≪GT-03 -オカネクダサイ- 2/3≫

 パキッと固い音がオフィスに響く。

 リョーコがせんべいをかじった音である。

 そして、ポリポリとせんべいをかみ砕く音も響く。

 リョーコは眼鏡をかけて、モニターを真剣な眼差しで注視していた。

 ショウは机の隅に置いていた、個包装された二個入りの魚をかたどったせんべいを開けて、口に運んだ。

 パキッと固い音がオフィスに響き、ポリポリとかみ砕く音も響いた。

 ショウの口中にじんわりとした甘味が広がって、固い歯触りも二、三回かみ砕くとゆるやかに溶けていく。


賃貸借ちんたいしゃくの一つ目、終わったわよ。不備の案内、フォルダに入れたから見て」


 リョーコの呼びかけに、ショウは溶けていくせんべいをんがぐっぐ。と飲み込んだ。


「はい。って不備ですか?」


 ショウはお茶で詰まりそうなせんべいを胃に流し込みながら答えた。


「うん、三つ出てる。とりあえずメモ見てみて」


 ショウはフォルダに入れられた、リョーコが作成したメモファイルを開く。

 タイトルには「賃貸借支援給付金_サンプル1不備案内」とあった。

 ファイルに記載された文言をショウは読み上げる。


「給付金の振り込みをする口座情報として添付いただいた法人名義の通帳(あるいは電子通帳の画面コピー)の画像が不鮮明のため、内容を確認することができません。申請解説書「3-6.口座情報3-6-2.添付書類」をご確認のうえ、記載内容がはっきりと読み取れる画像を添付し直してくださいまる


 最後のまるもショウは読み上げた。


「じゃ、次」


 リョーコに促され、ショウは次の不備を読み上げる。


「【賃貸契約1】添付いただいた「賃貸借契約書」または「契約更新に関する書面(覚書等)」または「賃貸借契約等証明書」において、賃貸人または賃借人の、署名(フルネーム)または捺印が確認できません。申請解説書「3-5.賃貸借契約情報」をご確認のうえ、書類を添付し直してください。 なお、賃貸借契約等証明書は賃貸人および賃借人の署名(フルネーム)が必ず必要となりますまる


 読み上げながら、パリポリとリョーコがせんべいを咀嚼する音が聞こえる。

 ショウは続いて三つ目の不備を読み上げる。


「【賃貸契約1】ご入力いただいた『賃貸人氏名(法人名)』と『賃借人氏名(法人名)』が、添付いただいた「賃貸借契約更新覚書」に記載の賃貸人名、賃借人名と逆になっております。ご入力内容と添付いただいた書類を再度ご確認のうえ、賃貸人名、賃借人名欄のご入力内容を修正いただくか、記載内容を修正いただき、「賃貸借契約更新覚書」を添付し直してくださいまる


 ショウはメモファイルに記載された三つの不備を読み上げた。


「オーケイ。じゃ修正よろしく」


「オーケイじゃねーよ!」


 ショウは立ち上がった。


「なんですか、これ! なんなんですか、これ! いったいどういうことなんですか、これ!」


 リョーコはぱきっ、とせんべいを頭からかじった。


「賃貸借支援給付金の不備案内よ?」


「不備案内よ?じゃねーよ! 意味わかんないですよ」


 ショウは目の前を腕で振り払って、平然としているリョーコに抗議する。


「やっとのことで申請が終わったのに、不備案内がなんでこんな暗号文なんですか。もっとわかりやすく教えてくださいよ!」


「そうは申されましても、わたくしどもは恐れ入りますが細かい申請内容についての案内は致しかねます。申請者様ご自身で事務局より配布されております申請解説書をご覧いただき、それに従って不備修正のご対応をお願い致します」


 眼鏡をキラッと輝かせながら、キリッとした笑顔でリョーコは返答する。ショウはイラッとした。


「そんなんだからお役所仕事ってバカにされるんでしょ! もっと寄り添ってくださいよ、申請者に。みんなコロナで商売できなくて、オカネクダサイって困って申請してるんでしょうが。なのに、こんな言葉の暴力はないですよ」


 ショウはバッ、バッ、バッとオーバーな身振り手振りを交えて、リョーコに抗議した。


「ご納得いただきありがとうございます」


「してねーよ!」


 リョーコは机に座ったまま、深々と頭を下げ、ショウは興奮のあまり、息切れしていた。


「してくださいよ、納得いく説明を!」


 ショウはダンッと机を手の平でたたいた。思ってたよりもわりと痛かった。


「……かしこまりました。ではしばらくお待ちください」


 リョーコはスマホを耳に当て、一人で会話を始めた。


「あっ、室長ですか? リョーコでーす、ハロー」


 ハローと言いながら、リョーコはショウに手を振った。ナイススマイルだった。


「じっつはー、いまー。……そうですそーです。不備の件。わっかんないってさー、ねー」


 チラチラと言葉の合間に、リョーコはショウに視線を送る。

 ショウは頭をボリボリと掻くほかできない。その言葉遣いは年齢を考えてやってください。とは口には出さない。


「そーそー、冒頭に問題点書いてあげて、その次に根拠と解決法、書いてんのにね。えー、教えてあげんの? うちが? めんどくさいー。……え、話が先に進まないって? もー、しょーがないなー。どうせ将来頭が禿げるんだからさ。悪あがきなんかしなけりゃいいのにね」


 ショウはサッと自分の頭に手を当てる。まだ髪の毛の感触のフサフサの手触りが感じられ、ショウは心の平穏をわずかばかりに取り戻すことができた。


「さて、じゃあ頭の体操でもしましょうか」


 リョーコはスマホを下ろし、ショウに向かい合った。


「誰に電話してたんですか」


「ただの独り芝居よ。やかましいクレーマーに対応するコールセンターってこんな感じなのかな、って」


 誰がクレーマーなのか。だが、いちいち抗議しても話は進まないので、あえてショウは突っ込まなかった。


「まず一点目。これは添付した通帳が見切れてる。だから全体像が映るようにスマホかスキャナーで撮り直して、もう一回添付し直して」


 ショウはモニターの通帳の表紙画像を確認した。確かに見切れてるのだが銀行名は確認できる状態ではあった。というか、この画像は事業者給付金のサンプルでも使用したものではなかったか。


「センパイ」


「なに?」


 返事を返すリョーコはいつもの理知的なリョーコだった。


「これ、前回も使いましたよね、事業者給付金で」


「そうね」


「なんで前回は通って、今回は返されるんです?」


「……基準が厳しくなったのよ」


 リョーコの返答は少し間を置いて、返って来た。


「まさかとは思いますが、実は前回は見切れてるのを気づかなかったとはいいませんよね?」


「ソンナコトナイワヨ」


 リョーコの返事は機械音声のように単調だった。

 ショウは疑惑の目線をリョーコに向けるが、リョーコは視線を合わせようとはしなかった。


「じゃ、次は二点目。契約書に名前が無いってやつ」


 リョーコはショウの疑惑に取り合う気が無いようだった。


「これ、変ですよ。契約書にはちゃんと手書きでフルネーム入ってるじゃないですか。賃借人、白根涼子シロネリョーコ。賃貸人、新津翔ニイツショウ


 ともにサンプル用の偽名である。


「三点目の不備になんて書いてある?」


 ショウは三点目の不備に目を移す。そして、気づいて、アッー。と声を挙げた。


「わかった?」


「……入力内容を間違えてました」


 ショウは己のあやまちにうなだれた。


「賃借人と賃貸人のところに間違えて、逆に入力してしまったのね。私もチェックしてびっくりしたわ」


「やめて! 本気で間違えてるから、言われると恥ずかしいの」


 ショウは両手で顔をふさいでイヤンイヤンといやんいやんした。

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