第3話 リョウ

 この街を出よう。

あの女にカードを渡された翌日も、男は未練たらしく組合本部付近に赴いた。

当然のごとく女を見つけることはできず、その日の夜、適当に入った酒場で男は酒を飲みながらそう思った。

瞳が紫という多少毛色は違うものの、たかが色無しの女1人に何を自分はこんなにも執着しているのか。

明日この街を出て、あの女のことは忘れよう。

そう思いながら、男は目だけで店内を見渡した。

明らかに組合員だと分かる、何かしらの武器を見に付けた粗野な男たちで溢れた店内。

昨日買った女といい、この店といい、己に「適当」と言い聞かせているが、その実違うことは自分が一番分かっていた。

この店だって、適当になど選んでいない。

わざわざ組合員が多くいる店を選んでいる。

呆れて物が言えないとはまさにこのことだなと、内心自嘲しながら男が煙草に火をつける。

また今日も適当に女を買うかと、不味そうに酒を飲み干した男が席を立とうとした時、男のテーブルに組合員らしき男が2人座った。


「おう、お前、あの色無しの女に声掛けてただろ?」

男はそれには何も答えず、無表情で声を掛けて来た組合員の男の顔を見つめ、煙草の煙を吐き出した。

何も答えない男には構わず、組合員の男は続けた。

「悪いことは言わないからあの女に手ぇ出すのははやめとけ。痛い目に合うぞ。」

そうだと言わんばかりに、連れの男も頷く。

「人違いだ。消えろ。」

無表情のまま男がそう言うと、男たちは気分を害したように一瞬黙ったが、すぐに男を睨み付けた。

「人違いなもんか。お前のその目立つ髪の色。昨日、組合本部の近くで色無しの女に声掛けてたのはお前だ。俺たちはこの目でちゃんと見てたんだよ。」

「お前、よその街からきたばっかの新参者だろ?あの女のことを知らねえ奴はよくあいつにちょっかい出すんだよ。」

口々に男たちがまくしたてるのを遮るように、男が能面のような顔で言った。

「不愉快だ。その口を閉じて、とっとと去れ。」

男たちが怒りに顔を歪める。

「てめえ!俺たちゃお前のためを思ってわざわざ教えてやろうとしてんだぞ!いいか!?あの女はな…!」

組合員の男はその先を続けることができなかった。

組合員の男の悲鳴が響き渡り、店内が一瞬静まり返る。

何事かと客たちの視線が集まる中、組合員の男の口に煙草を押し付けたまま、男が相変わらず能面のような顔で言った。

「その口を閉じろと言ったのが分からなかったのか?」

激高した男たちが怒声を上げ、男に殴りかかろうと立ち上がろうとする。

しかし、男たちは立ち上がることができず、怒声もまた男たちの悲鳴に変わった。

手のひらとテーブルを短剣で縫い付けられた男が悲鳴を上げ、頬に短剣の切っ先を突き刺された男が呻く。

周りの客たちの喧嘩をはやし立てる野次や、喧嘩するなら外でやれと言う声を無視し、男は短剣を握っている手首を薙いだ。

頬を切り裂かれて絶叫する組合員を、立ち上がった男が蹴り倒し、手のひらを短剣で縫い付けられているもう1人の組合員の髪を掴むと、テーブルに顔を叩きつけた。

「頼んでもいないことをベラベラとうるさいな、お前ら。」

血を流し、動かなくなった男たちを見下ろした男は、能面の顔でそう言い捨て店を出た。


「あの女がなんだっていうんだ…!」

ロクでもない男の愛人だから手を出すなとでも言いたかったのか。

「クソっ!」

あの女が誰かの愛人だろうが、そうでなかろうが、どちらにせよあの女に関わってもロクなことはない。

明日、街を出る。

男は眠れないまま、安宿の染みだらけの天井を睨み続けて夜を明かした。


翌日、宿を引き払った男は1つだけの小さな荷物を持って、街を出るために歩いていた。

街を出る前に、最後にもう1度だけ。

そう思う自分に殺意さえ抱きながら組合本部まで来たとき、己の目に映ったものが信じられず、男は思わず息を飲んで足を止めた。

男の視線の先―以前、女と大男が組合本部から出てくるのを男が待っていたあの場所で、女が壁にもたれて煙草を吸っていた。

あの日の男のように。

女の足元には数本の吸い殻。


女は男を一瞥すると、吸っていた煙草を足元に捨て、そのまま歩き出した。

男は女の後を静かに歩き出した。


女は後ろを振り返ることなく、前を見据えて歩き続け、やがて以前女が消えた路地に入った。

人気のない路地を行く、ピンと伸びた女の背中を見ながら男は無言で歩き続けた。

どこへ行こうというのだろう。

やはりこの女はロクでもない男に囲われている愛人なのだろうか。

この先で、自分を殺そうとする男たちが待っているとでもいうのだろうか。

別段、何人いようが殺される気はしなかったが、もし殺されてもまあいいかと思った。

どうせロクな死に方はしないと思っているし、この街を出たら死の森へ行こうと思っていた。

もしこの先で死ななかったら。

その時は、この女を犯すのもいいかもしれない。

少し、男の胸が高揚した。


路地に入ってからも、女は1度も振り返らず、何も話さないまま歩いた。

しばらく進むと、ゴミが散乱する誰もいない小さな広場に出た。

女は広場の端にあるゴミ箱の上に足を組んで座ると、煙草を取り出し火を付けた。

男も、女から少し離れた場所で足を止めると煙草に火を付ける。

2人は無言で見つめ合ったまま煙草を吸っていたが、やがて女が口を開いた。


「アイシャの店には行ったのか?」

「…アイシャ?」

「こないだくれてやっただろう。カードの店だ。」

「行ってねえ。」

「なんだ行ってないのか。色無しの女を抱きたかったら行けっていったじゃないか。」

「色無しの女を抱きたいわけじゃない。」

「昨日、男2人を痛めつけたんだってな。」

「知り合いか?」

「顔も知らない。」

その後、女は何も言わず、男を見たまま煙草を吸っていた。


予想に反して誰もいなかった広場。

男が探していることを知っていた女。

男を待っていた女。

男を誰もいない広場に連れて来た女。


男と女が短くなった煙草を足元に捨てる。


もしかしてこの女は。


男が酷薄な笑みを浮かべた。

「なあ。一発ヤらせろよ。」

座っていたゴミ箱から立ち上がった女が、無表情のまま返す。

「色無しの女を抱きたくなったのか?」

「違う。お前をヤりたい。」

女が口の端を釣り上げて笑った。

初めて見た、無表情ではない女の顔。

初めて見た、女の笑顔。

悪くない、と男は思った。

それがたとえ、明確な殺意を持った笑みでも。


「私より弱い男とはヤらない。」

「へえ?なら今すぐヤらせろよ。」


やはりこの女は。


獰猛な笑みを浮かべたまま女が言った。

「だから、死ね。」

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