第36話 ゴールデンウィークの始まりは悶々と

 それから。


 暁兄妹と別れ、家に戻った私は早速貰った攻略ノートを読み耽った。その夜の現夢境は穏やからしいと2人から聞いていたので、安心して読書に専念出来た。お気に入りのパジャマ(現夢境でちぎったはずの袖はなんともなかったのでちょっと安心した)姿でベッドにうつ伏せになり、ノートを熟読すること1時間。そろそろ日付が変わる頃合いだろう。


 明日からはゴールデンウィーク。そして親は泊まり込みで帰って来ない。となれば夜更かしし放題だな!このまま夜明けまで読み続けるぜと世の悪い子たちは考えるだろうが、私は何故か夜更かしすると超高確率でムカデを目撃してしまうので、今日も適当に切り上げて就寝することにしていた。


 ムカデもまあ、人目につかない場所でゴキ……G退治をしてくれる分には構わないけど視界に入った以上は私も安全を確保しなきゃならないしね……。流石の私も自分を噛むかもしれない虫がいると分かっている空間で平気で寝られる程豪気じゃないのだ。


「この虫もムカデみたいな感覚でやっつけられればなあ……」


 私はノートのとあるページを見ながら呟く。そこには、私が昨夜遭遇したダンゴムシみたいな夢霊の姿が描かれていた。


 日向ちゃんによるやたら迫力のあるイラストの隣に、【鎧蟲シェルセクト】と名前が書かれている。能力値は軒並み最低クラスで危険は少ないが、放っておくと脱皮して強力な突進攻撃を得意とする巨大なカブトムシ型の成虫に変態するらしい。


 私は昨夜、同じく現夢境に迷い込んだおばあさんと一緒にこいつらに遭遇した。その内1体を鉄筋で思いっきりブッ叩いて吹っ飛ばすことは出来たけど、結局完全にやっつけることは出来なかったのだった。


「やっぱりこの“夢力”ってのを使えないとダメなのかな……」


 夢力。


 ちょくちょくこの攻略ノートに出てくる単語だった。読んだ感じでは現夢境を満たしているエネルギーで、暁兄妹も敵もこれを操って超常現象を引き起こしているらしい。


 攻略ノートの巻末に付いていた用語集によると、このエネルギーは“想い、イメージを力に変える”という性質があり、人が夢の中で現実にはあり得ない体験をしたりする原因と目されているそうだ。まあぶっちゃけゲームとかラノベとかのファンタジー作品における魔力、MP、マナとかの類いと同じものと思っておけばいいのだろう。


 私もこれが使えれば……とは思うけど、正直、使い方の見当がつかない。私はあくまでも現夢境では一介の迷い人に過ぎないのだ。フル装備に加え自ら属性を夢側に振って身体ごとダイブしている暁兄妹とは違う。


 ノートを閉じて枕元に置き、仰向けになった私は右手をまっすぐ天井に向けて伸ばす。遠ざかって行く兄妹の背中が、開いた手のひらの先に幻として浮かんだ。


 私は確かに現夢境では特別な存在なのだろう。でも戦うことは出来ない。身に迫る危険を直接打ち払うことは、出来ない。


(もどかしい……なあ)


 分かっている。相手が人類の常識の埒外にいる存在だということは。こちらも常識からはみ出せない限り同じ土俵には立てないのだということは。


 それでも、これまで降りかかって来た火の粉を概ね自分の手で振り払っていた身としては、直接戦えないことが堪らなく歯痒いのだ。


 だけど。


 パァン!と、私は両の頬を叩いた。モヤモヤとしたものが一気に頭から弾けて消えて行く。


「えーい無い物ねだりしても仕方ない!とにかく私は生き残ることだけ考えよう。生きてりゃ勝ち!」


 そう自分に言い聞かせて、私は拳を突き上げる。


 ……直後に天井からムカデが降って来て、私の悶々とした気分の残滓を、綺麗さっぱり消し飛ばしていった。

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