第5話 ちょっと予想外すぎる


「なんだ、これは?」


 街の人から連絡を受けてやってきた伯爵は、目の前に鎮座するログハウスを呆然と見つめる。

 しっかりとした建物は、寸分の狂いもなく組み立てられ、その隙間は薄い紙一枚も入らないほどピタリと密着していた。

 どんなに腕の良い大工でも、こうはいかない。幾らかの遊びを作り、建物の歪みが解消された後に、その隙間を埋めるものだ。

 しかも窓には全てガラス。高価なガラスをこれでもかと使い、大きな窓のモノは身の丈ほどもある。

 均一で依れや歪みのない一枚ガラスなど、伯爵家ですらも使ってはいない。正直なところ、ここまで繊細に作られたガラス板には、今までお目にかかった事はなかった。

 張り出したテラスも木製だが、その滑らかな手触りの表面にも驚く。

 ツルツルで、温かいソレ。

 陽の光で温められたのだろうが、雨ざらしなはずの外でも朽ちず、虫食いの一つもない木材には驚嘆する他ない。


「いったい、何が起きて.....?」


 呆然と周囲を見渡す伯爵の耳に大きな音が聞こえる。

 ドルルルルっと低く穿たれるような音は家の向こうから轟いていた。

 慌てて駆けつけた伯爵の視界に映る光景は一面の畑。

 まだ何も植えられていないようだが、起こされた土は柔らかくフカフカで、まるで何年も耕してきたかのようである。

 

 ここは昨日までただの野原だった。毎日巡回する伯爵は覚えていた。なのに、今では立派な家屋のある農地に変貌している。


「本当に何が起きているんだ?」


 周囲を見渡した伯爵は、再び響いた低い唸りに、ばっと顔を向けた。そこには二人の人影。

 一人が大きな籠を持って何かを撒き散らし、もう一人が何かを押している。


「こんなもんよねー、一人だけだし」


「そうだな。三十メートル四方もあれば、麦だって植えられるさ。ウメが食べるだけなら十分だろう」


 汗を拭いながら笑う二人。


「これはどういう事だっ!」


 いきなり上がった怒声に、サミュエルと梅は飛び上がる。そして、何事かと振り返った。


「ああ、伯爵でしたか」


「なんだ、あんたか。驚いたよ」


 何でもないような感じで肩を竦める二人に、伯爵はギリギリと歯を噛み締めて再び叫んだ。


「良いから説明しろーっ!」


 出来立ての畑の上を伯爵の叫びが駆けていく。




「..........つまりはアレか。女神様の思し召しでやってきた別世界の人間だと?」


 仕方無しに梅は自宅へ伯爵を招待して、サミュエルにしたのと同じ説明をする。


「信じる信じないは勝手さぁ。この家も、あんたらの言うアイテムボックスに入っていたから出しただけだし」


 コポコポと電気ポットからお湯を注ぎ、梅は急須で御茶を煎れ二人に振る舞う。

 熱々な緑の液体を見て、二人は言葉を失った。


「これは.....?」


「ハーブティー.....? では無さそうな?」


 怪訝そうな二人に苦笑し、梅は煎れたての緑茶を目の前で呑んで見せる。


「ただの緑茶だよ」


「緑茶? 紅茶とは違うのですか?」


 サミュエルの疑問に梅は首を振った。


「詳しい作り方は知らないけど、同じ茶葉だよ、確か。ただ発酵させずに天日とかで乾燥させたものが緑茶だったかな? だから、ほら。茶葉の緑そのままなんだよ」


 言われてみれば。


 納得した二人は同時に緑茶を口にした。途端、瞠目。

 紅茶とは違う渋みや甘味。鼻孔を抜ける馥郁たる香り。複雑な旨味が絡み合い、なんとも飲み口のよい御茶だった。


「これは、また..........砂糖もないのに、美味いな」


「癖になる後味ですね」


「緑茶に砂糖? あ~、でもアチラさんではミルクも入れたりするらしいし可笑しくはないのかな」


 そう言うと梅はインベントリから角砂糖を取り出し、小皿にガラガラと開けて二人の前に置いた。


「使うなら、どーぞ」


 差し出された砂糖を前にして、固まる二人。


「これは.....?」


「砂糖ですか? 白いですよ?」


「水色とかピンクもあるよ。貰い物だけど」


 さらに出されたのは花の形の砂糖。顔にオドロ線を垂らして絶句する二人に梅は気づかない。


「聞いた事はあるぞ。今の王宮でもてはやされているらしい白い砂糖の噂」


 伯爵の呟きに驚嘆の顔をするサミュエル。


「王宮ですかっ? でも、あのっ、砂糖って、こう黒っぽくてベタベタしたモノですよね?」


 あ。


 思わず噎せ込む梅。そして二人からそっと眼を逸らし、じっとりと冷や汗をかいた。


 やば、やらかしたかも。黒っぽくてベタベタって、黒砂糖の事だよね?


 どうやら、こちらの精製技術は拙いらしい。

 それもそのはず。頻繁に魔族や魔物の襲撃を受けている世界事情だ。嗜好品になど手を出せる訳もない。生きていくだけで精一杯なのだから。


 だけど王宮にはあるのね。技術がないわけじゃないんだな。


 無理やり己を安堵させようと足掻く梅を余所に、伯爵が角砂糖をそのまま口にした。


「甘いな」


 ガリガリと角砂糖を噛る伯爵を見て、サミュエルも恐る恐る口にしてみる。


「あっまっ! え? なんですか、これっ!」


 黒砂糖特有なねっとりと張り付く違和感も、えぐみもない。さらりと溶けて喉を通りすぎる純粋な甘味。

 噛るだけで分かる。これは従来の砂糖とは全く別物だ。


「その様子だと、お前の世界では当たり前の甘味のようだな」


「...............まぁ」


 ノーコメントしてぇぇえっ!


 四六の蝦蟇もドン引くほどの冷や汗を垂らして、モゴモゴと誤魔化そうとする梅。


「決まりだな」


「へ?」


 伯爵は残っていた緑茶で砂糖の名残を呑み込み、タンっとテーブルに湯呑みを置いた。


「明日、俺の屋敷へ来い。正式な養子縁組をする」


「ええええーーっ?」


 ぶんぶんと首を振りつつ、助けを求めるようにサミュエルを見た梅だが、サミュエルは思案するような難しげな顔で梅を見返した。


「これは、受けておいた方が良いですよ、ウメ」


「なんでーっ?!」


 昨日は反対してくれてたじゃんよっ!


 いきなり掌を返されて泣きたくなったウメだが、サミュエルは伯爵と違い、ちゃんと説明をしてくれた。


「これだけの貴重なモノを保有しているのです。身分のない平民だと知られたら、略奪の憂き目にあうでしょう」


「いっ?!」


 そんなに治安が悪いのか、この街はっ!!


「それだけではないです、君がアイテムボックス持ちなのを多くの人が知っています。.....その中身を狙って拐われ、拷問にかけてでも吐き出させようとする人も出るかも」


「いいぃぃっ?!」


 なんて世界だよっ!!


 思わず顔面蒼白になるウメの前で、伯爵は大きく頭を振る。


「それも無くはない。だが、そんなモノより、これだっ!」


 伯爵がコンコンと叩いたのは電気ポット。


「これはどのようにして湯を沸かしている? お前、水を入れただけだよな?」


 そう。ウメは御茶の用意の前に、電気ポットに水を足して再沸騰させたのだ。

 このログハウスがあったのは別荘地でも人気のない辺鄙な山裾。なので、ソーラー発電と蓄電池、薪ストーブを完備した本格的ロッジにしてある。

 クーラー二台くらいなら軽々動かせる仕様だ。ついでに自家発電もあり、終の住み家として魔改造していた若い頃のウメ。

 家電も当然、オール電化。


「こんなモノ、魔術師達に知られてみろ。大騒ぎじゃ済まないぞ?」


「うん、俺もそう思う。身分がある方が良いよ、ウメ」


 略奪も拷問も魔術師らの暴動予想も、全ては平民の場合によるものらしい。

 貴族に滅多な事はやれないのだとか。


「決定だ。良いなっ」


 ふんぞり返って鼻息を荒くする伯爵に、ウメは頷くほかない。


 なんで、こうなるの?


 新たな様相を見せる異世界ライフに、ウメは感謝するんじゃなかったと心の中で女神様を毒づいていた。

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