15話 この世界の街と魔王について もしくは事態は急転するという話
今生にて、私は初めてこの世界の町というものを体験していた。
そも私はこの世界に生まれて9年ほどを母上と共に住まうあの住居と近隣のトトラスの村、そして周囲の大森林しか知ることが無かったのだ。
目に入るものすべてが珍しかった。これが、この世界の街か。
第一の印象は、想像以上に発展しているということだ。
道路は石畳でしっかりと整備され、前生で見た原初の探偵の映画の中の街並みを思い起こさせる。
乗合馬車らしきものが走っているが、引いているのはふさふさの毛を揺らす犬のように見える。
前生で言う犬種のサモエドのようにも見えるが、体格が馬だ。毛犬車と言うらしい。
他に目につくのは街のあちこちに立つのは街灯。これらはすべて魔道具のようだ。
私達がアルトミリアの町に着いたのは日もかげる頃。
制服らしきものを着た人々が、街路の根元に触れては灯りを点して行く。
ジュリエッタさんが言うのは、あれは夜警の仕事の一つと言う事だ。
全体的な印象は、前生でいう産業革命期に差し掛かった辺りという所か。
なんでも、この街には通っていないが、鉄道のようなものもあるらしい。
魔導車と呼ばれるそれは主要な都市のごく一部を結ぶに留まっているが、帝国魔術学院が20年ほど前に発表して運用し始めたとか。
現行魔術の発展を担う父上の進める研究の成果の一つだというのだから素晴らしい。
討伐は必然人の寄らぬ地ばかりに寄る為、この旅の間は見ることはかなわないだろうけれど、一度見てみたいものだ。
そんなことを思いながら、迫る夕やみに追い立てられるように、帰宅を急ぐ人々の中に混じり、私達は宿へと急いだ。
どうにも周囲からの視線が気になる。
私とジュリエッタさんは、今どちらも偽装が施されていない。
つまり、自画自賛ながら相応の美少年と可憐な大妖精族の乙女が、連れ立って歩いていることになる。
なるほど目立つのも仕方ない。
ともあれ夕時と言う事もあり、わざわざ私たちに話しかける暇のある人も少ないようで、私達は無事に宿にたどり着いた。
…前言撤回。これは宿何てモノじゃない。ホテルだ。それも前生で言う星が付く類の。
ジュリエッタさんが何かの証のようなものを見せると、たちまち支配人らしき人物が現れた。
何か二三会話すると、ポーターらしき人々が現れ私たちの荷物を受け取り部屋へ案内してくれる。
凄いな、何がどうなっているやら。
「私も、学院を卒業した魔術貴族扱いですから。今の姿では英雄ジュリオとしては振る舞えませんので、私はその妹と言うことで話を通しました。それでも、この程度の扱いにはなります」
「そういうものなのですか。流石と言うほかないですね…」
「申し訳ありません、ローウェイン様。ヘカティア様と一緒であれば最上位の部屋でもてなされるでしょうが、今の私では空いている部屋の中でもっともよい部屋しか用意できませんでした」
「十分すぎる気がしますが!?」
話しているうちに到着した部屋は、どう見ても前生ならスイートクラスはありそうで、前生からして小市民的感覚な私は動揺してしまう。
良く見たら専用の使用人まで用意されているように見えるのだが気のせいだろうか!?
何故命のかかった実戦を経験しても震えなかった膝がここにきて震えるのだ私!?
落ち着くんだ。仮にも英雄とも言われる人が泊まる部屋ならこれくらいあって当然だろう!?
ようやくゆっくり休めますね、なんて言いながら、使用人に何事か告げて下がらせるジュリエッタさんにも気付かず、私はおっかなびっくりソファーに座る。
「うわ!? 柔らかい!?」
「デメラ藩王国の手織物を使ったソファーのようですね」
デメラ藩王国と言うと帝国の南にある国だったか。確かそこの毛織物は高級品として知られていた筈だが、これがそうなのか。
手触りとか形容しがたい滑らかさだし、何か魔術でも使ってるのかって位身体を自然に受け止めてるぞこのソファー。
だ、大丈夫だろうか? 汚したら幾ら請求されるんだ?
いや待て、私ってこの世界の通貨を良く知らないぞ!?
トトラスの村では少なくとも子供たちの間では通貨なんてみたことが無く、物々交換とかで薬草と引き換えに野菜や稀に菓子などを貰うくらいだったからな…
本当にここまで9年生きて来て、私は余りにも触れてきた世界が狭すぎる。
恐る恐るソファーの値段やこの部屋の宿代を聞くと、ソファーはおよそ庶民の半年の収入分ほど、この宿は4日も止まれば庶民の月収分になるとの答えが飛んできた。
いかん、価値が判らないから何も言えないぞ。
ガチガチに固まりながら大人しくする私に、ジュリエッタさんは苦笑しながら告げる。
「ローウェイン様は今はお休みなさってください。今、人をやって情報を集めさせていますので」
「それは、さっきの人に?」
「ええ、ここは魔術学院の息もかかっている宿ですから、その手の情報も常に用意されて居るのですよ」
何でもここは魔術貴族専用のホテルなのだとか。この街に泊まる魔術貴族は、日中居たノイミリア湖一帯の湿地帯の魔術素材や触媒を求めて訪れるため、ホテルもその方面の情報を常に仕入れているのだとか。
実際、求めていた情報はすぐにもたらされた。
「結論から言えば、各地で異変が起きています」
一通りホテルからもたらされた資料に目を通したジュリエッタさんは、開口一番多頭蛇についての情報を前にそう言った。
「各地、ですか?」
「はい、この4半月程の期間に、帝国近隣の脅威度の高い魔物の目撃情報が急激に減っています。ノイミリア湖の多頭蛇もその代表例の一つでして…」
他にも、キュリア海岸の大甲亀、ボスボリア火山の焔魔獣、タウアスの大河の足無竜などが急に姿を消したのだという。
「それって、私が倒す予定のモノも含まれてるじゃないですか」
「そうなります。恐らくは、何者かがローウェイン様が本来成すべきだったように討伐して回っているのだと思われますが…」
「でも、誰が?」
「わかりません。何者かが討伐したのであれば、首級を挙げ報告するなどするはずですが、そう言った情報も一切ないようなのです」
私の場合、怪巨鳥の首はジュリエッタさんの背嚢に入れさせてもらっている。この背嚢は父上や母上のお手製で、様々な魔術素材を詰め込めるように見た目以上のものが入るのだとか。
今回私は討伐の証拠を母上に見せてから父上に渡す手筈になっているため利用しないが、本来素材などは国が各町で開いている帝国資源局の窓口で換金などしてもらうシステムになっているそうだ。
果たして、各地の魔物を倒した誰かは、私のように納めるべき相手が居るのか、それとも別の目的があったのか。気になるところだ。
ジュリエッタさんも考え込み、いくつかの可能性を口にする。
「討伐報告者が居ない可能性としては、討伐者が人ではないから、と言う事もあります」
「モンスター、ですか?」
「はい。縄張り争いや、移動する生態の魔物なら有り得ない話ではありません。最悪の場合…」
「…最悪の場合、何ですか?」
一つ間を置き、私を見据えるジュリエッタさん。
その視線を受け止めながら、私は先を促した。
ジュリエッタさんは、一つ頷き、告げた。
「…魔王が、力を得るために動いている可能性があります」
魔王とは、この世界では複数の意味合いを持っている。
一つ目は、魔と呼べるモノたちを統べるもの、魔物の王としての魔王。
二つ目は、魔の中に在って強大な力を誇るものと言う意味での魔王。
三つ目は、別の種の王でありながら、魔に堕ちたがゆえの、魔王。
ヘカティアとローウェインが住んでいた住居の元、堕ちた世界樹の魔王は、一つ目と三つ目に該当した魔王だ。
元は世界を支える大世界樹の直系にあたりながら、不浄のヤドリギに蝕まれ、魔に堕ち、多くの眷属を生み出してそれらを統べた。
怪巨鳥の主は、一番目と二番目だ。強大な魔の中でも最も強力な個体が必然的に王となり、その他を統べる。
そして、今ここに、別の魔王が居た。
シリアムの大森林のはずれ、とある開拓村。
そこは一夜にして滅びていた。
彼方から現れたソレによって。
それはおおよその形や体格だけ見るなら人間の男のように見えるかもしれない。
しかし、じっくり観察するならば話は別だ。
体表は鱗に覆われ、彼方此方からは粘液のようなものがしみだしている。
身にまとうのはボロそのものの布一枚。フード付きのローブのように頭からかぶり、その奥に秘された眼はほのかに赤い光を宿している。
ビタビタと言う足音は、足指の間の水かきが元だろう。
水棲生物の特色を持つその個体は、かつて沼地の魔王と呼ばれていた。
(ようやく、ようやくだ…長かったぞ…神の欠片どもよ)
かつて打倒された魔王が居た。
だが、完全には滅ぼされていなかった魔王だ。
(わかるぞ…この先に奴が居る…今度こそ…その力を…!)
かつてこの魔王は、世界に神の欠片が下天したことを知り、その力を取り込まんと触手を伸ばした。
既に長い時を生きて十分に力を得ていた魔王は、大妖精の巫女達の庇護さえも搔い潜り、二人の神の欠片を手中に収めることに成功したのだ。
しかし、いざ幼子から神の力を奪おうとした際に、それは起こる。
少年と少女から放たれる力は魔王をうちのめしたのだ。
あり得ない事だった。
本来、神の欠片は地上では大きく力を出せない。
特にその力の根本たる奇跡の行使は幼い肉体では耐えきれない為、発揮できたとしても成長したのちであるはずだった。
それが、幼子のままに強大な力を振るうなど、本来有り得ないはずだった。
この時魔王が不幸であったのは、攫った神の欠片が叡智と魔術の神の一側面たる二柱で会ったことだろう。
その権能の本質は知識であり、幼い身で既に人の身で辿り着き得る魔術の深奥に手を届かせていたのだ。
結果無数の高位魔術で完膚なきまでに打倒され、とどめに領域である湿地帯と中央の城を流星の雨が消し飛ばした。
城跡は巨大な穴しか残らず、のちに湖となる。
それがノイミリア湖。
そしてかつて沼地では生きられぬ下僕どもが身を寄せていた集落が、のちのアルトミリアの街となったのである。
領地と配下も失い、自身も念のために用意していた分身のみしか残らなかったが、それでも魔王は生きていた。
しかし神の欠片の魔術は呪詛も含まれ、長らく身動きすら取れない有様であった。それゆえ、分身に活動させ、力を蓄えようとしたのだ。
誤算だったのは、分身の肝が貴重な魔術素材とされ、幾度となく狩られたことだ。
本体である魔王が健在なために何度も再生するが、その旅に本体の復活は多大に遅れる。
結果ようやく動けるようになったのは、この半月ほどであった。
だが、動けるようになったのであれば行動は早い。
魔王まず力を求めた。
かつて神の欠片を取り込もうとしたように、魔王は獲物の力を取り込む力を持っていた。
巷に溢れているヒト種を早々に狙うと、神の欠片たちに察知される恐れがあり、また個々の力は弱く取り込める力も少ない。
だが強大な魔を狙うならば、取り込める力も多く、神の欠片たちも察知が遅れるだろう。
ならば力を持つものを狙わなければならない。
こうして多くの魔物の力を取り込んだ魔王は、ついに神の欠片の元へ赴いたのである。
(神の欠片を取り込めば…我は…さらなる高みへ…)
滅ぼしはしたものの、もはや力のない人間では取り込む気にもならず、辺りに散らばる躯に背を向け、魔王は大森林へとさらに足を踏み入れる。
後には廃墟となった開拓村。
そこは村長の名を取り、トトラスの村と呼ばれていた。
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