第18話 ヤニ切れ

 騒動の後、誰も玉緒の話を持ち出すことはなかった。彼女の存在が元からなかったかの様に、平穏な日常が訪れていた。その平穏さは桃子の日常にも言えるはずだった。


「ねえ、紫乃」


 桃子はどこか気が焦っているように見える。


「何でございましょう」

 

 と紫乃が聞くと、桃子はチラチラと紫乃を覗き見ながら言葉を詰まらせていた。珍しく控えめな桃子に紫乃は返って恐怖を感じた。


「桃子様、如何なさいました…?」


 紫乃が恐る恐る伺うと、桃子が決したように声を上げた。


「未成年の子に聞くのって良くないかもなんだけどさ、たばこ無いの…?」

「へ?」

「桃ちょっとね…ヤニ切れでイライラするの」


 桃子、生前はセッター愛煙家であった。その為、ふと退屈な時間が訪れると口に侘しさを感じ、タバコの味を求めてしまうのである。

 

 紫乃はもっと深刻なこたえが返ってくると思っていた。あまりにもくだらないこたえに息をつく。


「近々、商人がいらっしゃいます。その際に購入しては如何でしょうか」


 投げやりな言い方ではあったが、桃子にとっては貴重な助言であった。

 すると紫乃は「しかし」と桃子の浮かれた心を咎める。


「桃子様。表向き、たばこの売買及び耕作は禁止されています。城内での喫煙もです」


 紫乃は冷たい笑みを浮かべながら言う。


「え、なんで」

「たばこは城下では嗜好品として好まれています。故に現金収入を得ようと、たばこを栽培する農家が増え、年貢米の確保が困難になるのではないかと案じているのです」

「でも商人売りに来るの?」


 紫乃は桃子の耳元に囁く。


「奥内でも桃子様のようにたばこを好む方がいますゆえ、内密に入手しております」

「なぁんだ、なら大丈夫じゃん。桃もナイミツに吸っちゃお〜う」


 桃子のあっけからんとした態度に紫乃は苦笑を浮かべた。


 ふと、襖の外から声が掛かる。


「入っていいよ」


 と桃子が返事すると、襖が開き、三人の女中が大荷物を抱えて入ってきた。ドンっと桃子の前に置かれた米俵。桃子は「なになに」と困惑の声を上げた。

 すると、女中の一人が言う。


「給金ございます」


 女中は膨らみのある赤地のちりめん布を桃子の前に出した。そして、布に包まれたものが現れる。それは小判であった。

 厚く積み重なった小判の価値がどれほどのものか、桃子には分からなかった。

 女中達が去った後、桃子は紫乃に尋ねた。


「紫乃、これタバコいくつ買える?」


 桃子は小判の価値をたばこで計ろうとした。


「たばこは八文程度ですので、ゆうに三万は買えます」

「三万!?」


 桃子はあまりの巨額さに目を剥いた。桃子の給金額、四十両は桃子が生きた時代では、おおよそ三百万円である。


「桃、ここに来てから起きて食べて寝ての生活だよ!?こんな貰えるの!?人生楽ゲーすぎん!?」


 紫乃は呆れた顔つきで、

「桃子様、まさか全額たばこに費やすおつもりですか?」

 と問う。


「まさか〜。桃、いま頭の中で使い道考えてるから」


 桃子はそろばんを弾くような仕草をしたそして、使い道が決まったようで、

「はやく商人来ないかなぁ〜」

 とご機嫌な桃子であった。

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