第2話 『アカシックレコード・プロジェクト』


『アカシックレコード・プロジェクト』


 人の脳にセンサーを取り付け、その記録を莫大なデータとして蓄積する。その人間の脳神経の動きを完全に記録するのだ。何を見聞きし、何を感じ、何を憶えていったか。この情報パターンをロボットに埋め込めれば、人間の思考が再現できる。これによって彼の研究するロボットは、飛躍的に人間に近づくだろう。

 

 会社も興味を示した。紗良の遺産も育児のためということで研究開発に利用させてもらう。


 事故に遭った紗良の脳の後遺症を防ぐという名目でセンサーが埋め込まれた。


 彼女の脳の動きは全て、コンピューターの中に保存される事になった。


 その中継機能として、サポートロボット「アン」は紗良のそばを片時も離れない。


 人間により近いロボットを造りたい。

 そのために山根は姪を犠牲にした。いや、犠牲にしたという感覚はなかった。仕方がないという気持ちも一切なかった。


 全て、タイミングがよかった。


 それだけだった。



 そして、非人道的なプロジェクトが始まった。



※※


 紗良はアンによくなついた。

 山根はほとんど家に戻ることはなかったし、物心ついた時から彼女のそばにずっと一緒にいたのはアンだった。

 食事の世話をしてくれ、勉強を教えてもらう。疑問に嫌がらず答えてくれ、悩みも愚痴もいつも、いつまでも、静かに聞いてくれる。喜べば一緒に喜び、怒れば気遣い、涙は流さないが一緒に泣いてくれた。


 山根曰く、アンには感情がない。あるように見えるのは、128種類の表情バリエーションから想定される選択をしているだけだと。


 しかし紗良はそんなアンへの想いを大切に育てていった。


 紗良は幼稚園に行き、りぼん結びのやり方を覚えた。アンが丁寧に教えた。

 

 小学生になり、足し算引き算を覚えた。アンがりんごとミカンを並べた。


 笛の吹き方を覚え、ピアノを弾き始めた。アンはいつまでも音の外れた曲を聞いた。


 気になる男の子ができた。アンは相談された。


 チョコレートの作り方を覚えた。アンと一緒に作った。



※※


 彼女の脳の異常に最初に気が付いたのはアンだった。


「紗良のシナプスがこの半月の間、今までと違う動きをしています」


 紗良が14歳の時だった。


 報告を受けた山根は、とにかく記録しておくようにと指示をした。

 イレギュラーは大切な情報だ。これも人間らしい思考を得るためのよい機会だ。一瞬、紗良の脳内に埋め込んだセンサーの事が頭をよぎったが、あり得ない、関係ないと意識の外へ追い出した。




「アン、わたし、今朝のごはんまだ食べてないよ」

「先ほどお食事されましたよ、紗良」

「あっれー? そっか、おなか減ってないからおかしいなって思ってたんだ」


「アン、今日って何曜日だっけ」

「今日は日曜日ですよ、紗良」

「わわわ! 月曜日だと思っていたよお!」


「アン、なんでわたし、このレターセット、持ってるんだろ」

「2週間前に、『かわいいなあ、山根のおじさんにこれでお手紙書いたら喜んでくれるかな』と、買っていましたよ」

「え。わたしそんな事言ったっけ」


 紗良の記憶は少しずつ消えていった。




「アン! お気に入りのあの服、なんでどこにもないの!」

「紗良、半年前、もう着ないからと捨てていましたよ」

「わたしがそんなことするわけないじゃない!」

「ワタシの記録によると6月24日の粗大ごみの日に――」

「そういうこと言ってるんじゃないの! アンはロボットだから全部記録しているんでしょ? 正確にね! アンが正しいよ! どうせわたしが嘘ついているんだ!! わたしの憶えていることは嘘ばっかりなんだ!! そうでしょ、アン!」


 一気にまくしたてる紗良にサポートロボットとしてどのような反応をすればよいのか。

 アンはひたすらクラウド検索をした。


 ワタシは正しい記録は保管している。紗良は間違った記憶を作ろうとしていく。


 ヒトは記憶が消えた部分を自分の都合のよい解釈をし、記憶を上書きしていく。

 アンは、紗良の脳の動きが逐一わかる。そして記録していく。しかし、それを指摘する度、紗良は混乱していく。



 紗良の大脳神経細胞は次々と破壊されていった。

 ついに会社の息がかかった附属病院で医療検査が行われた。



 診断結果。

『若年性アルツハイマーと思われるが、記憶細胞のみが破壊されていく奇病』



 事の重大さに気が付いた会社は危険を感じ、山根にすべての責任を被せた。

 プロジェクトは急きょ停止され、隠された。

 山根は奇妙な理由を付けられ開発室からメンテナンス部に移された。


 閑職にまわされ、監視が付く日々。山根は失意の中、呆然自失となり、ただメンテナンス業務をこなすだけのロボットのような人間になった。




 2年が過ぎた。ひたすら無気力な彼を見て、会社も監視の目を緩ませた。


 今まで紗良のことはアンに任せて仕事ばかりしていた山根だったが、時間ができてしまった。

 そして彼はようやく、紗良とアンに目を向けるようになった。




「ワタシはどうすればいいのか、わかりません。紗良の記憶をシミュレートしました。紗良は断片的な記憶に整合性をつけるため、異なる記憶で補完しています。事実と異なっていきます」


 山根は膨大なデータを分析し始めた。

 アンの記録した情報は緻密だった。紗良が受けた五感とその状況、紗良が行った行動、動作。その際の脳細胞の動き。シナプスがどう繋がっていったか。

 すべてが記録されていた。



 そして、山根の心が変わった。



 紗良の記憶の中には、山根に向けられたモノが多く残っていたのだ。



※※


「アン、明日は土曜日だけど、やまねのおじさん、帰ってくるかな」

 紗良が赤いランドセルを机に置く。

「ここ8週のうち帰宅されたのは2日ですね。帰ってきてくれるといいですね、紗良」

「わたし、3人でピクニックに行ってみたいんだあ。結衣ちゃんがお父さんとお母さんと一緒に行った花野高原が楽しかったって!」




「アン、だいぶピアノだいぶ上手くなったでしょ? 山根のおじさん、驚くかな!」

「そうですね。楽しみですね、紗良」




 山根は寝食を忘れて紗良のデータを解析していった。



※※


「紗良の記憶がどんどん失われていきます。動作などは問題ありません。しかし、記憶に関しては」

 アンの報告に一瞬、間が空く。AIの処理系統に電力を回しているのだろう。

「およそ小学3年生程度の記憶まで失われてきました。修学旅行の思い出、初恋の男の子の名前を忘れていました。書いている文字も漢字がほとんど無くなり、ひらがなが多くなっています」


 そんな時に出逢ったのが脳神経医師の沢口だった。K大学付属病院に移送された紗良の主治医だった。

 40歳手前の彼女は小柄で山根以上に痩せぎすで、明るく楽しそうに話す女性だった。



「先生、それは本当ですか!? 紗良のシナプスを回復する方法があるんですか!?」


 マスク越しに思わず大声を出してしまった山根は、イスに座り直し、背後に立つアンを見上げた。

 アンは通常状態の表情パターンのいくつかを表現している。まばたきが多くなっているのはAIの状況認識系が追い付いておらず、身体制御系に影響が出ているせいだろう。

 

 同じくマスクを着けた沢口はパソコンを操作し、壁のプロジェクターを見るよう促した。

 

「ええ。ES細胞ってご存じですか?」

「すべての細胞に変化させることができる細胞……ですね?」

「そう。これを脳細胞に転換させるの」

「そんなことが……」

「ロボット技術だけでなく、再生医療の方も技術が進歩しているんです。ただ――

 沢口は額に指を当て、困ったというような仕草をした。


「皮ふとかの細胞から変化させるiPS細胞の技術と違って、同じ細胞再生技術でもES細胞はやり方が違うんですよ」

 チラリと山根の方を見る沢口。

「ヒトの受精卵から変化させるんです」



※※


「将来赤ちゃんになる細胞を使って、脳神経細胞に変化させます」

「……」

 沢口の口調が重く変わっていた。


「倫理面、拒絶反応の問題もあるのですが、今回は脳神経細胞ですから、よりリスクを少なくしたい――」

 半透明マスクで表情は見える。沢口は一旦口を閉じて、ゆっくりと開いた。


「ですので、紗良ちゃんの卵巣から摘出して人工授精させ、培養して大脳に移植します」



※※


「紗良ちゃんはすでに十分に性徴が見られています。排卵もされています。可能です」


 時間はなかった。悩む時間さえ惜しかった。明日の朝になれば紗良の記憶がどこまで消えていくのかわからないのだ。

 幼稚園? いや、もっとかもしれない。


 山根は紗良の記憶を失くしたくなかった。ほぼ帰宅せず、彼女の記憶の中に実際の自分は現れない。だが、全く消えてしまうのは、苦しかった。ひたすら苦しい。

 勝手な話だ。いくら後悔してもしたりない。

 そして、それ以上に苦しい想いがあった。



 これ以上進行すると、アンの記憶まで消えてしまうだろう。



 アンは完全に今までの思い出――記録を持っている。だが、紗良は今までのアンとの思い出を失ってしまう。


 それだけは……それだけは!

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