第29話 桃子だから出来ること
福を見送ったのち、桃子は竹千代の部屋へ向かった。先に訪ねていた紫乃は床で寝込んでいる竹千代の傍に座っていた。
「桃子様」
紫乃は桃子に気がつくと、静かに言った。
「福様は行ってしまったのですね」
「うん…。ご飯は?」
紫乃は惜しげに首を振った。竹千代は食す事も拒絶していた。
「ちよたん、ご飯食べよ」
竹千代は返事もしない。桃子は、はぁ、と吐息をついた。
そして、ありのままの言葉で
「ちよたん、死にたいの」と聞いた。
すると、背を向けていた竹千代が桃子の方を向く。目元が酷く腫れていた。
「余の命に価値などないのじゃ」
そう口にする竹千代に桃子は「そっか…」と言葉を溢す。
桃子は自身が死んだのか転生したのか、あやふやな状態であった。しかし、どちらにせよ元の世界に戻ることができても車に轢かれたのだから死が目前なのも確かであった。
恨み深いレンにも疎遠となった父や母にも、もう会うことができない。そんな桃子だからこそ言える言葉があった。
「ちよたんは、大切な人にちゃんとありがとうの言葉伝えられた?」
桃子の問いに竹千代は首を横に振った。それを見て桃子は僅かに笑いながら
「だよね。桃も」という。
「何も言えないままこっち来ちゃったからさ。もっとちゃんと言葉にして伝えるべきだったなって思ってる」
桃子の事情を知っている竹千代は、静かに桃子の言葉に耳を傾けていた。
「今更なんだよね。本当、今更」
轢かれた日、桃子はいつものように変わらない日々を過ごしていた。死は突然訪れるのもだと桃子は気づかされた。
桃子は、消えてしまいそうな竹千代の命の灯火を救いたかった。離れてしまわない様に桃子は竹千代の体を包み込んだ。
「桃はちよたんが絶対に将軍になると思ってる。ちよたんは長男だし、生まれながらにして将軍じゃん!今更変えるかよって話じゃない?」
桃子の明るげないつもと変わらない声色にどんよりと重かった空気が心なしか晴れやかになった気がした。
竹千代は桃子に抱きしめられると思わなかった為、少し照れた様子である。しかし、桃子の温もりに不思議と心が穏やかになっていた。
「ちよたんは一人じゃないよ。誰よりもちよたんのことを想ってる福がいるし、ちよたん一筋な桃と、面倒見のいい紫乃だっている。他の女中だって、みんなちよたんのことを大切に思ってる」
桃子の言葉に竹千代は涙した。そしてこれまで自身のために尽くしてくれた女達の姿が浮かんだ——
吃り声を真剣に聞き汲み取ってくれた事や食わず嫌いを克服する為に様々な手立てを図ってくれた事など他にも様々な事が竹千代の脳裏を掠めた。
「桃子、ありがとう」
竹千代の心に死にたいという思いは無くなっていた。それと入れ替わる様に新たな気持ちが芽生える。必ず将軍となって、福や桃子、女中達に恩返しをする、と密かに心に誓ったのだった。
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