それでも君が好きだよ~全て忘れていく孤独な君へ~

筆屋 敬介

第1話 それは、記録と記憶の物語

 全世界にまん延したウイルスが、ある技術を大きく発展させた。

 人と人とが接触するという当たり前の世界が崩れ、何度も変異するウイルスに数千万人もの死者を出した未曽有の危機に大きく進化した技術。

 それはヒトのサポートをするロボット技術だった。


 ウイルスに感染せず、洗浄殺菌も容易なロボットは爆発的に進化した。と同時に無機質なロボットたちを、ヒトはより人間に近づけようとした。姿かたちを、表情を、動きを、声を、会話をヒトに似せる。ヒトに寄り添うロボットたちは新たなパートナーとなり、親しみや慰めを求めてヒトと寸分変わらぬ姿に進化していった。



 一か月に一度のメンテナンスのために、山根やまね創介そうすけは病棟の廊下を歩いていた。

 口元には半透明のポリ繊維マスク。薄いブルーの作業ジャンパーの制服姿に50を超え白髪が増えた姿は少々くたびれてはいるものの、一介の整備士風情ではないように見える。


 ヒューマノイドロボット・メンテナンスキットが詰まったキャスターバッグを引く彼の半歩前を、同じくマスクをした年かさの女性医師がテキパキと進んでいく。痩せぎすの山根と対照的に、彼より頭一つ低く少しふっくらした白衣姿。年齢は40を越えてはいるがかわいらしい雰囲気の女性だった。


「山根さんも毎月お疲れ様ですね。半年に1回のメンテナンスでいいんでしょ?」

「いや……紗良さらが、気になりますし……アンもどうしてるかなと」

 ハキハキ話す女性医師にボソボソと返す山根。


「山根さんはまだまだお忙しく?」

「今はしがないメンテナンス部員ですから大した事はないです。沢口先生は……お忙しいのに今月もありがとうございます」


「いえいえ――」

 歩みの速度を緩めた女性医師――沢口さわぐち瑞樹みずきの声のトーンが落ちる。

 

「アンがあんな風になったのも私たちのせいですもんね」

「……」


 もう何度も繰り返された会話。

 大手アンドロイド開発製造企業、元開発室長の山根と、K大学付属病院、脳神経医師の沢口がこの廊下を歩く度に繰り返される。

 忘れているわけではない。口癖のように、どうしてもこの会話になるのだ。


「えっと……あ。紗良ちゃん、今月19歳になりますね」

 沢口は再び歩く速度を上げ、声のトーンを戻した。

「ということは、アンちゃんも確か19歳になるんですよね?」

「2030年型の量産前最終プロトタイプですから、その一年前に製造されました。正確に言うと1歳年上の20歳になりますね」


 沢口は茶目っ気のある笑顔で山根に振り向く。

「そんなわけで、紗良ちゃんにはケーキとぬいぐるみをプレゼントしようと思うんですよ。アンちゃんには何がいいでしょうね」

「そうですね……今日持ってきた新型バッテリーが……」

 真面目な顔で答える山根に、沢口が前を向いたまま楽しそうに笑った。

「私、何かおかしなこと言いましたか?」

「5年前と全く変わってないですね。山根さんって」


 あまり人付き合いが得意ではない山根だったが沢口には気を許している。二人は紗良とアンを守るために共に戦った戦友だった。


「……もう5年経つんですね……色々ありましたね、沢口先生も私も……」


 やがて白く無機質な廊下の途中に透明なプラスチックボードでその先を区切った区画が現れた。簡素なドアが付いている。

 沢口は持ってきたリモコンでセンサーを解除し、そのドアの鍵を開けた。


 ――何度来ても慣れないな。


 沢口が先に通り抜け、山根とキャスターバッグがそのあとに続くと、彼女は静かにドアを再び施錠した。



※※


 二人は薄暗い廊下の末端に到着した。目の前の病室のドアをノックする。返事はない。

 ドアを開けると、ひと月前……いや、5年前から変わらない光景が現れる。

 薄明りだった病室の光量を徐々に上げていく沢口。


 そこには白いベッドが置かれており、一人の少女が眠っていた。

 いや。正確には、眠り続けていた。


 彼女は14歳の時から5年間、眠り続けているのだ。成長抑制薬を常に投与され、全身の細胞の動きを極限まで遅くしているために19歳には見えない。恒温状態の部屋の中、そんな身体に過度な負担がかからないよう掛布は薄手であり、少女の小柄な体型を浮かび上がらせていた。


 彼女――清瀧きよたき紗良さらは、原因不明、治療法もわからない奇病に侵されていた。


『進行性多発性大脳神経耗弱症』


 そう名付けられた病は、彼女の大脳の神経系シナプス――その繋がりが破壊され、外れていくというものだった。

 

 人間の記憶とは大脳の神経細胞同士の繋がりと、そこを流れる電気信号の集合で作られている。なんらかの刺激を受けると神経細胞同士がシナプスで繋がっていき、そこを通る化学物質や電気の流れ方によって記憶が固まっていくのだ。


 この病は一度連結したシナプスがあちこちで外れてしまうものだ。せっかく繋がっていた神経が再び外れていくということはすなわち――記憶が消えていく――という事だった。


 若年性アルツハイマーである。


 新しくもろい連結のシナプスから順に外れていく。これは新しい記憶から順に消えていく、アルツハイマーの症状だった。


 しかし、彼女の病には不可思議な点があった。

 大脳の記憶神経のみが侵されるという事。


 彼女の病に奇跡があったとするなら、生命維持や身体の成長などには問題がなかった事。

 数年後には生命維持の細胞も破壊され死ぬ可能性が高いアルツハイマーとは違い、記憶だけがさかのぼって消えていく。




「紗良ちゃん、アンちゃん、体調はどう? 山根さんがお見えですよ」

 沢口の声に返事はない。

「お邪魔しますね」

 付けているマスクの位置を確認してから入室する。


「やあ、久しぶり。紗良ちゃん、アン。変わったことはないか」

 山根も物言わぬ二人に声をかけ、病室に入った。


「どれくらいかかりそうですか」

「前回と状態が変わっていないようなら、1時間くらいかなと」

 山根はそう言うと、眠り続けている紗良の横でイスに腰かけている女性に目を移した。


 その女性は静かに目をつむり、姿勢よく座る姿は微動だにしない。壁からたくさんのケーブルが床を流れ、そのイスの周りを埋めていた。

 

 年のころは大学生くらい。肩口までのライトブラウンの髪に、白いベールを被っている。そして、白のブラウスシャツにデニムのロングパンツ姿。顔立ちは整った美人というわけではない。ただ、絶妙なラインを描く愛嬌があった。

 まさに、実のお姉さんがお見舞いに来ているかのようなたたずまいだった。


 この子がアン。

 2030年型第三世代サポート型ヒューマノイドロボットのアンだ。身の回りのサポートとして目覚ましい進歩を遂げたロボット。人間にそっくりに、という執念で作られた芸術品。

 人間との違いは、このスタイルで重量が90Kg超あること、人間と外見上に見分けがつくようにと条例で決められている首の認識チョーカー、そして、感情がないところだった。


 今は第五世代型のロボットが出回っている。アンは今では旧型品だった。なんせ開発は20年前だ。2歳の紗良のパートナーとして、山根が提供インストールしたものだった。そして、そのことで山根は開発室長を追われるきっかけとなった。




(14歳の紗良ちゃんが眠り始めて2年後。アンは、俺と沢口先生の言葉がきっかけでこうなってしまった)

 それから3年。自責の念に駆られて、山根は毎月、お見舞いという名のメンテナンスに来ているのだった。


「そうだ! 紗良ちゃん、アンちゃん、せっかく山根さんがいらしたんだから、お誕生日のお祝いをみんなでしましょうよ。山根さん、いかが?」

 明るく話しかける沢口の声に山根は現実に引き戻された。


「そ、そうですね……」

「それじゃ、1時間後に。ケーキを持ってきますからみんなで食べましょう」

 ナイスアイデアというようなウキウキとした口調でそう言うと、沢口は病室の天井の片隅に取り付けられているモニタカメラに顔を向ける。

 

「山根創介氏によるメンテナンス。機密に関するため、20時12分から21時15分までモニタを停止」

 そして、リモコンでモニタカメラを停止させた。


「それでは、よろしくお願いします。アンちゃん、よく診てもらってね」

 沢口が出ていくと、病室はかすかな空調音と、酸素マスクの呼吸音、医療機器から響く小さなピコン……ピコン……という音だけになった。


 山根はアンの首のチョーカーにケーブルをつなぎ、持ち込んだメンテナンス機器の準備に入った。 


「なあ、アン。沢口先生っていい人だな」

 ぽつりと呟く。

「よし――それじゃあ、始めるか」



※※


 清瀧紗良の病は深刻だった。

 しかし、彼女は3つの幸運を持っていた。

 「彼女の両親は有名な医者であった事」と「その両親が賢明だった事」、そして「叔父が最新のヒューマノイドロボットの開発者だった事」であろう。

 

 彼女は2歳の頃、彼女の両親とともに事故に巻き込まれた。

 彼女は生き延び、彼女の両親は死んだ。


 まだ若い両親の生涯逸失利益は莫大だった。

 彼女は2歳にして莫大な遺産を得て、孤独になった。


 かわいそうな彼女を養女にしたいと言う自称、親戚が何人も現れた。

 山根は最も近しい彼女の親戚ではあったが、彼はロボットの研究しか頭になかった。育児などという煩わしい事に関わりたくなかった彼は、彼女に興味一つ持っていなかった。彼は自らのロボットをより人間に近づけたい。その一心しかなかったのだ。


 しかし、自称親戚たちはそれを許してくれなかった。

 

 問題は、彼女の両親が生前残していた肉声。

『私たちにもしもの時があれば、一切を紗良に遺す。そして、彼女には自分の事だけでなく世の中に役に立つよう使ってもらいたい』


 自称親戚たちは何とか曲解しようとし、山根にもそれとなく圧力をかけ始めた。

 山根は彼女を養女にしないと言う。しかし、彼らは信用しなかった。疑心暗鬼に駆られ欲望にまみれた彼らは山根と紗良へ執拗に関わろうとした。


 ある日、道を歩く山根に車が突っ込んできた。同じころ、病院にいた紗良の身にも事件が起きた。

 運よく二人とも無事ではあったが、不穏な空気を感じた山根は自らに降りかかる火の粉を払うために動いた。


「私が、紗良の面倒をみます」


 目の色が変わる自称親戚たちを尻目に、弁護士に宣言した。


「彼女の育児には最新鋭のサポートロボットの力を借り、遺産の一部はその運用費用とさせてもらいます」


 自分は最新のロボットの研究が続けられ、遺産は紗良の物となる。育児はロボットに任せて実践データも得られる。

 山根にとっては全てを解決するアイデアだった。

 果たしてその宣言は認められ、2歳の紗良の元に研究中の最新型プロトタイプの「アン」があてがわれた。


 その時、山根は試してみたかったプロジェクトを密かに実行に移した。

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