第69話 レンの思い出〜担当おります〜

 カーテンを閉め切ったワンルームの一室で、桃子はぎゅっと体を引き寄せて蹲っていた。床には飲みかけのペットボトル、脱ぎ捨てた服が散乱しており、机の上には札束が放り投げられた様に散らばっている。


「もう、辛い…」


 桃子はもう三週間ほど店に訪れていない。その理由は持ち金が底をついたからだ。この三週間は仕事に精を費やした。そして昨日、纏った金が出来たのだ。

 しかし、昨日目にした事をきっかけにレンに対する不信感が募り、店に行っていない。

 昨夜、桃子はいつものように新宿を歩いていた。すると、とあるホテルの前でレンを目撃した。レンの腕には女の子がぎゅっと絡みつき、二人はそのままホテルに入って行った。

 桃子は見返りを求めているわけではない。レンの腕に絡みつく女の子が自分であったら、と望んでいるわけでもない。例えるなら、乱暴に肩を揺らされて夢から覚めた様な心地。あるいは、清純派女優の未成年喫煙スクープを覗いたような気持ちであった。

 レンのホストとしての生半可な考えに憤りを感じているのだ。

 途端に毛布に埋まるスマホから音が鳴る。着信の様だ。桃子はスマホを手に取った。画面には『レンくんからの着信』と表示されている。

 桃子は今レンの声を聞いてしまえば、きっと当たり散らすだろうと分かっていた。しかし、着信音は止まない。

 桃子は画面をタップした。


「レンくん…」

「あ、桃ちゃん」


 レンの声は変わらず、明る気だった。


「最近、来てくれないけど何かあった?」


 桃子はぎゅっと噛み締めていた唇を開けた。


「桃、もうレンくんに会わない」


 すると、僅かな沈黙が流れる。電話越しに微かに何かの曲が聞こえる。


「なんで?」

「この前、見た」

「何を?」


 桃子は震える唇をもう一度ぎゅっと噛み締めた。


「レンくんが女の子とホテル入ってくの」


 声は桃子が思った以上に震えていた。レンは何も言わない。


「なんで黙んの?本当の事だから?」

「桃ちゃん、違うよ」

「違くないじゃん。じゃあ、俺じゃないよって否定しなよ」


 桃子は矢継ぎ早にいう。桃子がレンに抱いた僅かな期待は沈黙によって壊された。


「ほら、言えないじゃん」

「桃ちゃん、俺も男だよ?」


 レンは笑いながら言った。

「仕方がないじゃん」と開き直る様な口ぶりでつづけた。

 途端に桃子の怒りが沸点に達した。


「おまえ、そういうことじゃねぇんだよ!桃は別にレンくんが誰とやってようがどうでも良いんだよ!やってればいいよ!けどホテルに入る瞬間だとか、そういう夢を壊す様な場面を見られんなって話なの!ホストとしての意識の低さにムカついてんの!」


 言い切り終えると桃子の息は上がっていた。はぁはぁ、と息づく中、レンの声は返ってこない。


「ねぇ、聞いてる?」

「ごめん桃ちゃん、ちょっと電波悪いみたい。メッセージ送る」

「まって、レンく…」


 レンは一方的に電話を切った。途端に桃子の身を静寂が包み込む。


「レンくんヤダ…」


 桃子は自身の震える腕をぎゅっと握る。


「桃を独りにしないでよ…」


 桃子は震える体を振り切り、机に散らばる札束をリュックに詰め込む。そして、スマホとリュックを持って家を出た。

 いつもの輝きを放つ歌舞伎町で桃子は人混みを駆け抜ける。肩がぶつかってよろけようが、罵声を浴びせられようが構わず走り続けた。はぁはぁ、と息が上がり、喉が痛み、血の味が滲もうともその脚は止めなかった。

 ようやく見慣れたビルが目に入る。光を放つデカデカとした看板には桃子を迎える様にレンが微笑んでいる。


「レンくん…桃、来たよ」


 そして桃子はまっしぐらにビルに向かって駆け出した。途端に右方から強い光が桃子を照らす。桃子は光の中でレンの顔を捉えた。

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