16話 2体の魔王について もしくは決戦は自宅前と言う話
「ちょっとまずい事になったわねぇ」
「肯定する。あのような者の襲来は想定外」
ヘァティアは珍しく緊張した面持ちで愛用の杖を掲げていた。
忌々し気に漏れた言葉に、姿なき声が答える。
周囲を取り巻くのは、光の壁。
強大な力の結晶が壁となり、彼女の住居を丸々覆っていた。
その外では、二つの影が激しくぶつかり合っている。
巨大な影と、異形の影。
巨大な側はまさしく大樹が手足を持ったかのようであり、異形の側は無数の触手の如きモノをうごめかせている。
巨人の如き樹が腕を振るうと絡みつかんとした異形の触手が薙ぎ払われ、かと思うとちぎれたか所から噴き出した粘液が樹皮を焼く。
二つは相争い相手を滅ぼさんと力を尽くしていた。
「おのれ! 神の欠片が小賢しい! 我に備えてこのような者を傍に置くとは!」
「ゴァァァッァァァ!!!」
「別にアンタなんかの為じゃないわよ、もう」
「肯定する。我が悪しき半身は愛し子のためのモノ。あのような者には相応しくない」
異形の影は、光の壁の先の魔女へ呪詛を漏らす。
対する巨大な影は咆哮するのみ。
呪詛を叩きつけられたヘカティアは迷惑気に首を振り、相槌を打つのは姿なき声だ。
光の結界の外で激しくぶつかり合う2体の魔王はどちらも強大な力を保有しているようで、勝負は中々につきそうもない。
そこに新たな声が加わった。
「母上、少し相談したいことが有るのですが…」
「ローウェイン、ちょど良い所に。今すぐ、急いで戻ってきて頂戴」
(愛し子!)
通信の魔道具からは、魔女にとって可愛い息子の声。
姿なき声にとってもコレは同じらしく、魔女だけに聞こえる声が弾んだ。
認識するが早いか、魔女は通信越しに告げる。端的に状況を伝えるために。
それはまさしく一言で事足りる。ゆえに、魔女はこう告げた。
「魔王が出たわ」
「魔王!? 丁度こちらも魔王について聞きたいと思っていたところで…」
「今、家に昔倒した魔王がお礼参りに来てるのよ。貴方の為に用意した堕ちた世界樹の魔王とぶつかり合ってるわ」
ジュリエッタさんの魔王が活動しているかもという指摘を受け、相談しようと通信の魔道具を作動させた途端、想定外の事態に陥っていた。
通信の魔道具から聞こえてくるのは、珍しく焦りの色がある母上の声と、巨大な何者かが激しく争っているかのような轟音だ。
そして母上の言葉に含まれる幾つかの不穏な単語。
昔倒した魔王と言うのは、父上と一緒に流星を落として居城ごと倒したというアレの事だろうか? そして私の為に用意した魔王と言うのも不穏に過ぎる。
そんな状況ならば、何時でも余裕を崩さない母上の声に余裕が無いのも無理はない。
むしろ母上のそんな声は初めて聴いたぞ。
「っ! 大丈夫なんですか!?」
「家は結界で覆ってるし問題ないわ。ただ、早めに来ないとどっちかが相手を吸収して強大化するわ。世界樹の方が勝つならいいけど、沼地の方に勝たれるのは少し困るわね。ワタシはいまちょっと幾つかの作業で手が離せないから、急いで戻ってきて貴方がこの二体を退治しちゃいなさい」
私は、懸念している問題があるとの言葉に違和感を覚える。
母上は、そんな問題を抱えて黙って結界に引きこもるようなタイプだろうか?
何時もの母上なら、家への多少の被害は後で修復なりするからと、攻めに出るようにしか思えない。
つまり、その母上をして優先させ中ればいけない状況を抱えているということになる。
「何が、有ったんですか?」
「沼地の奴にトトラスの村がやられたわ」
「っ!?」
言葉の意味を理解して息がつまる。本当の姿を隠していたとはいえ、私はあの村の一員だと辞任している。そのトトラスの村が、やられた!?
「冷静になりなさい。村の皆は生きてるわ。けが人は居るけど、殺された…いえ、破壊されたのは私が用意した使い魔ね。何となく配置しておいたのが上手く行ったわ」
頭に上がった血が、母上の言葉で下がっていく。流石は母上、そつがない。
とはいえ村の警護としていつも何人かの同じ顔のおじさん見回っていたが、まさかそれが母上の使い魔だったとは驚いた。
私は普通に日々挨拶をしていたぞ。
「あくまで人並みの力しかも成せてなかったのも功を奏したわね。ただの人間だと思って沼地の奴は吸収しようとしなかったもの。もし吸収されてたら、村の皆の避難先とかバレていたかもしれなかったわ」
とはいえ怪我人自体は多く重症者もいるため、母上は村の魔女医としての姿をした分身を今も操り治療に年々しているのだそうだ。
魔王に対抗できるくらいの結界を張りながら、分身で治療を並行しているとか、母上はやはり桁が違う。
「だからと言って、のんびりできる状況ではないわ。急ぎなさい、ローウェイン。それに聞いてるわね、ジュリちゃん。この子の事、頼んだわよ」
「はい。母上」
「畏まりました、神子様」
私は通信魔道具越しに母上と話しながら、出立と風属性を主とした魔符ケースの準備を終えていた。
飛翔の魔符は風マナ一属性に染め上げれば驚異的な速度を出せる。10マナ分風属性に染め上げたならば前生における音速戦闘機の領域まで手が届くのだ。
アルトミリアの街から大森林まではかなりの距離があるが、空の旅はそう何時間もかからないはず。
ただ飛行中は風音などで通信の魔道具もろくに使えないだろう。
今のうちに必要な事をすべて聞いておく必要があった。
「では、今から向かいます。何か、聞いておくことはありますか?」
「ああ、そうそう、最後にもう一つ。こっちに付いたら先ずワタシの所に来なさい。新作の魔符があるの。役に立つはずよ?」
「どのような魔符なのですか?」
「それはね…」
師匠は概要を説明してくれる。
なるほど、それは強力だ。
今聞いた情報で、おおよそ魔王に対抗出来得る算段が付いた。
そしてジュリエッタさんも既にホテルに話を通して準備万端だ。
私たちはホテルを出ると、街路を駆け抜けながら飛翔の魔符を起動した。
いきなり飛び上がった私たちに驚く街の人々を尻目に、私達は夜闇のへと舞い上がったのだ。
その夜、多くの人々が夜空を駆ける轟音を聞くことになり、新手のモンスターの脅威ではとの噂が広がるのだが、この時の私は知る由もなかった。
私は飛行しながら、風マナをどんどん追加して加速を続ける。
夜の空は、昼間よりも恐ろしい。
ただでさえ暗い夜の中、音の速さに匹敵する高速で飛んでいるのだ。
仮に背の高い木々などに当たりでもしたり、地形の変化でぶつかったりしたら目も当てられないことになるだろう。
十分に高度を取ってようやく安心できる。
上方の星々きらめく夜空に比べて、大地は闇に包まれ、微かな人の営みが生み出す灯りだけがまばらにあるだけだ。
今夜は月がある為マシで、空から地形がおぼろげに見ることができる。
私は昼間に飛んだ経路を思い出し、逆にたどるよう進路を取った。
既に音に匹敵する速度に至りながら、私は立ち向かうべき相手の事を考える。
沼地の魔王に関しては、私も今まで両親やジュリエッタさんから多少なりとも聞いている。
確か元は粘液魔、つまり前生でいう所のスライムが元だったらしい。それが吸収と増殖と言う特性を繰り返し、強大になっていったとか。
母上達が退治した時も、当初は鱗を持った半魚人めいた姿だったそうだが、無数の魔術に焼かれ打倒される内に水蛇の特性や甲殻類の特性を持った姿に変わり、最後は大本の粘液状の身体を持った、巨大なイソギンチャクの如き姿に成り果てたとか。
触れるもの皆吸収するその暴虐は、ついには居城とも一体化を始め、これに対処するために一切すべてを破壊しようと私の両親が為したのが流星落としでの広範囲爆散攻撃だったというわけだ。
更に言うなら、各地で起きた魔の消失事件の犯人と見込める以上、各地の強大な魔の特性を持った姿に化けるまでしてくるだろう。
同時に、世界樹の魔王についても考える。
堕ちた世界樹の魔王は、私がこの世界で生まれてずっと母上と共に過ごしてきた棲み処の元になった存在だ。
こちらについても、退治した際の事を母上から少しだけ聞いている。
そもそも、この世界樹は世界を支える大いなる世界樹の直系にあたるらしい。
本来聖なる特性を持ち、豊穣をもたらす地母神的存在であったと。
しかしある時瘴気を帯びた魔なるヤドリギに蝕まれ、魔に堕ちてしまったのだとか。
それからシリアムの大森林は魔境となる。森の一切の木々は彼女の眷属であり、魔なるもの以外を襲うようになったのだとか。
10年前の私の両親は、大規模な魔術で魔なるヤドリギに浸食された部分を消し飛ばし、世界樹の魔王は辛うじて根の一部が残るだけにしたらしい。
それでも豊穣を司っていた世界樹の直系は身体を再生させていったのだと。
前生における5階建てのビルよりも大きく焼け焦げた切り株、私の住んでいたあの住居はその名残だったらしい。
根の一本からあっという間にそこまで再生したのだというから凄まじい話だ。
つまり私は、場合によってはその厄介な二体の魔王と戦わなければいけない。
だが私の母にして魔術の師であり、魂の雇用主であるヒトが退治しろと言うなら、そうするだけだ。
そこに否はないし、馴染みのあるトトラスの村を襲ってくれた事には相応の例をしなければいけないだろう。
それに、私は一人ではない。
ジュリエッタさんもまた私と共にいる。
英雄として長く過ごしてきた彼女は、今は巫女としての本来の姿ながら腕前はかつてのままだと言う。
頼もしい限りだ。
そして母上…いや、師匠が用意してくれているという、新しい魔符。
きっと、魔王との戦いに力になってくれるに違いない。
私ははやる気持ちを抑えながら、星空を流星のように疾駆する。
前方には深淵を思わせる暗闇が見えてきた。
月明かりさえ飲み込む深い森が広がり始めたのだ。
さらにその先、闇の中央に光が見える。
あれが、師匠の結界だ。
判り易いほどの目印に迷うことなく私たちは突き進む。
魔王との戦場が、目の前に迫っていた。
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