第14話 熊をも昏倒させる薬(※ジュード視点)

 昨晩、医者と厩の責任者を呼んで、なんとか眠る方法はないかを相談した。正確には、厩の倉庫にある、熊でも眠るという麻酔薬を服用してもいいかという相談だ。


 私がイライラしたり、ミナに何の感慨も抱かなくなったり、ルーニアのことばかり考えてしまうのが、眠れないせいだと思いたく無かった。


 私は正常な頭でルーニアのことを今一度考え、その機会をくれたミナに悪感情を抱くことなく接し、誠実な対応をしたい。決して自分の人生の犠牲者にルーニアをさせたくないし、ミナへの気持ちが冷めたのかどうかを、まさか寝てないからだとか、五感が過敏だとかで済ませるのは失礼すぎる。


 ルーニアを求めているのか、ただ睡眠というものを求めているのか、自分の中ではっきりさせなければならないと思った。これではどちらにしろ、謝りに行くことなんてできない。誠実でない謝罪に何の価値がある?


 と、いうわけで、なんとか二人を説得して、私は薬をあおった。人間なら即座に気絶するらしいので、ベッドの上で。


 ……結果、私には睡眠薬は効かない。全く眠気も来なければ、倦怠感もないし、体の重さも感じない。健康体だ。


「くそっ……!」


 自分の膝を叩く。痛くも無い。眠れていない今、思考が混線してきているのがわかる。この感覚は覚えている、生まれたばかりの時に味わった、自分の周り全ての情報がぐわっと入り込んでくるような感覚。


 身体……つまり、脳も健康だ。なのに、精神はついてこれない。感情の制御があやふやになり、今とても人前に出られる状況じゃない。


「殿下、失礼します。お話したいことがあります」


「……なんだ。この愚かしい者を廃嫡することでも決まったのか」


「殿下……」


 入ってきたのは宰相だった。私の神経が過敏になっているのを知っているからだろう、とても静かに動き、声も穏やかだ。


「殿下、2つのご報告があります。良い報告と、どちらかといえば悪い報告です」


「……では、悪い方から」


 ルーニアが私の元に戻るのを嫌がって新しい婚約者でも見つけたのだろうか。あれだけ美人で気立がよく、マナーもあって男を立てる女性だ。驚かないぞ。……おかしい、健康体なのに、胸が引き裂かれるように痛い。


「ペリット子爵令嬢が陛下の勅命に背き、殿下が婚約破棄を申し入れたことを『殿下は婚約破棄をされて私と婚約するの』と話しました。それを笠に着て、ペリット子爵夫妻は遣わせた官僚に無体を働いています。この事実を以て、ペリット家は爵位を失い平民となります。これ以上、直轄地の領民に負荷はかけられません。殿下は王太子であり唯一の王子ですので、残念ながらペリット子爵令嬢とは結ばれることはないでしょう」


 どちらかといえば悪い報告……はは、そうだな。宰相には初めからお見通しか。


 ミナと離れられると聞いて感じたのは、安心感。とてもじゃないが、あの不協和音と一緒に暮らすことはできない。酷い男だ……ルーニアが戻ってくる価値がない。私はこの狂いそうな精神状態を健康体のまま、なんとか平常心に戻す訓練をしなければいけない。


「で、良い報告というのは?」


「私の手の者をルーニア様にはつけています。ルーニア様が声を掛けるまでは悟られないように……あの時のルーニア様はショックを受けており、その事は忘れているでしょう。そこで、リューク殿に協力をあおぎ、ルーニア様のお気持ちを確かめました。……お許しになるそうですよ、殿下が誠心誠意謝り、ルーニア様を心から愛しているのなら」


 私は背を向けて話を聞いていたが、目を見開いて宰相を見た。


 嘘を言う男ではないが、ルーニアが許すような……いや、ルーニアは許してはいけないような事を私はした。そうだ、許してはいけないんだ、ルーニア。


「そ、れは……まことか?」


「リューク殿に嘘をつくルーニア様ではございません。あの方もあの方なりに、反省すべきところがあった、と申していたとか……」


「ルーニアに瑕疵など無い! っ……あ、すま、ない」


 思わず大きな声が出てしまった。


 涙が溢れてくる。彼女をそこまで傷付けてしまった。加護が無い私たちはきっと出会うことも無かっただろうが、加護のない私たちはもっとあり得ない。


 私たちの一部だ。左腕は利き腕ではないから無くてもよかった、などと思う者がいないように、加護は不便だからいらなかった、とはならないのだ。


 加護があって、出会い、そして共に暮らしてきた。


 私の頑健の加護は私の身体の健康、身体能力、感覚器官の強化、……そして、近くにいる者の健康に影響する。


 年々強くなる力は、私の体から溢れ出て、近くにいれば健康でいられる。まるで、私が健康に生きている間、一緒に健康で生きていられるようにとでもいうように。


 いっそ、自身の精神の健康にも作用してくれればいいのに。しかし、それはきっと違うのだろう。健康で間違わない心とは、書物に書かれた勧善懲悪の物語と何が違うというのか? そもそも、間違いを、失敗を、敗北を知らない心は成長するのか?


 この引き裂かれるような胸の痛みを知らずに他人の気持ちを考える事ができるのか? 生まれながらに健康な心とは、生まれた時から不健康な心ではないだろうか。


 頑健の神の加護が肉体にしか作用しないのは、私が幼い頃から幾度となく感じた悔しさや悲しさ、必ず達成してみせると歯を食いしばった全ての精神の成長を妨げないためだとしたら。


 私は今、ルーニアを傷付けた胸の痛みを知っている。


 私は今、ルーニアが許すと言った心に涙が出るほど感謝し、そんな資格など無いと己を嫌悪している。


 ミナの事が頭から飛んでしまっている。とてもじゃないが、今はそちらに構っている余裕はない。


「ば、馬車を……ルーニアの所へいく! 馬車を頼む!」


「かしこまりました、玄関でお待ちください」


 宰相はまた、音もなく去っていった。


 胸が、おかしい。バクバクと心臓が速くなっている。高鳴りではなく、高揚でもなく、この感覚は……恐怖。


 私は、ルーニアに謝る事しか考えられなくなっていた。どうやったら彼女の傷が癒えるのか、私がその傷を受ける事ができるのか。


 玄関まで歩きながら、私の思考はどんどんと絡んでいった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る