みさを座長。
「『ただし、今重症病床も下げ止まりですけど、この原因というのがですね、一つは慢性化された方が入院されているってことがありますので、このあたりを今後の課題として、重症者はどんどんどんどん今先ほどお話あったように短期化してもうすぐに退院というか転院できるようなレベルまで改善されることが多かったし入院期間が短くなっております。』」
みさを座長の発言は続く。
「『ただし、残った方は気管切開をしたりして長期化される方がいらっしゃいます。そういう意味で言うと、重症のベッドの中にどういう人がこれから入院すべきかというところを今後は府としても議論していただいて、慢性化された方はできれば急性期のICUじゃないところでケアできるようなシステムを作っていただきたい。なぜ慢性化しているのに専用病床にいらっしゃるかというと、どうしてもPCRが陰性化しないんですよ。もう1ヶ月以上、PCRが陰性化してないんで、急性期の病院でどうしてもベッドが少しずつ埋まってしまっているっていう現象があって、都みたいに次の山が来て重症者が増えてくると問題になりますので、ご検討いただければと思っております。』」
みさをは座長の発言を終え、一息つく。
続いて小須戸オブザーバーの発言。
「『全国的な傾向としては、例えばホストクラブであるとか、そういった接待飲食業で従事される若い人たちの間で感染が静かに広がっていく中で、徐々にそれが年齢の高いところに推移しているというのが全国的な傾向で見られており、我々の方も府でも同じような状況があったではないかと思っております。』」
そして、みさを健康医療部長。
「『感染が拡大してから7月16日に、いわゆる夜の街に滞在歴のある方で少しでも症状がある方は検査に来てください、という臨時の検査場を歓楽街に作りました。だいたい陽性率が2割を超える時期もありましたので、ここでかなりの感染者の方を特定できたと思っています。検査場については常設をしていこうと思っているんですが、夜の街に滞在歴がある方、あるいは勤務の方、若い方を含めて、その検査に来ていただくという機運が下がらないということが非常に大事かなと思っています。』」
再び小須戸オブザーバー。
「『都の中で言いますと、歓楽街とかそういった辺りでは、特に若者の関心が急速に下がっています。あれは風邪でしょうと、自分たちはどちらかというと被害者だという形で、対策意欲が薄らいで来ているので、これは非常に大きな問題だと思っています。』」
コロナなんてただの風邪。みさをにもそれは心当たりがあるところである。
「『そういった点と、実際に対策をやっていく中で、お店の経営者の方々の協力を得ることが非常に重要だと、つく
づくいろんな都での対策を通して感じているところであります。府の今回の夜の街で取られた対策について、経営者の方々との意思疎通を盛んに実施していただいて、ぜひ機運の盛り下がりを防いでいただいて、次の対策に繋げていっていただきたいと思います。』」
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