3話 回復魔術について 人体には初期化機能などついていないという話

 魔符魔術での初戦闘検証から戻って来た私達は、それぞれになすべきをこなしていた。

 私はいまだ勉強途中のこの世界の基本知識の習得に努め、師匠は先の戦闘で得られた情報から早速新たな魔符の生成に取り組んでいる。

 今更だが、この魔符魔術というのはとんでもなく無駄に高度なことをしているのではと私は思っている。

 先の戦闘で扱った魔符だが、狼の召喚とその毛皮の防御力を上げるという行為に対して、いちいち世界の魔力源泉に接続して力を引き出していたのだ。

 魔符魔術がそういう基本設計である以上仕方のないことなのだろうが、あまりに大げさすぎる。


「そうでもないわよ。世界の魔力源泉から力を引き出すといっても、全部注いでるわけじゃないんだし。魔符一枚が引き出せる量なんて限られてるわよ」

「漠然と言われても実感として理解しにくいのですが」

「例えるなら、太陽の光ね。貴方は太陽の光を浴びたところで太陽そのものが陰るかしら?」

「太陽の光を遮ることはできても、太陽そのものが輝くのを止めるわけではないですね」

「そういうこと」


 そもそも私はその世界の魔力源泉なるものも把握しきれていないのだが、叡智と魔術の神である師匠がいうのだからそうなのだろう。

 そしてもう一つ、私は師匠に確認しなければならないことがあった。


「今更なのですけどね。師匠なら私などを異世界から引っ張ってこなくても、テスターなら確保できたのではないのですか? 神様なんでしょう? 配下の天使等はいないのですか?」


 そうなのだ。勧誘された際には頭が回っていなかったが、師匠は神様である。なら天使なりなんなりの眷属などがいても不思議ではないはずだ。


「ん~天使ねぇ。天使は難しいのよ」


 ある程度予想していたが、師匠の反応は鈍い。

 それはそうだろう。天使なりに何も問題なければ私は少なくともソロでのテスターをしていないはずだ。


「幾つか理由はあるけれど、まず一つ。天使も暇じゃないのよ。ほぼ全員天界でそれぞれの役割を果たしてるわ。中々に多忙よ? 貴方の元居た世界のブラック企業なんて可愛く見える位ね」

「天界なのに地獄じみてませんか?」

「ワタシも含めて、神や天使なんて世界という巨大な機構を動かす歯車みたいなものよ。歯車が働かない世界は正常に機能しない。休めるわけないでしょう?」


 素晴らしく夢の無い話だった。だけど抜け穴はあるのよねぇと師匠は続ける。それが下天だと。


「天界にいると否応無しに働かないといけないけど、下天は猶予のある出張みたいなものなのよね。だから下天する機会があるとみんな揃ってその役目を狙うの。ワタシは今回の下天で目的上絶対に必要な要員だから席を確保するのが楽だったけど、ほかの幾つかの役割は権能が被る神がいて凄いことになってたわ」


 曰はく聖女枠を巡っての争いで恋愛の神だかの神殿が半壊しただの、英雄王の枠を巡っての鍛錬の神と戦争の神のガチバトルで遠い星が砕けただの。

 嬉々として語る師匠は、きっと全てのゴタゴタを高みの見物していたのだろう。

 特に人気が高かったのは勇者の役割らしい。なんでも天空と統治を司る主神さえ参加してのバトルロイヤルになったというのだから世も末だ。


「割と大ごとになったんだけど、最終的に運命と道化を司る神がちゃっかり席を確保してたのは流石だったわ。あの神性って立ち回りがうまいのよねぇ」


 そんなわけで今地上には勇者がいるそうだ。世界を回りながら世界の危機を防いだり、人々の間の不和を解消したりと活躍しているとか。

 道化の神の割に正当に活動している様子。きっとせっかく掴んだ休暇まがいの出張を手放したくないのだろう。

 それはそれとして中々に興味深い話だが、脱線し過ぎではないだろうか?

 天使をテスターとして採用できない話はどこに行った。


「良いじゃないの。覚えていて損のない話なんだから」


 師匠は悪びれずに私の非難を流すと、二つ目の理由を告げる。


「天使が暇じゃないという話はしたけれど、予備人員が全くいないというわけじゃないの。主神も割と頑張って天使の追加要員を常時作ってくれているもの。でも、それでも問題があるのよ」

「問題とは?」

「ワタシね、天使受けが悪いの」

「天使受けが、悪い」


 思わず真顔でオウム返ししてしまった私は悪くない。

 天使に受けが悪い神って何だろう?冗談としても意味が分からない。


「冗談じゃないし真面目な話よ。そもそもワタシが司るのは叡智と魔術なのは知っての通り。そのうち魔術が問題でね…この世界の天使って既存の魔術と根本的に相性悪いのよ」


 そもそもこの世界の天使とは、先に説明を受けた通りに神が生み出す世界運営の為の歯車。それに対して魔術は通常の世界の有り様に干渉して目指す目的を果たす手段だ。

 つまり歯車側にとっては世界の運営が本来の業務であり、魔術は追加業務みたいなものか。それは嫌われても仕方ない。対応するのに残業必須ではないだろうか?


「そもそも論になるけど、魔術って本来世界にとっての緊急用の手段みたいなところがあるのよ。貴方の世界では表向き魔術なんて使われていなかったでしょう? 安定した物理法則基準の技術を神々としても推し進めてほしいのだけれど…その緊急手段を使わないと対処できない問題がある以上、うちの世界もまだまだ技術ベースに出来ないの」


 私の前生の世界では伝説の中にしか語られない様な魔や混沌が、今生のこの世界では活発に活動している。

 それらへの対処は魔術のような緊急手段でなければ対応が難しいのだと。


「それでワタシは魔術を司る神よ。天使にとっては緊急業務を通達する上司ってわけね」

「それは嫌われても仕方ないですね。陰口とか叩かれたりしませんか?」

「そんな天使は居ないわね。以前は居たけど」

「…何故居なくなったのですか?」

「一番陰口しまくっていた天使にそんなに不満があるなら神の座渡すからうまくやりなさいなって役職譲り渡したの。あの子ったら1年もたたずに泣きながら堕天していったわ。それ以来誰も文句も陰口も言わないわね」


 なんでこう師匠の語る天界事情はブラック企業じみてるのか。


「そんな訳でワタシが天使受けしないのと天使そのものが魔術と相性が悪いのが二つ目の理由」

「…もうお腹一杯な気分なんですが、まだ理由があるのですか?」

「一番大きな理由よ。世界のバランスが崩れかねないわ」


 そもそも、天界の存在が地上で活動するのは大きく制限がかかる。

 叡智と魔術の神である師匠の場合、本来の神性から能力や権能にデチューンをかけまくって、そのうえで魂の一部という形で一側面を抽出してようやく地上の魂の器である人に宿ることができる。

 さもなくば地上が持たないからだ。神性そのものを地上世界に顕現させるのは、例えるなら夜空に浮かぶ月や星を地上の高さに置くようなもの。大地そのものが滅びるだろう。

 それは天使にも該当するという。先の例えなら天使の顕現はキロ単位の大きさの小惑星になるという。どこぞの機動戦士が押し返す案件である。

 だが私はここで疑問に思う。


「では神々の使った抜け道を天使に使えないのですか? 能力の制限をかけて人に宿るのは?」

「もうワタシに可能な枠を使っちゃったのよ。全員ウェドネスの所で既存魔術の研究のデスマーチしてるわ」

「うわぁ」


 叡智と魔術を司る神のうち師匠とは別側面の権能をもつ父上は、曰はく真理と研究を担っているという。

 先日ここ母上の住居で休暇を過ごしていた父上は、心底疲労に染め上げられた息を零しながら天界からの追加要求で既存魔術の仕様変更が決まったと嘆いていた。

 とことん師匠から聞く天界がらみの内輪話が地獄めいてるのは、本当に何故なのか。


「ウェドネスも本当に大変よね。だから今度は貴方も親孝行してあげなさいな。これでも使ってね」


 そういって母上が取り出したのは、新たな魔符だ。それも2枚もある。



名称:浄化

マナ数:陽

区分:即時魔術

対象:単体対象

対象上の状態異常及び付与魔法を取り除く

「全ての呪詛は、彼が手をかざすと尽く消え去った」



名称:治癒の霊水

マナ数:水

区分:即時魔術

対象:単体対象

対象の生命に+100する

「傷つき倒れた勇士に、清らかな湧き水の癒しを」



 おお、土マナ以外を使う初めての魔符じゃないか。どちらも回復系だな。

 どうやら師匠は1マナ系即時魔術をまず充実させるつもりのようだ。

 しかしデバフ解除はともかく回復系か…前生のTCGではファンデッキの類で馬鹿みたいにライフを増やしたりした以外ではあまり使用しない系統だった。

 基本的にTCGというのは自分が回復するよりも相手のライフを削りきるのを優先させたほうが有利になるシステムだった。

 場合によっては自分のライフなど1あれば全部カードコストにつぎ込んでも問題なかった。

 しかし今生ではそうも言っていられない。

 今生でのカードは、魔符魔術は私の武器であり鎧である。

 そしてマスターカードに表示された生命が尽きれば私の今生もまた終わるのだ。


「森でマスターカードを初期化したでしょう? マナも他の魔符も初期に戻ったけれど、実は初期化に影響されない箇所があったのよ。それが生命の欄」


 師匠の言葉にマスターカードを取り出し見つめる。生命の値は2000。これが私の命そのもの。


「マスターカードは貴方の状態をしめすけど、貴方自身に干渉は出来ないわ。だから傷を負っても初期化なんかじゃ回復できない。だからこそこの2枚よ。傷を負ったらこまめに回復する事ね」


 前生のTCGでは、試合の度にライフは全快状態から始まっていた。

 ライフが減った状態で試合は始まらなかったし、基本的には1対1だった。

 だがここは異世界で、敵対してくる相手は私の生命の状態などお構いなしで、複数の相手が襲い掛かってくる。

 確かにこの2枚はいち早く作っておかなければいけなかっただろう。

 状態異常解除の浄化も重要だ。

 例を挙げれば先の森での戦闘では現れなかったが、致死毒を持つ大蛇があの森には棲んでいる。師匠が居る状態なら解毒してもらえるが、今後を考えるとそうも言っていられない。

 その他状態異常を含めての解除魔術は心強い限りだ。

 しかし現状ではマナ枠は〇一つ。複数属性を扱うには、いちいち初期化が必要となり不便だ。

 その辺りも含め、そろそろマスターカードのランクについて師匠に確認する必要があるだろう…


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作中カード紹介


名称:浄化

マナ数:陽

区分:即時魔術

対象:単体対象

対象上の状態異常及び付与魔法を取り除く

「全ての呪詛は、彼が手をかざすと尽く消え去った」



名称:治癒の霊水

マナ数:水

区分:即時魔術

対象:単体対象

対象上の生命に+100する

「傷つき倒れた勇士に、清らかな湧き水の癒しを」



解説:即時魔法『地の鎧』の成功を受けて、ヘカティアが真っ先に開発したのが浄化と回復を司るこの2枚である。

 この二枚の最大の特徴は、地の鎧の対象欄にあったモンスターの一文が消え、単体対象という表記のみになったこと。

 つまり魔符魔術を操る術者当人にも影響を及ぼせるという点にある。

 試作であるため術者本人への干渉機能は見送られた地の鎧に対し、この2枚が術者への干渉を求められたのは、必要であったからに他ならない。

 作中で語られた魔や混沌の脅威は、この世界の至る所に危険を振りまいている。

 魔符魔術の使い手は否応なしにそれらに立ち向かい、傷つき毒や呪いの脅威にさらされることになるのは必然。

 ヘカティアは言外に貴重なテスターであり弟子であり子の保護を優先したのだ。

 先に開発した地の鎧も術者への付与が可能となるように改良が加えられることになるのだが、それは初期開発が一段落した後の事となる。

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