第28話 払暁

<side:階来宵>


 その瞬間を、私もしっかりと目撃していた。


 緊張と不安で張り裂けそうな胸を押さえながら、しばらく屋上に続く鉄扉に背中を預けて戦闘音に耳を傾けていた私は、ふと、差し込む月明かりが急速に少なくなっていくのを感じた。


 あっという間に自分の手元さえ見えなくなってしまい、言い知れぬ焦燥に駆られた私は、背後のドアを勢い良く開け放った。


「……っ、月が……?」


 目に飛び込んで来たのは、不気味な程に紅い満月……皆既月食と、それを背景に対峙する2つの影。


 一方は、天を睨みながら口元の剣に尋常じゃない程の光を溜め込んでいる巨大な狼。もう一方は、重厚なライフルらしき銃を構え、今なお周囲から光を奪い続けている日向ちゃん。


 睨み合う両者は一瞬の静寂のあと、白と黒、相反する輝きを解き放った。目をくような地上からの光と、闇すらも溶かし込む黒の塊が宙空で激突し――そして光の奔流を貫いた弾丸が狼の体内へ突入した。


 直後に地上で闇が炸裂する。爆風が吹き荒れ、離れた場所にいた私も激しく揺さぶられる。


「――――――――!!!!!!!!」


 顔を庇うように回した腕の隙間から見えたのは、螺旋を描きながら天空へ昇って行く、黒い光の柱だった。


「終わった……のかな?」


 風が収まり、柱が徐々に細くなって消えて行くのを確認して、私は小走りで屋上の端に向かった。狼がいた場所は、どのくらいの深さかもわからない程真っ黒な穴がぽっかりと口を開けているだけで、あの敵ながらに威風堂々とした姿は残っていなかった。視線を上向ければ、巨大な銃を下ろした日向ちゃんが足元から見慣れた制服姿に戻る所だった。


 しかしそれも束の間、日向ちゃんは仰向けの姿勢で地上に落下して行ってしまう。


「あっ!?」


 私は慌てて、ビルから降りようと屋内に取って返した。駆け付けてもどうにもならないのはわかっているけど、じっとしてはいられなかった。


 ところが、鉄扉の先にあった階段は踊り場から先が崩れており、降りることは出来そうになかった。


きざはし……階、そこにいるか!?」


 どうしようかと思っていたその時、外から呼び掛けがあった。私は急いで、背後の鉄扉を再び開け放つ。


 そこには、やりきったような表情の日向ちゃんと、変身を解いたばかりなのか、制服に仄かな銀色の粒子を纏い付かせた暁くんが並んで立っていた。


「終わったぞ。ようやく、元の世界に返してやれる」


「ほ、ほんとに……ほんとに、終わったのね……?良かったぁ……」


 戦いは終わった。


 恐ろしい非日常は過ぎ去った。


 それを認識した途端両方の膝から力が抜け、普段滅多にやることのないいわゆる“女の子座り”の格好になる。明らかにヤバいのが2人の相手だったこともあって、感じた安心の度合いは昨日の比ではなかった。


「そ、そうだ日向ちゃんは大丈夫だったの!?さっき高い所から落ちたのを見たんだけど……」


 思い出したように、私はそう言った。すると日向ちゃんは何事もなかったかのように、


「にーさんが受け止めてくれたので、大丈夫でした」


「いつものことだしな」


「そ、そうなんだ……」


 “いつものこと”。


 暁くんが何気なく言ったその言葉が妙に、日向ちゃんに引っ張り起こされる私の耳に残った。2人が、数多の戦いを越えてここにいるのだということが、それだけで伝わって来た。少なくとも、力を使い果たしたらしき日向ちゃんを受け止めるのが常態化してしまう程度には。


 微かな光を感じて、東の空を見る。あの時のような白い色が徐々に、世界を染め上げようとしているようだった。


「さて、ちょっとだけ今後の話をしよう。階は明日の放課後、空いてるか?」


「え?」


 暁くんに問われて明日――もう今日かも知れないけど――の予定を思い出す。鳴衣を遊びに誘うのはもうリモート夕食で済ませていたので、特に放課後の予定はなかった。


「空いてるなら、また屋上に来て欲しい。渡すものもあるからな」


「……また安眠グッズだったりしないよね?」


「まさか。もっと役に立つものだよ」


 私が冗談めかしてそう言うと、暁くんは少し肩をすくめて見せた。


 白が迫る。


 現実に帰る時間が近付いて来る。


「――2人共!」


 だから私は今度こそ忘れないように、2人の顔を真っ直ぐ見て言った。


「昨日も、今日も、助けてくれて本当にありがとう!!」


 光に融けていく2人は、優しげな微笑みを浮かべていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る