≪GT-03 -オカネクダサイ- 3/3≫
「で、最後の不備。領収書の件なんだけど」
リョーコの言葉にショウはふさいでいた顔を開く。
「え、もう不備は終わりなのでは?」
「三点あるって言ったでしょ。もう一個あるの」
「でもメモには一つ目が通帳の見切れ、二つ目と三つ目が入力間違いでしょ。入力内容を訂正すれば、同時に二つの不備が消えるんじゃありません?」
「そう、だからまだ不備は二つしかないの。三つ目の不備がいよいよその真実を明らかにするわ」
「……もしかしてメモに書き込むのを忘れてた、ってオチですか?」
「今、あなたのフォルダにメモファイルを入れました。ご確認、お願い致します」
リョーコは突然敬語口調になった。ショウは言われるがままにファイルを確認する。
先ほどまでの三つの不備の下に四つ目の不備が書き込まれていた。
「【賃貸契約1】添付いただいた書類に賃貸人または管理会社の署名または捺印が確認できません。申請解説書「3-5.賃貸借契約情報」をご確認のうえ、賃貸人または管理会社の捺印(代表印・契約印)、またはフルネームの署名がある「賃貸人または管理会社の領収書」もしくは「F-1:支払実績証明書」を添付し直してください
読み上げて、ショウはリョーコの顔を見た。
「領収書、添付してましたよね? 過去三か月分だから4月、5月、6月分」
「そうね」
ショウは手元のサンプルファイル内にある領収書のファイルを開く。
ファイルには「2020年4月 50000円 領収 2020年5月 50000円 領収 2020年6月 50000円 領収」と印字されており、その横にそれぞれ「白根」というサインと「3/25」「4/25」「5/25」と手書きで書かれていた。
「これ、直近三か月の支払いの日付と領収の記載ありますよね。手書きだからダメってことなんですか?」
「不備案内で〝賃貸人または管理会社の捺印(代表印・契約印)、またはフルネームの署名がある〟って記載あるでしょ」
「でも契約書には賃貸人の〝白根〟ってあるじゃないですか。ここまで細かく書かないとダメなんですか」
「契約書と照らし合わせて、って事はしないみたいね。そもそも苗字だけじゃどこの白根さんって感じだし」
「いやいやいや、普通ならこれはありでしょ……。一般的な商慣習なら通るんじゃないですか」
「〝オカネクダサイ〟って頼むものだからね。その辺りの整合性は取っていくでしょ」
「じゃあ、どうすればいいんですか。領収書をもらい直し?」
「それか事務局が用意した支払実績証明書を書いて、併せて提出」
「支払実績証明書?」
「そう。こういった手渡し払い……でいいのかな。そういう時に領収書を交わしてなくて、書面が提出できないときに代わりに出す書類があるの」
「……これ、じゃあ最初から不備で返される案件ってことですか」
「そうよ。今回用意した4種類のサンプルは全部、一発で審査が通らない。事務局の証明書無しでは必ず不備で返される。たとえこれで取引が成立してるとしてもね」
「……嘘、でしょ」
ショウは絶句して、ようやく細い声を出すのが精いっぱいだった。
「ちなみにサンプル2の不備は三つ目の賃貸物件の駐車場が自動更新契約で契約期間の不備になるから、E-3の契約期間証明書。サンプル3は二つ目と四つ目の物件が賃貸人の名義変更でE-1、賃貸人名義証明書。サンプル4は契約書の名前が駐車場の契約書で建物名しか住所の記載がないから、契約書不備ね。これはE-4の契約証明書になる」
「……わけがわかりません」
「正直、私も説明しててわけがわからない。これきっと対応する人達、すごいことになるわね。E-1とかE-2なんかの賃貸人と賃借人、互いに逆さまに説明してしまってもおかしくないもの。あなたが間違えたのもよくわかるわ。一つだけの物件の申請でこれなんだから、複数の物件での申請はどうなるのかしらね。大丈夫、ちゃんとできてる?」
リョーコの問いかけに、ショウは沈黙でしか答えられなかった。
以後もリョーコの解説は続く。
何やら賃料変更だったり引っ越しなど様々なケースの特例について述べているようだが、ショウの頭にはもはや何も入ってこない。
リョーコの女性にしてはやや低めの声を聴きながら、ショウは改めてモニターに映る各サンプルの書類を眺めていく。
賃貸借契約書の書式も一定ではなく、縦もあれば横もあり、構成するページ数も3枚で終わるものものもあれば10枚以上のものもある。
支払いの証明書類も通帳もあれば、金融機関発行の発行した書類もあり、手払いでの書類ももちろんあるだろう。
改めて今回のサンプルの領収書を見ると、最後の支払い日が「5/25」であり、もしかしたら7月も半ばの今、この日付もそれぞれ一か月ずつ後ろにずれていないと引っかかるのではないかとふと頭によぎったが、ショウはもうそれ以上考えることをやめた。
「前回の百万の給付金は一発でOKだったんですよね」
ショウはリョーコの解説が途切れたタイミングを見計らって、話題を事業者給付金に移す。
「そうね。確定申告書も税務署発行だし、例外で提出できる書類もあるけど、それはあくまで例外だからね。せいぜい困るのは売上台帳ぐらい。でも今回の賃貸借支援給付金は違う。全ての書類が多種多様。一件の審査にも膨大な時間がかかる。実際、私、一つ審査するのに二時間かかったわよね」
「俺も一件の申請に二時間……ですよね。もっと何とかならなかったんですか、この申請システム。1ページごとに進んで、確認するのも修正もまた戻らなきゃいけない」
「最後に全部の申請内容出てくるじゃない」
「そんなの入力だけで精一杯で、もう今更確認する余裕なんて無いですよ」
「実際、賃貸人と賃借人、入力間違えてたしね」
「普通は借主を先に入れますよ。だってお金もらうのは申請する側なんだから。せめて……申請した後にも内容が確認できればなぁ」
「確認してどうするのよ?」
「間違いに気づいたら、差戻しさせてくれ。って言えるじゃないですか」
「それが正しい訂正だって言える? もしかしたら既にある程度審査も進んでるかもしれない。そこで差戻しされたら、また審査が1からやり直しになるのよ? そして、その間違いが全てだとも限らないし、正しく直してくるとも限らない」
リョーコは眼鏡を外し、ショウに向き直る。
「自分の判断が全て正しいとは思ってはいけない。わかるわよね、申請者には申請者の理屈があるのかもしれない。けど払うのは税金。いくら困ってるからと言って、明確な根拠もなしに払っていたら制度自体が成り立たない。行政がやらなきゃいけないのは皆が満足する支援ではなく――」
「そんなことわかってますよ!」
ショウは声を荒げてリョーコの話を遮り、そして、顔をそむける。
「……じゃあセンパイはどうすればいいと思うんですか」
ショウは横目で愚痴り気味に言い返した。
「どうにもならないでしょ。事業者給付金は比較的、スムーズに進むし進んでるけど、こっちは申請する側も対応する側もイレギュラーだらけの地獄絵図ね。慣れても一件一時間、単純に審査にも三倍四倍の時間がかかる。なおかつその審査が終わって、申請者に返ってくるのは給付ではなく不備通知という名の言葉の暴力。その通知も早くて一か月は待たされるでしょうね。忘れた頃に訪れる」
「……夏が終わるじゃないですか。ようやく緊急事態宣言が明けたっていうのに。いつまでコロナに振り回されるんですか、俺達」
「ま、私の契約期間の一年間は今の状態が続くんじゃない? ちょうど事業者と賃貸借、両方の給付金の申請期限が年明けの1月15日だからね」
リョーコは笑顔で笑っていた。
「センパイはよく笑えますね。俺は笑えないですよ」
「おせんべいでも食べたら? 甘いものを食べれば、人はみな笑顔になれる」
リョーコはパキッとかじりかけのせんべいをかじり、ぽりぽりと咀嚼する。
ショウはじろりと抗議の視線を送るが、リョーコは意に介さず、せんべいを食べろと笑顔を返してきた。
「このせんべいはおめでたいんだからね」
ショウはためらいがちにせんべいに手を伸ばし、パキリとせんべいをかじり、ぽりぽりと咀嚼した。
控えめな甘みが口中に広がり、ゆるやかにせんべいは溶けていく。
そして、先ほどまでこわばっていた顔つきも同じように緩やかに溶けていった。
ショウはリョーコに向き直った。
「俺、このせんべい、好きかもです。あとでお店、教えてください」
そう言ってショウは残りのせんべいを口に投げ入れて、ポリポリと咀嚼した。
それを見て、リョーコは優しく微笑んだのだった。
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『』内出典
新型コロナウイルスの消毒・除菌方法について(厚生労働省・経済産業省・消費者庁特設ページ)
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/syoudoku_00001.html
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