2020.05

≪TU-03 -目の前の現実は夢ではない- 1/2≫

 こんもりと山で盛られたバニラアイス。


「どりゃあーっ」


 ぶちゅーっと三つの蜜が宙を舞う。

 それぞれ蜂蜜、黒蜜、イチゴシロップの三つの蜜がバニラアイスに降りかかる。

 白い山を豪快に彩る三色の虹。

 出来に満足したヒメは笑顔で大きく胸を張る。


「何やってんだ?」


 寝巻姿のままリビングにやってきた戸石は、キッチンのヒメに声をかける。


「新メニューよ、新メニュー」


「新メニュー?」


「そう! 三密だか四密だか知らないけど、わけわからないこと言ってさ。だから考えたの。クソッタレな政治家どもに思い知らせてやる!って」


 戸石はキッチンのヒメの手元をのぞき込む。


「ずいぶんシャレたアイスだな」


「蜂蜜と黒蜜とイチゴシロップで三つの蜜。三蜜アイスよ!」


 食べろ。と言わんばかりにヒメは戸石にアイスが盛られた器を突き出した。

 戸石は突き出された器を受け取るしかなかった。


「はい、食べて」


 ヒメにスプーンを渡され、戸石はアイスの黒蜜部分をスプーンですくって口に入れる。

 バニラアイスと黒蜜のハーモニー。


「お味はどう?」


「マズくはない、な」


「でしょでしょ。これお店で出そうよ」


「ダメ。うちは大衆居酒屋だ。アイス屋じゃない」


 戸石はヒメにアイスを返して、一階に降りていく。


「いーじゃん。どうせまた緊急事態宣言延長なんだから。ケチ」


 ヒメは降りていく戸石の背中に毒づいた。

 戸石が一階に降りると、マスクをしたあきらがスーパーから買ってきたであろうレジ袋を手に帰ってきた。


「おはよう」


「今、起きたの?」


「だってしょうがないだろ。店も営業できない。やることもない」


「宣言も延長だものねぇ」


「テレビは気が滅入るニュースばかりだしな。これ、今日の新聞?」


 戸石はカウンターに置いてあった新聞をぺらぺらとめくる。


「どうせ大したこと書いてないわよ」


「知ってるよ」


「そうそう。事業者給付金だっけ。百万のやつ。あれ、ヒメにやらせていいの?」


「あいつ、やれるって?」


「やってみたいんだって。それともおとーさん、やる?」


「かーちゃん、たのむ」


「じゃ、ヒメにやらせるわね」


 あきらはリビングのある二階に上がっていく。

 はぁ、とため息をついて、戸石は新聞を置いて、玄関を開けて空を見上げる。

 晴天の青空。

 緊急事態宣言が出てから一か月。

 政府からの要請を受けて店は休業。必要最低限の買い物以外は外出自粛。その買い物ですらマスクをつけて出歩かなければいけない始末。

 戸石はぐるぐると肩を回した。

 窮屈で肩が凝って仕方がない。


「おとーさん、またマスクなしで外に出たら変な目で見られるわよ」


 声に振り返るとあきらが階段の中腹からのぞき込んでいた。

 そしてまた、二階に上がっていくあきら。

 戸石は苦笑いで愚痴る。


「早く元の世の中に戻ってくれねえかなぁ」


 戸石はため息をついて、晴天の空を仰ぐしかなかった。



 閑散としている駅前のビル。入居している看板は全て消灯している。

 三階に入居しているテナントの入り口のドアには休業の張り紙。

 5月7日と書かれていた部分には7の上に二重線で31日まで。と訂正書きがされていた。

 中の店内は暗く、ベッドも半数が部屋の端に片づけられている。

 肩に担げる大きめのボストンバッグを手にスタッフルームから出てきたのは臼井。

 ひと月前まではセラピストと客で平日の昼間もベッドがいっぱいだった店内。

 臼井は入口にバッグを置いて、店内の戸締りを確認していく。

 トイレの中も開けて、きちんと照明が消えているか確認した。


「……とと」


 そういえば。と思い出したのか、臼井は改めてトイレの中に入り、暖房便座のスイッチを確認する。

 スイッチは中の強さで入ったままだった。


「……ったく」


 臼井は暖房便座のスイッチを切った。

 臼井はスマホを取り出して、ボストンバッグのところに戻る。


「……もしもし、イノウエさんですか。臼井です」


 電話をしながら、店内を見回す。


「おう、今、お店?」


 通話先から聞こえるのは中年の低い男の声。


「ええ、戸締りオーケーです。休業の張り紙もきちんとマジックで訂正しておきました」


「悪かったね」


「いえいえ、とんでもない。それと連絡ノートにはきちんと挨拶しておきましたよ」


 臼井は笑う。カウンターの手元には店のセラピスト達が連絡用に使っている大学ノートがあった。


「……今までありがとうな。君には感謝しているよ。店の事、色々気を配ってくれて」


「みんなが気を配らなすぎですよ。会社の看板の力でお客さんが来るもんだからって、全然努力しないんですもん」


 イノウエの言葉に臼井はあきれた口調を返事を返す。


「君の言う事は確かに正しい。正論なんだよ。でも、お店は自分ひとりでやっていけるもんじゃないんだから、そこはちゃんと話し合ってやらないと」


「そりゃ向こうが話し合う気があるのなら、こっちも努力はしますけどね」


「君ねぇ……」


 電話の向こうからでも苦笑しているのがわかった。


「だってしょうがない。僕、外様ですからね」


「トザマ?」


「他からの流れ者」


「ああ、ウチの会社に来る前は他の店にいたんだっけ」


「ええ。台湾人の方のお店に」


 フッと表情が和らいだことを臼井は自覚する。


「そもそも会社がもっとお店を管理できてれば良かったんじゃないですか」


 キッと臼井は主張した。


「そこは言わないでくれよ。君もわかってるだろ」


「ええ、わかってます。賃金は歩合の報酬制度。ゆえに時間は自由。仕事の仕方も一定のルールさえ守ってれば、多くは問わない。働くセラピスト同士もみんなが平等。上下関係はなし」


「わかってるじゃないか」


「あとはお店で働くみんなとしっかり協調性をもってうまくやること」


「そこもわかってるんならさぁ」


「だからって社会人としての最低限のルール、マナーを守らないのはどうなんですか。という話ですよね」


「……そこもそうなんだけどね」


「お店を運営するのは自分達だからって、なんでもかんでも自分達の決めたルールでやります。ってのが通るわけがない。会社の看板でお客が来てくれるんだから、会社ときちんと話をしないとですよね」


 臼井は連絡ノートを縦に持って、コンコンとカウンターを叩いた。

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