第19話 ちょっと思い出してみる みっつめ ~伯爵の過去~


「辺境警備って.....っ! 国境防衛ではないですかっ、魔族と戦うのですよね? そんな.....っ」


 あまりのことに眼を見張り、瞳を震わせる妹。

 母親は言葉もなく、マルセルやソフィアも固い面持ちでウォルターの話を聞いていた。


「でもその分、俸禄は良いのだよ。税収が見込めないってだけで」


 そう。貴族には、領地の税収の他に王宮から支払われる俸禄がある。領地のない今の伯爵家では、無いも同然の俸禄だが、広大な辺境を治めるとなれば、その金額は跳ね上がるのだ。

 しかも国境防衛の最前線。危険な分、手当てもつく。


「俸禄のうち半分を慰謝料へと当てて、残り半分でヒュー達の学費や婚姻費用を賄えるんだ。悪い話ではないだろう?」


 国王陛下はそのように約束してくれた。

 今まで微々たるものでしかなかった俸禄だ。それも慰謝料返済にあてられていて、冒険者での稼ぎよりもかなり多くの俸禄を得られるとなれば、ウォルターは頷くしかない。

 少なくとも弟妹の学費と婚姻費が保証されるのは有り難かった。

 さらには、自分に万一があった場合は、国王陛下が家族の後見人になってくれると書面で確約もしてくださったのだ。

 これは、魔族との国防に携わる辺境領主ら全てに行われる保証である。美味い餌をぶら下げ、いつもなら何処ぞの貧乏貴族に、王宮は辺境領地を押し付けるのだが。

 我が家が困窮していることにつけこまれたのだろう。この話が、何故かウォルターにもたらされた。

 過酷な最前線の領地では、今までも十年ともった領主はいない。大抵は疲労困憊で病に伏せるか、激しい戦いの中で命を落とすかのどちらかである。

 ある意味、体の良い厄介払いな領地。


 それを知る家族の顔が暗く淀む。思わずいたたまれなくなり、ウォルターはマルセル達を振り返った。


「私がおらぬ間のことは頼んだ。ヒューには当主代行をやってもらってくれ。元々、騎士志望だった私よりも、文官を目指している弟の方が社交にも長けておろう」


 領地がなくとも爵位はある。仮にも伯爵家だ。それなりに社交もしなくてはならない。


「畏まりました」


 恭しく傅く老いた家令に安堵し、ウォルターは単身で辺境へと向かう。


 一人旅立つ彼につけられたのは、こじんまりとした馬車と一人の馭者。

 軽く嘆息しつつ、馬車に乗り込んだウォルターを、涙目で見送る家族達。


「かならず.....っ、かならずお帰りになってください、御兄様ーっ!」


 後ろ髪をひかれる妹の声に軽く手を振り、ウォルターの馬車は辺境へと駆け出した。


 .....のだが。




「なぜ、.....君がここに?」


 王都にほど近い街の宿屋前で、彼は驚愕に眼を見開いていた。


 彼の前には元婚約者。子爵令嬢のサンドラだ。


 やれやれと言った風情で佇む彼女に、ウォルターは二の句がつげない。


「.....結局、頼ってくださらなかったわね、あなた」


 はああぁぁ~っと長い溜め息をつき、彼女は彼を宿屋の中へ招き入れる。

 すでに部屋は取ってあった模様で、おっかなびっくり中に入ったウォルターは、彼女に言われるまま、テーブルに着いた。

 用意されていたティーセットで紅茶を淹れつつ、サンドラは恨みがましげに彼を見つめる。

 その顔は拗ねたような、呆れたかのような、子供っぽい顔だった。理性的で真面目な彼女にしては珍しい表情だ。

 彼女の淹れた紅茶を受け取り、ウォルターはあらためて、何故ここに居るのかと問う。


「.....わたくしね? 貴方が頼って下さるのを待っていたのよ?」


「頼る? 何を?」


 心底分からないとまでに紅茶をすするウォルター。それに全身で脱力し、彼女は説明した。


 なんとサンドラ、この一年で多額の資金を稼いでいたらしい。それも伯爵家のために。

 色々とウォルターの暮らしを調べ、慰謝料返済の目処がたちつつあるのを知り、待っていてくれるか? と彼が訪ねてきてくれるのを期待していたとか。

 そうしたら、自分の稼いだ金子のことを話して、持参金としてウォルターに受け取って欲しいと話すつもりだったらしい。


「なのに、貴方ってば.....っ! 辺境行きと聞いて、心臓が止まるかと思ったわよっ?!」


 彼は思わず呆ける。


「いや、だって.....っ! 婚約は白紙にしたじゃないかっ!」


「わたくし、お待ちしてますって言っておいたわよねっ?!」


「だからと言って..... 返済の目処がたったとはいえ十年もかかりそうなのに、待っていてくれとは言えないよ?」


「言って欲しかったわっ! せめて聞くくらいはしても宜しくありません? 貴方にとって、わたくしは、そんな程度の存在でしたのっ?」


「そんなことはないっ! 君に迷惑はかけたくない一心だったんだからっ!」


 そうだ。今回の件で、いの一番に彼女との婚約を解消したのは、彼女が大切だったから。

 絶対に迷惑はかけたくなく、即座に婚約解消を申し出た。

 同い年な彼女を待たせるとなれば、サンドラは三十歳近くになってしまう。娘として花開く美しい時間を奪ってしまうことになる。

 ウォルターと関係がなくなれば、彼女は新たな婚約者も持てるし、楽しい人生を送れるだろう。


 そう考えての事だった。


 切々と訴える彼を胡乱げな眼差しで見つめ、彼女はバンっとテーブルを叩く。


「それって、全て、貴方の思い込みよねっ? わたくしの人生は、わたくしのモノよ? 何が幸せかなんて決めるのは、わたくしなのっ! わたくしの幸せには、貴方が必要ですのっ!」

 

 キッと彼を見据える藍色の瞳。見ようによっては黒にも見える複雑な色合いの彼女の瞳は、薄く涙でけぶっていた。


「貴方のお心は存じております。わたくしのために離れようとしてくださったこともね。でも、そんなの関係ないの。貴方が借金持ちだろうが、王家から不興をこうむっていようが、わたくしは貴方の御側にいたいのですっ!」


 慰謝料返済に協力すると言っても、ウォルターは絶対に頷きはしまい。ましてや、ただ金子を渡すだけでは、彼に重荷を背負わせてしまう。

 それではまるで、サンドラが金で彼を縛り付けるようなモノだ。


 だから、彼女は待っていた。ウォルターの周りが落ち着き、彼女のことを思い出し、やはり一緒になりたいと言い出してくれるのを。

 待っていてくれ、必ず迎えに来るからと、彼女を訪ねてくれることを。


「そうしたら、持参金として慰謝料返済に足る金子を持ち込むつもりでしたのに.....っ」


 サンドラは悔しげに呟く。


 そんなことは思ってもみなかった。ウォルターは、彼女から完全に離れるつもりだったのだ。

 自分の存在は、彼女にとってマイナスでしかない。彼女には、自分のことなど忘れて、新たに幸せな人生を送って欲しかった。ただ、それだけだった。


 そう説明するウォルターに、彼女は鼻白んだ顔をする。


「では、逆に聞きますわ。貴方、わたくしを忘れておられて?」


 ウォルターは、ギクッと肩を震わせた。


「わたくしを忘れて、思い出しもせずに毎日暮らしておられまして?」


 彼は無言で眼をそらす。


 そんなこと有るわけがない。


 季節の花を見ては。彼女と似たような女性と、すれ違っては。.....思い出すのは彼女のこと。

 今頃どうしているか。この季節は、いつもなら花を見に公園へ出掛けていたな。

 もうじき、彼女の誕生日だな。去年贈ったドレスを今でも着てくれているだろうか。


 などなど。気づけば彼女との思い出がそぞろ浮かぶ。


 一日たりとて忘れることなどなかった。


 そんなウォルターの心情を察したのだろう。無言は何よりも雄弁に彼の胸中を物語る。言葉にせずとも伝わったようだ。

 

「貴方、わたくしも同じだとは思わないのですか? 貴方が冒険者となって魔物退治に明け暮れていると聞き、どれだけ、わたくしが心配したか。怪我をしてはいないか、ちゃんと食べられているのか、.....気が狂わんばかりでしたわ」


 そこでようやくウォルターは彼女の言わんとすることを理解した。

 同じなのだと。今も昔も変わらず、ウォルターを愛しているのだと。


「婚約なんて紙切れ一枚のことではございませんか。そんなモノより確かなモノが、わたく達の、ここにございましょう?」


 彼女は己の豊かな胸を押さえ、ウォルターを切なげに見つめる。ウォルターも無意識に己の胸を押さえた。


 .....確かに。


 自分にとって、彼女は何よりも大切な人だった。だからこそ離れたのだ。彼女に重荷は背負わせたくない。不幸にしたくない。その一心で。


 言っても良いのだろうか? 待っていて欲しいと。必ずし迎えに行くからと。

 己の願望だけではない? 彼女も同じことを望んでくれている?


「.....あっ.....と。じゃあ、その..... 待っていてくれるか? たぶん、五年くらいで慰謝料は完済出来ると思う」


 おずおずと探るように尋ねてきたウォルターを、不敵な笑顔の彼女がばっさりぶった斬る。


「嫌です」


「え?」


 どくんっと彼の心臓が大きく脈打った。


 やはり、もう駄目なのだろうか。散々待たせたし、彼女の望む言葉すら自分は与えてやれなかった。

 勝手な思惑で彼女を突き放して、どれだけ不安な思いをさせたことだろう。

 もはや彼女に見限られていてもおかしくはない。


 頓珍漢なことを考え、顔面蒼白なウォルターを見て、サンドラは悪戯げに微笑んだ。


「わたくし、もう待たないと決めましたの。どうせ、これだけ言ったって、貴方は金子を受け取ってはくださらないでしょう?」


 ぐっと詰まるウォルター。


 そのとおりだ。彼女が自分のために稼いでくれたとはいえ、莫大な金額。それを受け取ることを己は善しとしない。

 自ら完済して、身綺麗にしてから彼女と結ばれたかった。つまらない男の子矜持だが、それをせねば、一生心に蟠りが残る気がする。

 そんなウォルターの不器用な気持ちを彼女も理解していた。

 愚直なほど真面目な彼だからこそ、彼女は傍にありたいと思ったのだ。


 完全に諦めモードなウォルターの傍に近寄り、サンドラはその手を取る。


「わたくしね、もう待たないと決めましたのよ? だから..... 貴方の御子を下さいませ」


「はい?」


 すっとんきょうな顔で彼女を見つめるウォルター。


「もうね、呆れ果てまして。貴方がそのように自分の思うがまま進まれるなら、それで宜しいわ。わたくしも、やりたいようにやります」


 そう言うと、彼女はドレスを脱ぎ出す。慌てて立ち上がり、それを止めようとするウォルターを逆に抱き込み、テーブル横の寝台へと押し倒した。


「サンドラっ?!」


「決めてくださいませ。ここで、わたくしを妻とするか、突き放すか。ちなみに突き放した場合、わたくし、修道院に入ります。二度とお逢いすることはございません」


「えええええっっ?!」


 究極の二択。


「御子をいただければ、わたくしも生きていく張り合いがあると言うもの。何の確約もなく貴方を待つのは、もううんざりですわ」


「けどっ! そんな破廉恥なっ! 子爵殿に申し訳がたたぬっ!」


「そうですわね。貴方の御子と明かす気はないので、懐妊したら父に家を追い出されるとは思いますわ」


「だからっ!」


 馬鹿な真似はよせと言おうとしたウォルターの唇を彼女が塞ぐ。

 慣れ親しんだ婚約者の唇で、ウォルターは思わず頭が真っ白になった。

 夢にまで見た愛しい女性。その彼女の求めに、雄の血が逆流する。


「わたくしを舐めないでくださいませ。家がどうしました? 平民落ち上等。それで貴方が手に入るなら、なんでもいたしましてよ? わたくし♪」


 含み笑いをもらしつつ、さらに深く口付けてくる彼女に煽られ、ウォルターは男の劣情に負ける。


 こうして、彼女の求めに応じ、二人は三日三晩、爛れた一時を過ごした。


 しかし、ウォルターについていく気満々だった彼女を、彼は押し止める。


「それだけは駄目だ。辺境は過酷な土地。君に苦労をさせたくはないし、何より子が出来ていたら、あんな辺鄙なところで生ませるわけにはいかないよ?」


 ガンとして譲らぬウォルターに、渋々彼女も頷いた。


「でも..... その、必ず帰るから..... 子が出来てなくても、絶対に迎えに行くから」


 はにかむように微笑むウォルター。


 かくして二人は結ばれ、将来を約束する。

 

 不幸のドン底に咲いた一輪の花はウォルターは心の拠り所。彼は、彼女の想いに心からの幸せを感じた。


 そして死地へと単身赴く彼を、さらなる逆境が待ち受ける。


 彼の不遇は終わらない。

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