第28話 竹千代の葛藤
翌日早朝のことである。
桃子は福に呼ばれ、眠たげに目を擦りながら福の部屋を訪ねた。福は外出時の装いで桃子を待っていた。
「桃子、時期の様だ。本日、駿府城へ参る」
福の言葉に桃子は目が覚めた様子で
「え、どこ?」
と聞く。
「大御所様が隠居しておられる城だ」
「えっ!そんな急かさなくても」
「昨晩、竹千代が自身の喉元に刀を立てた」
「え」
「自害しようとしたのだ」
福は苦しげな顔で言った。
昨晩、福が自室にて休息をとっていると、廊下の方から激しくこちらへ向かってくる足音がしたという。
「福様!竹千代様が…!」
と息の上がった女中の呼びかけにより竹千代の寝室へ向かうと取り乱した竹千代が肩を震わせ刀を構えていたそうだ。
「竹千代!どうか、その刀を鞘に収めるのじゃ」
福は竹千代の気に障らぬよう慎重に声を掛けた。
「いやじゃ!」
竹千代は大きく首を横に振った。刀を握る手はぎりぎりと強く力が込められていた。
「余は…余の命は…価値がない!」
そう声を荒げて喉元に刃先を立てたのであった。福は竹千代の真っ赤に染まった瞳と心の叫びに身が震えた。
桃子は話を聞く間、ぎゅっと拳を握っていた。静かな怒りが彼女の心に燃え盛っているのだ。
桃子はこの騒動のきっかけが、庭園で見たお江与と国松の姿であったに違いないと確信づいていた。
すると、怒りで爪先が皮膚に食い込む桃子の拳をそっと福の手が解した。
「昨日、そなたが女中達に声明した事、しかと私の耳に入っておる」
「え…」
「そなたは誠に恐ろしい。しかし、そなたの成すことは全て竹千代を将軍へと導くカケラとなっておる」
桃子の痛々しく爪痕が残る手のひらを福は優しく撫でた。
「そなたは十分にやってくれた。あとは福に任せよ」
福の声は柔く優しくも芯のある声色であった。そして桃子は深く頷いた。
***
福は他の者に悟られない様、伊勢参りと称して駿府城へ向かおうとした。
「では桃子。行って参る」
踵を返す福であったが、ふと桃子の方を振り返る。
「もし、戻らなければその時は」
「大丈夫!ぜっったい福は無事に帰ってくる。そう信じてる」
桃子は福が最後まで言い終える前に言った。福は、ふっと笑みを浮かべ、駕籠へと入っていく。
桃子は福を乗せた駕籠が見えなくなるまで見送った。
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