第10話  現夢境と夢霊〈ゴースト〉

 現夢境げんむきょう


 読んで字の如く、夢とうつつの境目にある世界。眠りに就いた人間のみが、明晰夢という形で踏み入ることが出来る。


 いつの間にか人々の夢に何食わぬ顔で紛れ込んでいたその世界の存在を示唆するものは、少なくとも昭和以前にはなかった。“人の記憶に残らない”という性質上、それも仕方ないと言えるが。


 そんな現夢境は、平成の半ば頃に進入方法が確立され、とある研究機関によって内部の調査が進められていた。その当時は、単に現実世界と瓜二つの不思議な世界というだけで特段危険もなかったのだが……ある事件をきっかけに、現夢境には夢霊ゴーストと呼ばれる怪物が溢れかえることとなる。


「――ッ!」


 朽ちかけた5階建てマンションの屋上への着地際、バルーンのように浮遊していた一抱え程の球形の夢霊を背後からサーベルで両断する。前面に蜂の巣を思わせる巨大な複眼を備えたそいつは断末魔の声も残さず塵となって果てた。俺はそれには見向きもせず、崩落した床の穴から急いで階下に飛び込む。


 今斬った夢霊は『邪ノ眼イビルアイ』と言い、監視カメラのような役割を果たしている。視界に人間を捉えると奇声を発して他の夢霊を呼び寄せるので、奴らをまとめて日向の元へ連れて行くには丁度良いのだが、戦場の情報収集と、何よりが終わっていない今はまだ見つかりたくない。俺は屋根裏に潜むネズミになったような気分で、暗い廃ビルのフロアを駆けた。


 現夢境に湧くようになった怪物、『夢霊ゴースト』については、大部分が謎に包まれている。分かっていることは、現夢境に迷い込んだ人間への接触が奴らの行動原理ということと、接触された人間は現実世界で眠っているはずの身体ごと消滅してしまうということ。戻って来た例は、皆無。


 奴らが何の目的で人間を消しているのかは分からない。だが、何の罪もない人々が、当たり前に来るはずの朝を迎えられないという状況を見過ごす訳には行かない。現夢境の研究を進めていた機関は苦闘の日々の末、奴らへの対抗手段を編み出すことに成功した。


 フロアの角へ身を隠し、立て膝を突きながら手にしたサーベルを床に突き立てる。サーベルを中心に不可視の力場が全方位へ放たれ、周辺に潜む夢霊の位置を暴き出す。


 現夢境には、現実世界には存在しない未知のエネルギーが空間に満ちていた。研究機関によって『夢力むりょく』と(安直に)名付けられたそれは、現夢境への能動的な進入と探索に必要不可欠であるだけで無く――人に夢霊共へと対抗する術をもたらしてくれる。


(……地上に5……屋内に7……邪ノ眼イビルアイは……残り3、全て屋上か)


 夢力をレーダーのように利用して周辺を精査した俺はサーベルを引き抜き、身を隠しながら目視で邪ノ眼イビルアイの位置を確認する。今いるマンションの向かいにある3階立ての雑居ビルの屋上に1体、その隣に立つ銀行の屋上にもう1体。最後の1体はこのマンションの隣の商業ビルにいたが、今はゆっくりとした動きでこちらのマンションへ移動しようとしていた。いずれも眼下の大通りを注視して、獲物となる人間を探している。


 このマンションは5階立てなので、地上を見下ろしている邪ノ眼イビルアイ達の視界からは外れていた。


「好都合だな」


 俺は身を隠していた角から飛び出すと、足音を殺しつつフロアを駆け抜けた。先程飛び降りて来た穴から再び屋上へ戻り、すぐにボロボロの貯水槽の裏へ。地上を注視しながら横スライドで接近してくる邪ノ眼イビルアイを待ち受ける。


 俺は呼吸を整え、サーベルを両手で腰だめに構えた。月明かりを反射する極薄の刃から、微かな吸気音が響く。サーベルの刀身が、周囲に漂う夢力をいた。


 直後、サーベルの切っ先から収束された夢力が勢い良く噴き出し、発生した推力が俺の体を一気に加速させる。無防備に接近して来た邪ノ眼イビルアイとの距離を瞬時に詰めて背後からその身を上下に分断すると、俺はその勢いのまま空中に飛び出した。振り抜いたサーベルを引き戻し、その切っ先を身体が落ちて行く先へ向ける。そこには、向かいの雑居ビルから通りを凝視している邪眼の夢霊が。


 向こうは寸前で俺に気付いたようだが、その瞬間には奴の複眼をサーベルが貫いていた。規則的なハニカム模様が浮かぶ黒いスクリーンから光が消え、粒子状に飛び散って消滅する。纏わりつくそれを細身の刃で斬り払うと、ナックルガードに嵌め込まれていた菫青石アイオライトに淡い青の光が灯った。


 その時、隣のビルからおぞましい金切り声が響き渡り、次いで周辺から声色も様々な雄叫びが挙がる。見れば、こちらを認識した最後の邪ノ眼イビルアイが、複眼の表面に夢力を収束させている所だった。


「さて、ここからが本番だ」


 撃ち出された火球をサーベルで斬り払い、俺は邪眼の夢霊に向けて突撃を敢行した。

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