≪TU-04 -渡る世間に鬼はいない- 2/3≫

 テーブル席に座るさっちんとフカザワの二人の前にそれぞれ三蜜アイス、戸石に出したものと同じものが提供される。


「はい、どうぞ。食べたら感想よろしく」


 ヒメはエプロン姿。


「オーケイ!」


 ぐちゃぐちゃとスプーンでアイスをかき混ぜるフカザワ。


「きれいでおしゃれだね。写真にとってアップしていい?」


「いいよ、もちろん」


 さっちんはアイスを写真に撮る。

 そして、スマホを操作している。

 早く食べてよ、溶けちゃうでしょ。

 喉元まで上がってきているその言葉を、ヒメはこらえつつ視線でじっと訴える。


「コーヒー」


「は?」


 フカザワの呼びかけに、思わずつっけんどんな返しをしてしまうヒメ。


「コーヒーが欲しい。カフェなら出るだろ」


「うち、居酒屋なんだけど」


「アイスには温かい飲み物がセットなのが常識。カフェやりたいんだろ?」


「あ、あたし、緑茶がいいかな。お店で出してるよね。ホットで」


 思いついたようにさっちんの注文。


「はいはい、わかりましたよ。ちょっと待っててね」


 お客様のいう事ですから逆らいません。

 ヒメは言葉を飲み込んでキッチンに向かった。



 二つの空になった器。

 さっちんとフカザワはそれぞれ緑茶とコーヒーを口にしていた。


「ごっそさん」


「おいしかったよ、ヒメちゃん」


「ま、確かに悪くない味だった。しかし、それはお前の腕じゃなくアイス職人の腕だ。そのことを忘れるなよ」


 フカザワの気取った言動に顔がひきつるヒメ。


「で、どうだった?」


 ヒメの問いかけに、二人は不思議な表情を浮かべる。


「何が?」


「おいしかったよ? 3種類の蜜がかかってるなんて、ヒメちゃんも意外におしゃれなんだね」


「そうそう俺もそう思った。あのめんどくさがりのお前がなぁ」


「最近、三密三密ってうるさいじゃん。だから、私もちょっと考えてみたってわけよ。あのクソッタレな政治家どもに思い知らせてやる!ってね」


 細かいことを気にしだしたらキリがないので、ヒメは話題を切り替える。

 はらわたの沸点は引き上げようと思えばいくらでも引き上げられるのが、ヒメの誰にも信じてもらえない特技だった。


「あー、だから蜜が三種類なんだね」


「そういやさー、お前んとこ百万の給付金もらったの?」


「うち? まだ。今、申し込んでるとこ」


「いいよなー、百万もらえんだろ。もらったら何か買うって決めてるの?」


「いや、まだ全然。そもそも税理士さんだとか税務署に連絡とって、やっと申し込んだばっかりだし」


「え、ヒメちゃんが申し込んだの」


「だってオンラインしか受け付けてないんだよ? うちの親にそんなんわかるわけないじゃん」


「だよなー。こんな古ぼけた居酒屋やってんだし。パソコンもなさそうだもんな、おまえんち」


「やかましいわ」


 フカザワはすんませーん。と肩をすくめる。

 フカザワは冗談で言っているのだろうが、ヒメがにらみつけているのは半分本気である。


「でもさすが。ヒメちゃんはお金がからむとすごいね」


 さっちんは本気で感心してるのか、半分バカにしてるのか判断がしづらい。

 だが本人にはかけらも悪気はないことは、ヒメにはよくわかっている。それがゆえにつらい。


「まかせなさい」


 とりあえずヒメは胸を張った。


「この後の賃貸借ちんたいしゃく給付金も申し込むの?」


「ちん……? 何、それ?」


 フカザワの問いにヒメは首をかしげた。


「お前、知らないの? ……ああ、そうか。お前んち、ここ自宅兼お店だもんな」


「うん、そうだよ」


「聞いた俺がバカだったよ」


「ちょっと何その言い方。いいから教えなさいよ!」


 ヒメはフカザワの首を両手で掴む。

 ぐえーと声を上げる、フカザワ。

 さっちんはクスクスと笑う。


「さっちんも笑ってないで」


「えー、でもなんか懐かしい。小学生のとき、思い出すから」


「そうそう。お前が俺の首を絞めて、さっちんが横で笑う」


「フッくん、小学生のとき、ヒメちゃんが好きだったもんね」


「え……マジ?」


 思わずヒメは両手を引っ込めた。


「だってしょうがない。あの頃のオレは小学生男子。強いものにあこがれるのは生物の本能としての必然。お前のオトコに俺はホレていたんだ!」


「なぐっていい? ……なぐっていいよね。答えは聞かないからね」


 ペキペキと拳を鳴らすヒメ。ひいーと頭を抱えるフカザワ。そして、アハハと笑うさっちん。

 それは10年ぶりの時を越えて訪れた、三人の懐かしい時間だった。



 閑静な住宅街を臼井は帽子とマスク姿で歩いていた。

 臼井は肩に担いでいたバッグの中から三枚一組になっているチラシを取り出し、それぞれの住宅の郵便ポストの中に入れていく。

 降り注ぐ日光は初夏の日差し。緊急事態宣言が解除になり、一か月が経とうとしていた。

 汗が額から頬を伝い、マスクを濡らしていく。

 帽子をかぶって日差しを申し訳程度にカバーしているだけで、朝から晩まで歩きどおし。

 水分は取りたいときに取れるし、休もうと思えばいつでも休むことはできる。

 しかし、である。

 いわゆる町内をくまなく歩いて一軒一軒チラシを投函するという仕事が、これほどまでに重労働になるとは思っていなかった。

 一つの町内をチラシを投函しながら歩きとおすのに約半日。

 平坦な地域であればまだいい。

 ところが中には山あり谷ありの地域もある。

 さらには歩道からではなく、一軒一軒中に入らなければ、郵便受けにたどり着けない家もある。

 ひどいところだと通りの一軒一軒に、そういった階段の上り下りが発生するのである。

 ただただ無心になり、臼井はチラシを投函して歩いていく。

 仕事始めは重いバッグも、仕事が進むにつれて軽くなっていく。

 重い心も軽くなり、足取りも軽くなる。

 最後のチラシを投函し公園の脇に停めていた、後部に配送ボックスが取り付けられたバイクの元にたどりつく。

 ボックスを開け、バッグと帽子を中に投げ入れ、スポーツドリンクのペットボトルを取り出し、飲み干す。

 ふぅー、と一息をついたところで、スマホを取り出し、連絡をする。


「臼井です。お疲れ様です。ええ、今終わって、これからスタンドで給油して帰ります。え、明日? 明日って雨の予報ですよね? ……あー、あの川沿いの団地ですか。わかりました、はい。それじゃ」


 通話を終え、改めてスマホの画面を見ると事務局からの通知と書かれた、見慣れないメールが来ていた。

 臼井はメールを開く。


『こちらは賃貸借支援金事務局です。申請いただいた内容を確認したところ、必要な情報が確認できませんでした。つきましては申請ページより不備の内容を確認いただき―――』


「まじか……」


 臼井は思わずかがみこんでうなだれる。


「今度は何がダメだったんだよ……」


 天を仰ぐと、遥か遠くには雨を予感させる雲の塊があった。

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