≪KK-03 -ふたりはプリムラ- 3/3≫
口火を切るのはみさを知事だった。
「『4月15日だと思うが40万人死ぬというモデル示された。緊急事態宣言で8割接触を減らさないと、右肩上がりで増えていくとなり国の方向性が決まった。政治家は命を守る立場。あれを見せられると、強烈なインパクト、全部抑えることとなった。そこの検証はいると思う。42万人死ぬというモデルについてどう思うか。』」
「『数学上のモデルであり、普通ではありえない数字だと思う。今回緊急事態宣言の効果、議論がなかなかできないと思うが、緊急事態宣言が終わったあとも、自粛ムードは続いている。怖がっている方に安心させる方法が必要。』」
「『先生は、K値モデルでみてどう考えるか。』」
「『テレビに向かって、そんなことないだろうと叫んだ。モデル解析の動機は、1週間で2倍で上がり続けていくことはない、42万人あり得ないと思ったから。最初に予想をたてた際、4月11日頃にピークアウトしたということがわかっていた。実証をしながら確かめるモデル、データが蓄積されることによって確度が上がっていくというものであるが、個人的にはあの時点では下がってくるだろうと思っていた。』」
小須戸は読み上げながら、資料で内容を確認する。
「『とられた政策は間違っていたと思うが、今回初めてのウイルスで、いろんな予測、対策が出て、後から不必要、過剰なものと判断されるものがあるのは仕方がない。そのことを責めることは完全に間違っている。大切なのは蓄積されたデータを見直すこと。再拡大については、ドイツのデータを見ることをお勧めする。ドイツはロックダウンする前は収束スピードがもの凄く遅い。感染拡大の傾向が強い5月6日にロックダウンを解除してその後どうなったか。K値は指数関数的に落ちている。解除後に、跳ね上がるようであれば、解除後の影響を心配する必要があるが、収束傾向の強い日本で解除したからと言って、跳ね上がるとは考えづらい。』」
読み上げながら、資料には話をしている内容の記載は無いことを確認する。
「……なんや、思っている以上にちゃんと話し合っているんやね」
みさをがポツリとつぶやく。小須戸もそれに同意見だった。
「『いろいろな業種が自粛していったが、その業種に自粛が必要なのか、例えば映画館、マッサージ屋がなぜ自粛するのかと思っていた。外にでるなというが、電車では感染が起きていないことがほぼわかっているのに、外出自粛をする。人がたくさんいたとしても、ちゃんと黙ってマスクをしていれば、8割、7割減せずとも、問題ないと思う。人が戻ってきて怖いという報道があるが、感染予防を1人1人がやっていれば問題ない。』」
マッサージ屋の響きに、みさをは緊急事態宣言発令前に施術してもらったセラピストの事を思い出す。
全体的にさっぱりした頭で前髪を少し立てている、マッサージ師としてはかなり若い年齢の男性。
彼もやはり自粛を余儀なくされているのだろうか。差し入れで渡したカモミール・ティーは飲んでもらえたのだろうか。
ふとそんなことが脳裏をよぎる。
「『唾液にウイルスがあるから、唾液に気を付ければ距離あけなくていいということか。』」
「『諸説あるが、呼気からも出てくるが、呼気から出たウイルスが飛び回っているというデータもあるが、空気上に飛び散ったウイルスが湿度 40%~60%の時点でどれくらい生きているかというようなデータはない。急速に感染性は失われている。物理でやっているシュミレーションは無意味だと思う。空気上に飛び散ることが怖いというが、どれだけのウイルス量で感染するのかという視点がまったく欠けている。』」
小須戸は淡々と読み上げていく。
「『有効じゃないところを一生懸命するよりも、もっと大事なのは、飲み会、夜の街、カラオケとかみんなで騒ぐ行為を辞めさせることが一番重要な施策。それを何人以上はダメとかではなく、5,000人でも1万人でも感染するのは、その周辺だけで関係ない。空気感染しないものを、イベントの大きさで決めるのはおかしい。』」
そして、みさを知事の発言を皮切りに議題は締めくくられる。
「『唾液の中で、発症時点が一番感染力が強い。10日たてばPCRで陽性と出るが移さない。発症日前の2日が危ないのは国も言っている。唾液のPCR検査は国が発症日以降と言われている。発症日前の唾液のPCR検査は適切ではないと指導を受けている。発症日前2日の唾液でのPCR検査でも陽性とでるのか。』」
「『1日、2日で急に上がるわけではなく、じわじわ上がってくる。数日前から高い状況にあり、急に発症日にポンと上がるわけではない。国は発症した人を調べるということですよね。濃厚接触者は別として。』」
「『濃厚接触者を調べる体制、症状出ていない濃厚接触者もどんどん調べていこうとしている。その中で、濃厚接触者は症状が出ていないから、鼻咽頭類でやろうと決めている。』」
「『唾液でいいと思う。唾液、鼻咽頭が量どちらが多いかというと、同一か鼻咽頭が多いか。』」
「『国で無症状の方の唾液、鼻咽頭の比較についての検討は現在進行中である。』」
「『本日は長時間にわたり、ご議論いただきありがとうございました。』」
閉会を宣言したのは小須戸部長だった。
ふたりは改めて、カモミール・ティーを入れ直し、一服を入れる。
業務自体は終了なのだが、これだけの物量、情報量を読み込むのはさすがに骨が折れた。
「肩こりますねぇ。マッサージもこのご時世、気軽に行けないし」
みさをは肩をぐるぐると回す。
「そういえば何でカモミールなの?」
唐突に小須戸は思いついた疑問を口にしてみた。
「そらもちろん、カモミールは癒しですから」
「……いやし?」
小須戸はカタカタをキーボードを叩く。
「花言葉は〝逆境に耐える〟〝逆境で生まれる力〟って」
「ええっ?」
みさをは思わず席を立つ。
「どうしたの?」
驚く小須戸。
花言葉とは、その花や植物の特徴に基づいて特定の意味を持たせたもので、古くは神話や伝承などから引用されている場合も多い。花詞と書くこともある。
古今東西、老若男女問わず贈り物などその花に意味や感情を託して表現する風習が行われているのは誰もがやっていることである。
「これ、人に渡すのってもしかして失礼なんやろか」
「誰かに贈ったの?」
「うちをもんでもらってる、マッサージの先生です」
「なんでまた」
「だって、その人、台湾で二か月マッサージの勉強してきたとかいって、すごい苦労してはるみたいなんですよ。夜のマッサージ店で独りで店をやっていて」
「そうなの?」
小須戸はマッサージ店にはいかないので、よくわからない。
自分の見てくれが、どう見えているのか見られているのか自覚はできているだけに、人と触れ合うこと自体も正直好んでしたいとは思わなかった。
ちなみに観賞するのは好きである。人ごみは嫌いなのでコンサートなどで騒いでというのは苦手ではあるが。
「うち、肩こりがひどいんで。その日、あまりに辛すぎて、タクシーで深夜に押し掛けたんです。そしたら、その先生、すごい上手で全然痛くなくて。なのに翌日、肩こりが消えてたんですよ。ああいうお店って力任せでやって翌日もみかえしになること多いんですけどね」
……口ぶりから察するに男のようだった。だが、それを確かめるのはなんだか胸がもやもやして、できなかった。
「……もしかして、気になってます?」
「何が?」
「小須戸サン、言いたいことがある時って、頬をふくらませますよね。カエルみたいに」
小須戸は口元を抑える。
みさをはニヤニヤと笑う。
「男のセンセですよ。うちらより同年代か年上」
小須戸はみさをの顔を見て、みさをも小須戸の顔を見ている。ニヤニヤと笑いながら。
「別におかしな人ちがいますよ」
それじゃ、片づけて帰りましょ。と席を立ったみさをは小須戸の分の紙コップも持って、オフィスを出ていった。
小須戸はみさをの言葉に漠然と感じていた不安は消えたものの、それとはまた違う、うまく言えない何かもやもやしたものが胸に残ったのだった。
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『』内引用
第2回大阪府新型コロナウイルス対策本部専門家会議
https://www.pref.osaka.lg.jp/attach/37375/00366407/020612%20gijiroku.pdf
比較コロナウイルス学からのアプローチ
https://www.pref.osaka.lg.jp/attach/37375/00366407/07%20siryo1-3.pdf
*国内の地名、人名については省略しています。
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