第32話 夢と現の狭間

「それにしても……ほんとに色んなのがいるんだね」


 攻略ノートをめくりながら、私はそう呟く。夢霊ゴーストたちの形態は本当にさまざまで、大半は生物型だけど、中には身体に機械みたいな部分が混じっているのや、果ては完全に人工物にしか見えないものまでいる。


 体のどの器官がどのような働きをしているのか、どの部位をどう使って攻撃を仕掛けて来るのか、ノートにはとにかく事細かに記載されている。ここまで調べあげるのには相当な数の戦いを経る必要があったはずだ。2人の苦労が偲ばれる……。


「こいつらって、あそこに棲んでる生き物……なん……だよね?」


 取り敢えず“生き物”とは言ったけども、ここに書いてあるような機械にしか見えないタイプの奴らが自然の生き物のように生活をしている光景がちょっと思い浮かばない。今開いているページに書かれているこの戦車みたいなのが物を食べたり子供を育てたり……うん、無理がある。


「生き物……では、ないな」


 実際、暁くんもその解答だった。


「奴らについて語るには、まず現夢境というのがどういう世界なのかというところから説明しなきゃならない」


「現夢境……あの夢の世界だね」


 連日、私が迷い込んでいる明晰夢の世界。眠っている人にしか認識出来ないとか、無事生還するとその記憶は消えてしまうはずだ、とか、あの世界について私が教えて貰ったのはまだそのくらいだ。


「いや、実を言うとあそこは夢の世界じゃない。呼んで字の如く“うつつ”と“夢”の“境界”。つまり俺たちのいる現実世界と、本当の夢の世界、その狭間にあるのがあの世界――現夢境なんだ」


 それを聞いて私は驚いた。てっきり、あそこが夢の世界なのだとばかり考えていたから。


「人は眠りに就くと、その深さに応じて心身が現実から離れ、夢の世界に近づいていく。そういう曖昧な状態の人間が、現夢境に迷い込んでしまう」


「あ、でも別に体が透けてくとかそういうことは起こらないので安心して下さい!あくまで概念的に夢に近づくってだけですから!」


“心身が曖昧な状態になる”と聞いて背筋がぞわぞわして来た私を見かねてか、日向ちゃんが食い気味にそう言ってくれたのでちょっとだけ安心した。よく考えたら、眠っただけで体が透けてくなんてことがあったらもっと大騒ぎになっているはずだしね。


 暁くんが話を続ける。


「現夢境、それ自体は別に危ない場所じゃない。現夢境と夢の世界との距離……俺たちが『現夢深度』と呼ぶそれが深いほど現夢境の光景は現実離れしていくだろうが、どんどん不気味になっていくだけであんまり実害はないしな」


 そういえば、と、私は連日迷い込んだ現夢境の風景を思い返す。戦場跡のように荒廃していた昨夜と比べて、2人と初めて出会ったあの夜の現夢境は現実とほとんど変わらない街並みだった。つまり昨夜の方がより夢の世界に近い――“深い”現夢境だったということだろう。


「同じ夢と現の境い目なのに、夢の世界までの深さに違いがあるのは不思議だね」


「川や海みたいなものですね。深さが一定じゃないんですよ。だから事前の観測は大事なんです」


 そう言って、日向ちゃんはスクールバッグから重そうな双眼鏡を取り出して見せた。


「観測って……日向ちゃん、ここから現夢境の様子が分かるの?」


「はい。私、そういう目を持っていますので」


 と、日向ちゃんが一度両目を閉じて、ゆっくりと開いた。まぶたの奥から現れたのは、まるで現夢境での日向ちゃんが纏っているような、蒼の光を放つ瞳。


――現実リアルに、幻想ファンタジーが持ち込まれた瞬間だった。


「疲労が貯まってしまうので長くは使えないんですけどね?それでも凄く役立つんですよ」


 日向ちゃんはすぐに光を消してはにかむ。束の間のファンタジーに、私は言葉を発することが出来なかった。


「この目を使って、現実の世界に身を置きながら現夢境の様子を観測します。兄の刻鳴針シンフォニアが夢霊の出現する兆候を感知したら、私の目で現夢深度を測って戦いに備える感じですね」


 しんふぉにあ?と、聞き慣れない単語に首を傾げていると、暁くんが小さな銀色の懐中時計を取り出して見せてくれた。一見普通の時計に見えるけれど、文字盤には蛍光グリーンに染まった4本目の針があった。秒針を遥かに超えるスピードでクルクルと反時計回りに回転している。私は動体視力には自信があるけど、それでも目で追うのがやっとだった。


「これは……何?ただの時計じゃないっていうことは分かるんだけど……」


「簡単に言えば、眠らずに現夢境へ出入りするための道具だな。持っていると自分の身体を自在に夢の世界へ近付けることが出来る。そしてその逆も可能だ。迷い込んでしまった人を現世に帰す時にも、こいつは活躍する……何故か、階には効かなかったが」


 暁くんの言っているのは、あの時私とお婆さんを送還しようとしたあの儀式のようなもののことだろう。確かに路面には時計の文字盤のような模様が広がっていた。でも、どうして私には効果が無かったんだろう?ずっとこのままだと、足手纏いにしかならない私は2人に迷惑を掛けてしまうだろうから滅茶苦茶困るんだけど……。


「話を戻そう。現夢境に奴らが現れる兆候があると、この緑の針が突入に最適な時間を割り出して停止する。だいたい奴らが展開を終えて、頃だな」


「……待って。じゃあ、夢霊ってあの世界に棲んでる訳じゃないの?」


「ああ」


 暁くんは少し視線を伏せた。


「奴らは現夢境の住人じゃない。その先――夢の世界からの侵略者だ……」

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