第17話 ちょっと思い出してみる ~伯爵の過去~


「まあ、晩餐まで寛いでくれ。報告や事情などは明日で良い」


 鷹揚に頷く国王に従い、謁見室を辞する伯爵や梅達。


 辺境からやってきた三人は、それぞれ別の部屋へと案内された。

 久方ぶりの王宮。豪奢な客間のソファーに座り、伯爵は己の過去を振り返る。


 思い出したくもない、嫌な過去を。


 

 

「.....という訳で、君と婚約を解消したいんだ」


「.....かしこまりました。そのように父にも伝えておきます」


 昼過ぎのカフェテリア。


 明るい日差しの中、向かい合って顔を突きつける二人は、丸テーブルに座り淡々と会話を交わす。

 政略ではない婚約者。幼馴染みの彼女を、彼は殊の他大切にしてきた。

 学院を今期卒業し、騎士団に勤めることも決まり、結婚まで秒読みだった二人。

 

 だが、それを覆す異常事態が起きてしまったのである。


「.....残念ね。その気になったらいつでも声をかけてちょうだい? わたくし、待っておりますわ」


 長い睫を切なげに震わせる婚約者を、まともに直視出来ない彼。

 こうしてオーエンス伯爵令息のウォルターとバルナスタ子爵令嬢の婚約は、恙無く解消された。


 原因は伯爵家の没落。前伯爵が多情で浮き名を流す美丈夫であったため、その浮き名の苗床とされた令嬢や夫人から訴えられたのである。

 学園を卒業したばかりだったウォルターは、ようやく成人したばかり。王宮騎士団で武官として勤める予定も白紙。

 順風満帆だった彼の人生は、いきなり転落の一途を辿る事となる。


 どうして、こうなったっ?!


 思わず頭を抱える彼だが、理由は聞くまでもない。全ては父の不埒が原因だ。


 ああああ、もうぅぅーっっ!!


 ウォルターは夕べの断罪を思い出して、心の中でのたうち回る。




「伯爵には謹慎を申しつけます。登城も、外出も禁止です。沙汰が下りるまで、邸から出ないように」


 昨夜、王女殿下から叱責を受け、ウォルターは背筋を凍りつかせた。

 殿下は優美な物腰で、何処から出しているのか分からないくらいの殺気をウォルターに向ける。なまじ整った美貌のため、その凄みが半端ない。

 王女殿下の説明によると、あの馬鹿親父は、王女殿下の侍女である侯爵令嬢にまで手をつけたらしい。

 しかも御令嬢は妊娠。そのため父伯爵の事が露見し、王女殿下の横に立つ鬼の形相の侯爵は、坊主憎けりゃ袈裟まで憎いとまでに、視線でウォルターの脳天をブスブスと灼いてゆく。


 い.....っ、痛い.....。顔を上げるのが怖いっ!


 幸か不幸か、面を上げよと言われなかったので、頭をジリジリ炙られつつ床を見つめたまま、ウォルターは謝罪を口にした。


「御詫びのしようもございません。父は隠居させ、私が誠心誠意を込め、出来得る限りの責任を果たしたい所存にございます」


 平身低頭。ウォルターは怒気を漲らせる侯爵と、冷やかな眼差しの王女殿下に頭を下げ続ける。


 見ている方が気の毒に思える若者の背中に、王女殿下も仕方無さげな嘆息を零した。

 豊かな金髪と、透き通った灰青の瞳。線も細く、それでいて出るところは出ていて、黙って座っていれば誰もが視線を奪われる美しき王女殿下。

 怒りに満ちたその顏すら、まるで一枚の絵画のようだから質が悪い。


 そんな益体も無いことを考えているウォルターの耳に、王女殿下の深々とした溜め息が聞こえる。

 懊悩する艶かしい吐息。これが断罪の場でなくば、ウォルターも眼福だったのだが。


「そなたに言うのも酷ではあるのだがな。.....ほんに忌々しいのは、そなたの父御よ」


 口許に当てた扇から、ミシリと音が聞こえ、ウォルターの凍った背筋に悪寒が走った。

 仕方無いと言いつつも、その怒りのやり場がなく、巡りめぐった矛先は、どうしてもにっくき男の息子に向いてしまうのだろう。

 未だにメリメリと悲鳴を上げる扇。王女殿下は侯爵令嬢と幼馴染みだと聞く。その彼女をたらしこまれ、さらには孕まされ、殿下の怒りは如何ばかりのモノか。


 そして、その背後に立つ侯爵からも、悔しげな呟きが聞こえた。


「.....起きてしまったことに取り返しはつかぬ。生まれる子供は養子に出す予定だ。もはや我が娘が嫁げる家もない。本人も修道院に行きたいと望んでおる。.....そなたの父御のせいでな」


 唾棄するような侯爵の口調に、返す言葉もないウォルター。だが、彼は思う。


 .....貞節も忘れて流され、関係を持った侯爵令嬢にも非はあるのではなかろうかと。


 侯爵令嬢には婚約者がいた。この国の第三王子だ。王子は臣籍を賜り、大公となる予定だったが、今回のことでそれも白紙になったのだとか。

 言っては悪いが、我が父は女性に無体は働かない。雰囲気に流され、行為をいたすことはあっても、乱暴をすることはないのだ。

 御互いの同意の元でしかお付き合いをしない、ある意味、生粋のたらしだった。

 申し訳ないと思いつつも、御令嬢の自業自得だとウォルターは心の中で嘆息する。


 まあ、流されたのも分からなくはないが。


 父伯爵は、滅多に見ない青みを帯びた銀髪に夕闇を思わせる黄昏色の紫眼。鼻梁も高く整い、そこに立つだけで、良くも悪くも衆目から視線の集中砲火を美男子である。

 居るだけで耳目を集め、流し目一つで女性を手玉に取る悪辣さ。

 父から言い寄ったことは一度もない。全ては女性側からのアプローチ。なので侯爵令嬢も、その口のはずだ。立派な婚約者がいるのに火遊びに興じた彼女にだって、責任はあろう。ウォルターには愚かとしか思えない。

 だが父も良い大人だ。思慮分別があって然るべきなのだが、本人にたらしだという自覚がないのが嘆かわしい。

 奔放というか、無邪気で素直な父伯爵は、女性からのアプローチを拒まない。想われて光栄だとばかりに、片端から関係を受け入れる。


 ウォルターは頭が痛い。


 この女性遍歴には母も長く泣かされてきた。ウォルターも顔をしかめ、それとなく忠告はしてきたのだが、父伯爵は不思議そうに首を傾げるだけ。


『一夜のお情けをと言われて断っては相手が可哀想ではないか。減るものでもなし、良い思い出となるよう、誠心誠意尽くさせてもらわないと男がすたるだろう?』


 これを本気で言っているのだから埒があかない。その結果が今の大惨事である。

 そんな父は、諺にもあるように、『色男、金と力はなかりけり』を体現するかのような人物だった。

 ウォルターの家は伯爵家と言っても末席で、ただ古く続いてきた家系という以外、特筆するような何かはない。むしろ、領地も狭く貧しく、貴族としての体裁を整えるのが精一杯な家である。

 ウォルターが武官として騎士団に入ることが決まり、ようやく一息つけそうだったのに、この惨澹たる有り様。


 おって沙汰を出すと言われ、謁見室を後にしたウォルターは、足早に王宮から駆け出していく。

 謹慎中と言えど、今はまだ伯爵な父。これ以上の馬鹿をやらせないためにも、資産凍結をしておかねばならない。


 件のやらかしから発覚したのは女関係だけではなく、なんとあの馬鹿親父、すでに隠し子も持っていた。

 しかも、それを援助するために、なけなしの財産を切り売りしていたのである。

 先祖伝来の古美術や領地の端を売ったりと、ただでさえ慎ましい伯爵家の財産を大幅に目減りさせてくれていやがった。

 沸々と沸き起こる憤怒が、ウォルターの背後に嫌な渦巻きを作る。ドロドロとした雰囲気を醸して歩く彼は、しばらくして新たな窮地に直面する。




「は.....? 金子がない?」


 あらかたの資産を動かせぬよう凍結して邸に戻ったウォルターは、出迎えた執事から有り得ない言葉を聞いた。大仰に頷く執事。


「精査してみましたところ..... あてに出来る金子は見つかりませんでした」


 ウォルターは父親を謹慎させてから、長く伯爵家に使えてくれていた家令に現状の把握を頼んでいた。

 彼は長年我が家を切り盛りし、与えられた金子で家計を回していたが、その流れがおかしいと前々から思っていたのだという。

 

「以前は税とは別の俸禄を、貯蓄として積み立てておられたのですが、今はそれが振り込まれている様子もございません。さらには、その貯蓄も崩されておられる様で.....」


 申し訳なさげな口調の家令の話を聞き、ざーっと血の気を下げるウォルター。

 領地の税は伯爵家や領地を回すのに使われ、国から支払われる俸禄を貯めて、オーエンス家は子供らの学費や婚姻費を賄っている。


 それが崩されているって.....


 これから見舞うだろう御令嬢らへの慰謝料や賠償を、そこから捻出するつもりだったウォルターは顔面蒼白。

 ドタドタと足音をたてて、謹慎中の父親の部屋へ飛び込んだ。


「父上っ!」


 ノックもなく飛び込んだウォルターの見たモノは、優雅な御茶に興じつつメイドを膝に乗せた父親の姿。

 ここまで綱渡り感満載で来た彼は、不謹慎なその姿に、何かが切れる。

 ブツンっと爆ぜた何かを感じたのか、あからさまに父親は狼狽えた。


「いや、これはなっ? 寂しかったので少し話し相手に.....っ」


「貴様、謹慎中だろうがぁぁっ! 何やっとるんじゃあぁぁーっ!!」


 言うが早いか、ウォルターはメイドをバリッとひっぺがして後ろに投げ捨て、転げたメイドを家令が連行していく。

 まるで阿吽の呼吸。悩ましい美丈夫の手管に踊らされていたメイドは、はっと我に返ったが後の祭り。

 僅かばかりの退職金と共に、彼女はその日のうちに伯爵家を叩き出された。


「あのなぁ? 現状を分かっておられますかね? 御家の一大事なんですがね?」


 真上から息子に睨めつけられ、父親は居心地悪げにみじろいだ。


「まあ.....? 申し訳ないことをした。うん」


「そう思うんなら、洗いざらい吐けっ! 何を何処まで手をつけたんだっ?!」


 伯爵家の資産を切り売りしていたのがバレたのだと理解した父親は、眼を泳がせながら淡々と説明する。


「.....俸禄と。得物の類いは、もう無い。あと領地近辺の小さな荘園も」


「無いって..... どうすんですかぁーっ!!」


 貯めていた俸禄は弟妹の学費にあてる予定だった。ウォルターの結納金や婚姻費にも。

 婚約が白紙になったので、諸々の経費が浮き、それを侯爵令嬢への慰謝料にするつもりだったのだ。

 足りなくば領地をたたみ、王家へ返還して金子にする。最悪、この邸も手離さねばならぬと考えていたところに、このていたらく。

 すでに判明した隠し子だけでも六人いて、そっちには各々養育費を渡したと父は言っていた。

 ならば、後は現在懐妊中の侯爵令嬢だけ。

 しかし、その渡した養育費というのが、俸禄の貯蓄から出されていて、足りない分を先祖伝来の得物と荘園を売り払い補填していたとは。

 

 しょんぼりと項垂れる父親に、怒りも振り切れ、ウォルターの凄まじい怒号は、深夜遅くまで伯爵家に轟いていた。




「俺が一体、何をしたっていうんだっ?!」


 がーっと頭を掻きむしり、彼はは文机に突っ伏す。


 幸い、事が発覚したのは学院卒業後。一応、ウォルターの学歴に傷はつかなかった。


 しかし、シャロンとヒューバートはどうなってしまうのか。


 三つ下の弟ヒューは学院在中。五つ下のシャロンは来期入学である。

 このままではシャロンの入学どころが、ヒューの在籍すら危うい。

 武官になる予定のウォルターが継承するはずだった槍や剣も手元から消え、父親に売り払われた後とか。笑えない。


 アレがあったらなら、冒険者としてやっていく手もあったんだけどな。


 愛する婚約者との別離、王女殿下の叱責。王女殿下共々侯爵からは不興を買い、多額の慰謝料支払い待ったなしな、この状況。


 ほんの数ヶ月前までは順風満帆で、バルナスタ子爵令嬢と寄り添い、幸せな家庭を築く事をウォルターは疑ってもいなかった。少し変わった婚約者だったが、そこも気に入っていた。


 そういえば..... と、ウォルターは微かに口許を綻ばせる。


 伯爵家が没落寸前だというのに、彼女はあっけらかんと婚約続行を申し出てきたっけ。


『ウィルに瑕疵は何もないじゃない。伯爵家が御取り潰しになっても、わたくしが養って差し上げてよ?』


 子爵家は小さな領地と僅かな俸禄の慎ましい家だ。そんな生活環境からか、彼女も、やけにリアリストで勤勉な御令嬢だった。

 そんな彼女が自分を養ってくれるという。

 もう、その言葉だけでウォルターは十分だ。愛しい彼女を伯爵家の不幸に巻き込む訳にはいかない。

 立て続けに襲ってくる不遇の数々。


 だがこれが、まだ序の口なのだという事を、成人したばかりのウォルターは知らなかった。

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