第2話 リョウ
翌日、男は昨日女と出会った場所に戻って来ていた。
「馬鹿馬鹿しい。」
そう馬鹿馬鹿しい。分かっている。
忌々しく呟いた通り、自分でも分かっているのだが、足を止めることができなかった。
1日中その周辺を歩き、時に留まり、黒髪で紫の瞳の女を探し続けたが、結局女を見つけることはできなかった。
どうせこの街でやりたいことなど何もない。
だから暇つぶしに、到底見つけられるわけがない女を探してみるのもいいではないか。
男はそう自分に言い聞かせ、同時に自分は心底馬鹿だと思いながらも、男は連日女を探し続けた。
そして4日後、男は女を見つけた。
「…いやがった。」
しかし、女は男と歩いていた。
長身の男ですら見上げるような、スキンヘッドに筋肉の塊のような大男。
あの大男に女は囲われているのかもしれないと思った瞬間、男の心に激しい怒りが沸いていた。
自分でも思いもよらなかった感情に、男は狼狽えた。
女は色無しで、娼婦でなければ誰かに囲われていたっておかしくはない。
しかし、そのことは一瞬でも頭をよぎらなかった。
なぜならば、女にそのような生き方は似合わないから。
誰かの愛人になるような女ではないから。
そこまで思って男は自嘲の笑みを浮かべた。
「俺は何を馬鹿なことを。」
女のことを何1つとして、名前すら知らないというのに何を勝手に決めつけて、腹を立てているのか。
気持ちを切り替えるように大きく息を吐き出した男は、女と大男の後を追った。
しばらく歩いた後、2人は1つの建物の中に入っていた。
2人が入っていた建物を確認すると、そこは職業斡旋組合本部だった。
「組合員なのか。」
なるほどと男は思った。
組合員ならば女のあの程よく筋肉の付いた均整の取れた体と、体幹がしっかりしていることが分かる体の動きも理解できる。
しかし、すぐにその考えを打ち消した。
女は色無しだ。魔力がない。
ゴミ拾いや掃除などを請け負う組合員なのであれば、体を鍛える必要はない。ドライバーであっても同様だ。
荷物持ちだとしても、魔力がなく身体強化が使えないことを考えれば、あの程度の筋肉で持てる荷物などたかが知れている。
戦うにしては筋肉が足りない、しかし戦わない組合員にしては体が鍛えられている。
ちぐはぐで中途半端。
苛立つ心を無視して、あの男に囲われているのではなく、組合チーム所有の性奴隷かとも思った。
だがやはり、それならば体を鍛える必要はないし、女自身が組合本部に来る意味がない。
考えても仕方がない。
男は小さく頭を振るとその場から離れ、組合本部の出入り口が確認できる場所に移動し、女と大男が出てくるのを待った。
「本当に俺は何やってんだ。」
煙草を吸いながら、組合本部の出入り口を睨むように見ていた男が呟く。
「見ず知らずの女を追いかけまわすとか変態だろ。」
今すぐこの場所を離れろ。
そう思うものの、男はその場から離れられず、出入り口を睨む視線を外すこともできなかった。
男が3本目の煙草に火をつけた時、2人は出てきた。
建物を出てすぐ、女と大男は軽く手を上げるとそれぞれ逆方向に歩き始めた。
大男が男のいる方へ、女は反対方向へと歩き始める。
チャンスが来た、という声とともに、女を追わずに今すぐこの場を去れという声が聞こえる。
「くそっ。」
忌々しそうに煙草を足で揉み消し、男は女の後を追った。
「よう。また会ったな。」
しらじらしいことを。この4日間、女を捜し歩いていたくせに。
自分で自分を罵倒しながら、軽薄な表情を顔に貼り付けて女に声を掛けた。
女はちらりと男を見たが、すぐに興味をなくしたように前を向いて歩き続けた。
「なあ、無視すんなって。ちょっと話しようぜ。」
男がそう言うと、女が突然ぴたりと足を止め、男の顔をじっと見た。
話をしよう、そう声を掛けつつも、女が足を止めるとは夢にも思っていなかった男は虚を突かれ、軽薄な表情を張り付けることを忘れて、じっと見てくる女の顔を見返した。
せっかく女が足を止めたのだ。
何か言わなければ。
そう思っているのに、男は口を開くことができなかった。
女が男の顔から視線を外すことなく、腰につけている小さなポーチに手を伸ばし、何かを取り出して男に差し出した。
男がそれを受け取らずに女の顔を見続けていると、女も男の顔を見上げたまま、突然男の右手を取った。
しっとりと暖かい女の手に握られた男の手に、女がもう片方の手に握っていた何かを乗せると手を離した。
離れていった女の体温を名残惜しく感じながら、男がようやく女の顔から視線を外し、女から乗せられたものを見た。
それは上品な薄紅色をした1枚のカードだった。
カードには何かの店らしき名前のみが書かれていた。
「色無しの女を抱きたければそこに行け。私なんかより美人な、化け物揃いの色無しの女がいるぞ。ああ、男の色無しももちろんいる。お前なら男も女も喜ぶだろうさ。私の紹介だって言えばすぐに店に入れてもらえる。アイシャって娼婦には気を付けろよ。化け物中の化け物だ。」
少し低めの感情の乗らない落ち着いた声。
初めて聞いた女の声は、妙に男の頭をしびれさせた。
いや、しかし。
「は?」
女の言葉が頭に染み込み、男が我に返った時には既に女は歩き出し、路地に入っていくところだった。
男が慌てて女を追いかけて路地に入るも、女の姿はまた消えていた。
「くそがっ!」
安宿のベッドに横になった男は、忌々しそうに女から手渡されたカードを見ていた。
自分の紹介だと言えばいいと女は言ったが、女の名前を知らないのにどうしろというのだ。
違う、分かっている。
別に女の名前を言う必要はないのだ。
色無しなのに瞳が紫の女。
それで通じるのだ。
そう、男は分かっていた。
別に女を探して歩き回る必要ない。
黒髪で瞳が紫の女。
そう聞いて回るだけで、女のことはすぐに分かるはずだ。特に今日は女が組合本部に出入りしていることが分かった。
だから組合本部で、もしくはその辺の組合員に女のことを聞けばすぐに分かる。
だが男はそうしたくなかった。
女の口から女のことを聞きたかった。
何故こうも腹が立つのか。
あの女のことを抱きたいと思ったことはない。
それなのになぜ、あの女の手の体温を未だに名残惜しいと思ってしまうのか。
しっとりとした女の手。
なぜあの肌の感触を味わいたいと思ってしまうのか。
女から手渡された薄紅色のカードを握りつぶして忌々しげに床に投げ捨てる。
舌打ちした男は体を起こして部屋を出た。
あのカードとは無関係の店で、適当な女を男は買った。
色無しの気の強そうな顔立ちの女を乱暴に抱いても、男の気は全く晴れなかった。
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