カレアレ!

倉川テイラ

第1話

「どうしてこんな事も出来ねぇんだ糞ガキめ!」

 毎日放たれる定番の罵倒はこれだった。

 文言は男女年齢によって多少変わるが、大意としては同じ事だろう。

 成す事を終えても、指示された通りにやっても、期待を込めて過剰な結果を齎しても、結局最終的に返って来るのは無能さを捻じる言葉だった。

「余計な事はするな、指示だけをしろ。それだけが何故出来ない!?能力の誇示は逆に無能さの表れだの分からないのか、愚か者め!」

「やれて当然の癖に何を期待してるんだか。あんたが出来るから、分かってるから雇ってやったんだ。ほんの少しでもほつれがあれば、水ぶっ掛けられても文句一つ言う資格は無いね」

「本当に、出来る癖に何も出来ない奴だぜ。人間の形をした何者だ?悍ましい、考えたくもない」

 今日は十人程の依頼を完了させた。

 手許には一日を過ごす為の僅かな食糧と、水と、新しい毛布がある。

 沢山の棘に刺されながらも、少年は達成感と安心感で緩やかに微笑んだ。

 通りすがりの知らない誰かが、そんな彼に舌打ちをして足を払う。

「うわっ!」

 堪らず、掬われるままに床へ転んだ。

 あちこちから愉しそうな笑い声が聞こえる。

 頬に出来た擦り傷の泥を手で拭って、落とした食べ物や水容れをもう一度抱えた。

 毛布は、水溜まりに浸って、今日はもう使えそうにない。

「(一番大変だったのにな、これ)」

 乾かす事は容易だが、周りはきっと許さないだろう。

 現に、少年の動きを強く見計らう何人もの視線を感じた。

 きっと無いだろうけれど、とにかく人気の無い場所まで去らないと、どうにもならない。

「(ええと……ああ、あそこなら大丈夫だ)」

 瞬きの間に『視た』街の俯瞰を頼りに、慎重に歩く。

 相変わらずどの人も突き刺す目線で擦れ違ったが、防波堤まで足を運ぶと流石に誰も居なくなった。

「良かった、危ないもんね。ここ」

 逆に着いて来られて怪我をされる方が困る、と言いた気に少年は安堵する。

 今夜は波が高い。

 寒いし冷たいし、満潮になると足許まで沈むかもしれない。

 近くの煉瓦壁に手を当てて、幾許かの空白を編む。

 本当に人間が周囲に居ない事を確信して、少年はようやく両手を自由にした。

「寝床を作らなきゃ」

 床に手を置いて、体温を馴染ませる。

 うーん、と小首を傾げて考えた後、少年は笑顔で掌へ力を僅かに込めた。

「海の近くだし、やっぱりコテージかな」

 言った瞬間。

 存在しない筈の木材が床から溢れ出し、意志を持つかの様に勝手に組み立てられて行く。

 数分すると、少年は小さいながらも立派なコテージに身を置いていた。

 ちゃっかり、机と椅子、ベッドも作りながら。

「毛布も乾かさなきゃ。頑張って頼み込んで良かった。何でも創れるからって言われて、食べ物と水以外はなかなか貰えないんだよね」

 びしょ濡れの毛布を一振りはたくと、水分が弾けて霧散する。

 霧が消える前に彼が指で円を描くと、空中に水の塊がゆらりと浮き上がった。

「うーん……濾過すれば飲めるよね、やっぱり。こう言うの良くないかもしれないけど、今日はお水あんまり貰えなかったから、拾い物って事で……」

 土が浮く水の玉に少年が指先を触れると、漂白したかの様に波をうって綺麗な反射を光らせた。

 そのまま指を動かすと、水の塊は、街の人から貰った飲み水が入っているポリタンクに沈む。

「コップ一杯分はあるかな」

 簡易なベッドに毛布を敷いて、撫でた。

 本物の毛布の手触りだ。

 久し振りに現実感があって、嬉しい。

「今日はよく眠れるかも」

 パンの包みを外して、齧り付く。

 固いけど、逆にそれが心地良かった。

 食べてる感覚がきちんとあるし、味もある。

『おや、坊や。今晩はここに泊まるのかい?』

 海から波に乗って、頭へ女性の声が響いた。

 珍しくも何とも無いのだが、誰かは分からないので、取り敢えず彼は答える。

「うん、少し土地をお借りします。貴女はここの土地神様ですか?」

 毛布に座って、触りながら声を出す。

 ちゃんと現実なんだと自覚する為に。

『そんな大袈裟なもんじゃないさ。地縛霊だとでも思っておくれ』

「それにしては怨念も悪意も無いですね。ここが好きなんですか?」

『ああ。ここの人間は優しく、気の良い奴ばかりさ。その心が愛おしくてね、つい居着いちまう。生憎坊やは別格みたいだけどね』

「仕方ないですよ、逆に言えばそれが普通です」

『難儀だねぇ。何もかもが坊やにはあるのに、何もかも手許に残らない。霊界でも有名だよ、あんた。流石に肉体が無くなると関係無いのか、あたしには何ともないけどね』

「嘆いてくれてありがとうございます。でも、興味本位でも話し掛けてくれる貴女みたいな存在も居るから」

『聖人だねぇ、怖いくらいさね。ま、そうじゃないと生きてられないか』

「どうでしょう。僕は、物心付いた時からずっと僕のままなので」

『あぁ、だろうね。でも呪いから解き放たれると感じるよ。どうにか笑って欲しいってね』

「……初めて言われました。僕、笑えてませんか?」

『笑えてる、ってのは笑ってる事にはならないよ。坊やには難しいかもしれないけどさ』

「ごめんなさい。僕、欠けてるものが多過ぎて、知らない事も沢山、あるから」

『そりゃそうさ。誰も教えちゃくれないし、奪われてばっかなんだから。生きてる実感はえ危ういだろう?』

「凄い、よく分かりましたね」

『愛おしそうにそんなぺらぺらの毛布を撫でてりゃ、大概想像は付くさ。坊やの境遇を思えばね』

「な、なんか恥ずかしいな……」

『あぁ、今のは本当の感情かもしれないよ。良かったね』

「本当?良かった。僕、まだ心があるんだ」

『……安心しな。世界が間違ってあんたを創ったのなら、世界があんたを見捨てる筈は無いさ』

「だと、良いんですけどね」

『今夜は波音が浅くて良い子守唄になるよ。ゆっくり温まりな』

「ありがとう、幽霊さん」

 そうやって、いつも通り笑顔になると。

『なんだい。あの『万能のツカサ』も、可愛い顔が出来るじゃないか』

 なんて。

 不思議な台詞を残して気配を消してしまった。

「可愛い……?僕は、もう十九なんだけどな……」

 幼い自信は悲しいながらある。

 成長する為の屈折さや自尊心が無いからだ。

 いつまで経ってもツカサはこの世界で目覚めた七歳のままで、身体だけが大きくなって。

 鏡に映る自分の顔が、たまに誰だか分からなくなるくらい、男っぽい、精悍な表情がある。

 それがツカサの顔なんだと、まだ納得出来ない辺り、心はまだまだ小さいままだ。

「まあ、良いや。今日は本物の毛布があるし、それだけで、幸せだ」

 生理的に口許が緩むが、これが感情のある筋肉の動きなのかすら、彼はもう実感出来ない。

 万能のツカサ。

 神が世界を救う為に創った、あらゆる物を創造出来る、かつて魔法と呼ばれた奇跡を扱える、誰かを助ける事で生きる、そんな存在。

 けれど、世は平穏で、争いは何処にも無くて。

 臆病になっていた人類は彼の力が闇の前触れだと謎めいた確信を持って、ツカサを道具として扱う事で恐怖を和らげていた。

 ツカサは何でも創り出せる、水も食べ物もきっと命さえも。

 でも、それはツカサが空想を形にした物で。

 彼にとっては現実に描いた絵と変わらない。

 食べても味なんて無いし、腹が満たされるのも錯覚に近い違和感が残る。

 でも、他の人は、本物と何ら変わらない、無から生まれた現物だ。

 人々は豊かな地に住みながらも、気紛れに彼の力から贅を喰らい、僅かな施しで追い出す。

 十数年、ツカサはそうして世界を渡り歩いて来た。

 でないと、ひとりぼっちでは、何もかも得られてま、何もかも喪ってしまうからだ。

「(ああ、暖かい。薄くても、本物はこんなに動物の、命の匂いがする)」

 毛布に包まって、身を屈める。

 世界が救ってくれるなんて、実はとっくに諦めている。

 死んでしまったら死んでしまったで、役目が終わったのだから、皆にとっては幸せな事だとすら考えていた。

 でも、もし。

 もし、世界が救世主を救ってくれるなら。

「……僕は、ひとりぼっちじゃ、なくなるのかな」

 そんな訳ないけれど、と。

 小さく保険の様に付け足して。

 今夜は、初めて、優しい波の音を聞きながら、眠った気がした。

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