12話 広範囲魔術について もしくは意識のすり合わせと、範囲魔法は意図しない対象まで巻き込むという話
ジュリエッタは、己の不明を恥じていた。
ローウェインと言う少年の実力を見誤ったことを。
自らが仕えるべき神の欠片たるヘカティアの言葉に疑念を抱いたことを。
出発前、ローウェインは英雄との出会いで舞い上がっており聞いていなかったが、ヘカティアはジュリエッタにこう語っていたのだ。
「この子のこと、頼むわねジュリちゃん。この子は手はかからないけど抜けてる所があるから、しっかり者の貴女に付いて居て欲しいの」
「畏まりました、へカティア様。つまり、ウェドネス様の仰られた魔をご子息を連れて屠ればよろしいのですね?」
「…ん~? 何か齟齬があるわね。討伐自体に貴女が手を出すのは最後の手段よ? この子が手に負え無さそうならどうしてもってだけで」
「ご子息の内にある力はお歳を考えれば稀有なものかと存じます。ですが、ウェドネス様が仰られた魔と争うにはあまりに心もとなく…」
「ああ、そこね…」
既存の魔術は、その出力を上げるという目的の為に、多くの方策をとってきた。
例えば呪文の詠唱や身振り。
あれらは呪文で神に至らずとも力を持つ高位存在に呼びかけ力を借りたり、また力を持つ印や求めるべき力に縁がある方向を指し示すなどして、力の導線を作る行為なのだ。
少しでも力をかき集めようと、天体やその地に住まう地霊等々に呼びかけ、要望に応えてもらうことで初めて物理の枠を超えた力を発揮できる。
ジュリエッタの言う内から感じる力とは、そういう力を借り続けることで自然と常時開くそれら力の源への経路の事だ。
多くの力を借りられる者ほど、内にある力の源への経路が増え、内なる力として他者でも感じ取れる。
そしてジュリエッタが感じ取ったローウェインの中の力は、10歳に満たない子供の者としては破格だが、英雄としての尺度である場合は物足りないものだ。
少なくともウェドネスが少年ローウェインに討伐させようという魔の類の前では、精々餌となる時間を極僅か遅らせられるかどうか。ジュリエッタはそう分析した。
それゆえ、今回の旅に関してはあくまでローウェインの社会勉強であり、世界に居る脅威がいかなるものかを見て学ばせ、そもそもの広い世界を旅することで知見を増やさせようという計らいなのではと考えたのだった。
しかしヘカティアはそれを否定した。
「今までの魔術理論だとそうなっちゃうわよね…でも安心なさい。この子に仕込んだ魔符魔術はそんな経路の差とか関係が無いモノよ」
「未だ魔符魔術と言うものに知見が及ばぬのですが、それ程ですか?」
「ええ、この子の事は見ていればわかるわ。貴女が判断するのはそれからでも十分ではなくて?」
何しろ、ワタシの子だもの! そういうヘカティアに押し切られ、ジュリエッタはローウェインとの旅路に出発したのだ。
まず真っ先に神子の子息である少年は、少なくともただの子供ではないことを、空を飛ぶという行いで証明して見せた。
驚くべきことだ。
人間種を飛行させるのは、ただ風の属性に力を求めればいいというものではない。
考えても見ればわかるが、人の重さと言うのは想像以上に重い。
多少の風が吹いただけではびくともせず、自在に飛ぶとなれば、いかなる出力が必要なるやら。
それが、魔符と言う魔道具を取り出した少年が魔力をそれに流した途端、圧倒的な風の魔力の塊ともいうべき翼が現れたのだ。
この一事をもってしても、少年ローウェインが神の子としての特殊な何かを得ていることが判る。
だが英雄と言われるほどに戦いの場に身を置いていたジュリエッタだからこそ、少年の行く先に待ち受ける魔の数々の困難さを理解し、それを打倒せる力があるとは判じる事ができなかったのだ。
だからこそのポルクの山峰出発前のローウェインのへの進言であり、少々出すぎた真似さえもしようと考えたのである。
ところがふたを開けてみれば、少年は準備の段階で既に怪巨鳥を圧倒する陣地を瞬く間に構築し、突発的な主にも対応して一瞬で屠って見せた。
更には谷間を埋めるほどの死骸の山を、一軍に匹敵する戦力を以て浄化し肢埋葬してみせたのである。
これほどの召喚魔術や強大と言うべき主を屠った死の魔術。
自身も英雄と呼ばれ、また多くの賢者勇士を知るジュリエッタをして、同じだけの行いを可能な魔術師は数えるほどしか記憶にない。
ローウェインの母であるヘカティアや、帝国魔術学院学院長のウェドネスならば鼻歌交じりに成し遂げるだろうが、それは神の欠片、それも魔術の神の一側面だからこそ。
つまりこのまだ幼い少年は既に魔術の世界では上位に居るということになる。
だからこそジュリエッタは悔いて少年に許しを願ったのだ。
神子の子息である少年は、不明な己の理解が及ぶ存在ではなかったのだと。
「そも、ヘカティア様のお言葉は全て真実であらせられました。貴方様は素晴らしいお力の持ち主。どうか神子様のご子息である貴方様に、我が身の忠義、我が信仰をささげることをお許しください」
今にも平伏しかねないジュリオことジュリエッタに、ローウェインは途方に暮れて空を見上げるのだった。
ジュリオさんが凄い勢いで何か難違いしているような気がする。
目の前で今にも拝んできそうな勢いだ。
いやちょっと待ってほしい。推しの英雄にそんな態度を取られると、なんというかその…困る。
確かに私は一つ目の討伐対象を倒せたし、勝ち方も大きなミスはなかったように思う。
だけど力があるというのは間違いだ。魔符は本来誰にでも扱えるのだ。
今は研究段階なので開発している母上と試用担当の私しか扱えないが、安全性などのチェックが済んだら広く広め始める予定だと母上が言っていた。
つまりすぐに誰にでも扱える力になる。
何しろ、力を引き出すにはマスターカードと魔道具に流せるだけの最小限の魔力さえあればいいのだ。
いきなり大規模な魔術や悪用可能なものは広めないだろうけれど、治癒や防御に関わるものならば即座に広めても構わないと父上も言っていた。
一種の魔道具としてまずは浸透を行うつもりだと。
そうやって多くの人々が使い慣れたら、攻撃的な魔符も用途を限定して広めていくらしい。
つまるところ、私はその多くの人たちの一人目に過ぎないのだ。
忠義や信仰を捧げられるとか、前生では結局一会社員に過ぎなかった私には荷が勝ちすぎると思うのだ。
というか、考えても見て欲しい。
本気で推してる英雄に、いきなりそんなこと言われて直ぐ様了承できる神経は普通ではないと思うのだ。
だからこそ、私はジュリオさんが勘違いしたであろう力に関しての認識の乖離をすり合わせるべきだと判断したのだ。
まずは魔符の力の源と魔道具と同等の扱いやすさに関してに始まり、現行魔術の力を求めたが故の扱い難くさに対する魔符魔術の汎用性と出力の両立について等。
時にはジュリオさんからの質問にも答えながら、私は魔符魔術の仕様を説明した。
結局の所私と言う存在が、今のところ魔符の運用に世界で2番目に詳しいだけ、という事実を納得してもらったのだ。
「そんなわけで私はそれだけの存在ですし、母上達のように神々の魂の一部でもないので、信仰というのはやめて欲しいと思います」
「…仰られたことは、理解致しました」
ジュリオさんが何だか凄く良い笑顔で頷く。
…おかしいな? 本当に理解して納得していますか? まだどう見ても英雄が精々知り合いの子供に向ける視線ではない気がするんだけど。
私はいまいち齟齬が残っている気もしたが、同時にこれ以上説明する文言が思いつかなくて沈黙した。
更に言うなら、凄く良い笑顔が綺麗すぎて見とれてしまったのだった。
ジュリエッタは、ローウェインの言葉とは裏腹に、少年に対して忠義を捧げる決意をしていた。
ここまでジュリエッタは、神であるヘカティアが辺境の森に引きこもって何をしているのかと長らく疑問を抱いていた。
ヘカティアは森に引きこもる前は、既存の魔術の最先端を行く研究者であり、それが辺境に引きこもった際には様々な憶測が流れたものだ。
ある者は魔術を極めることに飽きたのだろうと予想したし、ある者は学院長との仲違いだろうと噂した。
ジュリエッタはそれら流言を聞き流したが、仕えるべき主の一人である以上ずっと気にかけてきたのだ。
それは不安視してのモノではない。
ヘカティアは天啓を司る神性であるが、天啓とはつまり過程を経ない真実である。
ヘカティアの行動は突飛なものが多いが、その司るものの様に過程を通り越して真実に至る行動をするがゆえにそう見えるのだ。
彼女が辺境の森で引きこもるというのは、それが最終的に必要な事だからに他ならない。
ヘカティアの行動の意味を知る大妖精の巫女だからこそ、引きこもった末の結果がいかなるものになるか、それを機にかけたのだ。
その結果が、今ジュリエッタの前に居た。
新たな魔術を広める始まりの魔術師が。
その魔術に力の差異が問題とならないとするなら、それを操る知見こそ比べられ差となり尊ばれる要素となるだろう。
目の前の魂はその知見の塊だ。まさしく、叡智と魔術の神の眷属にふさわしい魂と言える。
魔術の神が異界を旅し見出した魂が、神の魂さえ納められる器に据えられているのだ。
まさしく、神の子として仕えるべき存在だった。
ジュリエッタは、神の巫女として、この少年に仕えられる喜びにウェドネスとヘカティアの2柱へと感謝した。
よくぞこの身を大いなる任に就かせて下さったと。
陶然と幸福感するジュリエッタと、その笑顔に見とれるローウェイン。
しばらくの間続いた奇妙な均衡は、一つの音で遮られた。
「ぐぅ~~~」
「……こ、これは気付かず失礼を。すぐに食事の準備を致します!」
「ご、ごめんさい」
10歳の子供らしく、またやや大き目な腹の音が響く。
大森林からの移動、怪巨鳥の討伐、後始末と時間を押していたローウェインは、盛大に腹を空かせていたのだ。
ジュリエッタは夜営の準備を終えていたが、食事より先に許しを願ったため先延ばしにしていたのが少年の腹には耐えかねたらしい。
今は消えているが怪鳥退治の間、豊穣なる晩餐の効果の如何にも空腹を煽る匂いの中に居たのも原因であろう。
慌てて保存食などを用意するジュリエッタは、そこで改めて休憩地を見渡す。
戦いの間は豊穣なる晩餐の香りで打ち消されていたが、それらが初期化で消えた今では討伐の残り香たる怪鳥の血の匂いが残っているようだった。
「ローウェイン様がお食事になられるに、この匂いは聊か合いませぬ…」
「確かにちょっと鼻につくかな…そうだ! これで一気に匂いを消せるかも」
ローウェインが魔符を取り出す。
名称:広域浄化
マナ数:陽〇〇〇
区分:即時魔術
対象:場に存在する付与魔術全て
全ての状態異常及び付与魔法を取り除く
未だ谷底で行われている神官モンスターの能力としての浄化作業は、死骸の状態を整え死臭を消し、流れた血さえ清められていた。
この魔符は単体用の浄化の魔術の範囲を広域に広げたものだ。
下で行っている浄化と同様の効果を発揮するなら、つまりこの匂いも同様に消せる可能性がある。
「この魔符の事、谷底で作業するときに思い出せてたらもう少し作業を効率化できたかな…?」
カードプールが多くなると、どんなカードをデッキに入れたか忘れることがあるなあ、などと呟きながら、ローウェインは魔符に魔力を流す。
効果は覿面だった。
辺りの戦いの残り香は消え、あちこちに残る血の跡や荒れた地面が整えられていく。
いっそ聖域かと思うほどに浄化された休憩地は、清涼な風さえ流れ始めていた。
「ジュリオさん、これでどうでしょ…う…か?」
「ええ、この地はローウェイン様に相応しき場所になったかと……ローウェイン様?」
得意げにジュリエッタに振り返ったローウェインは、見事に固まった。
そこに居るのは、少年が先ほどまで見続けた英雄ではなかった。
登り始めた月の光に照らされているのは、一人の大妖精。
ウェドネス、ヘカティア2柱で入念にかけられた偽装魔術。
その一切を剥ぎ取られ、本来の巫女としての晒したジュリエッタの本来の姿がそこにあった。
「女神だ…女神が居る」
思わず漏れた言葉を後日知った少年の母親が『ワタシの時はそんなこと言わなかったわよね!?』とへそを曲げたとか曲げなかったとか。
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作中カード紹介
名称:広域浄化
マナ数:陽〇〇〇
区分:即時魔術
対象:場に存在する付与魔術全て
全ての状態異常及び付与魔法を取り除く
解説:魔符のバリエーションとして、効果の違いだけではなく範囲の違いも挙げられる。
単体対象の魔術が複数対象になればそれだけでも変化となり、別の魔符となる。
この広域浄化はその変化パターンの試作である。効果として浄化と言う無害なものでの範囲化検証は、理にかなった行いであった。
この成功によりその他の単体用魔符の範囲違いが様々に生み出されていくことになる。
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