招かれざる方が再びいらっしゃいました①

 伊織たちが今後の対応を決めてしばらく、何事もなく日々は過ぎていった。警戒は怠らないものの、代わりなく穏やかな日常が過ぎていくことに多くのものが安堵した。だが、伊織を始め玉城や各館の主任、戦力として数えられた従業員、参号館の一部の客は日が経つにつれて警戒を強めていた。


「伊織さま、紅葉さまがお話があると申されていますが」

弐号館からそう知らせが入った伊織は玉城を伴って弐号館に向かう。詰所に入ると帳簿をつけていた菖蒲が立ち上がって向かえてくれた。

「伊織さま、玉城さま、ご足労いただきありがとうざいます」

「かまいません。紅葉さまが私に何か話があるとか。何かありましたか?」

「それが、話は伊織さまに直接するからと、どのような内容かは伺っておりません」

申し訳なさそうに言う菖蒲に伊織は「わかりました」と微笑んだ。

「紅葉さまには迷子を助けていただいたときの貸しがありますから、そのことかもしれませんね。紅葉さまは座敷ですか?」

「はい。いつものお座敷でおくつろぎ中です」

その言葉にうなずいて伊織は詰所を出た。玉城と菖蒲もついてくる。紅葉のいる座敷につくと伊織は襖の前に膝をついて声をかけた。

「紅葉さま、伊織でございます」

「お入り。ただし、入るのは伊織だけじゃ」

座敷の中から返事があり、伊織がすっと襖を開ける。言葉の通り、伊織のみ座敷に入り襖は閉められた。

「失礼します。お話があると聞きましたが、何か粗相でもありましたでしょうか?」

「そのようなことではない。蘆谷道満のことで少しな」

紅葉の言葉に伊織の表情が一瞬険しくなる。だが、客である紅葉の前であるため、すぐにいつもの笑顔に戻った。

「お客さま方にはご心配をおかけてして申し訳ありません」

「そなたのせいではあるまいよ。あれはまたここを襲いにやってこよう。あれがまた来たら、今度は倒すのだろう?倒したあとで良いのだが、あれを妾にくれぬか?」

「蘆谷道満を、でございますか?」

紅葉の言葉に伊織が一瞬固まる。聞き間違いかと思って尋ねると、紅葉はさもおかしそうに「そうじゃ」と言った。

「蘆谷道満の魂がほしい。あれを喰らえば妾の空腹もしばらくは満たされよう」

どこか寂しげに言う紅葉に伊織はハッとした。紅葉は人を喰らう鬼のはず。だが、数日おきにこの湯屋にやってくる紅葉から人の血の匂いや死臭を感じたことはなかった。もう何年、何十年人を喰っていないのかはわからないが、そこまで長い間人を喰わないからには何か確固たる信念があるのだろうと思われた。

「蘆谷道満のような穢れた魂でよろしいのでしょうか?」

「かまわぬ。あの手合いは肉体を失っても悪さをするからの。妾が喰ろうて黄泉へも行けぬようにしてやろう。以前の貸しを返しておくれ」

そう言って笑う紅葉に伊織は静かに頭を下げた。

「ありがとうございます。倒しました暁には、必ず蘆谷道満の魂を紅葉さまに差し上げます」

「楽しみにしているぞ?」

満足そうに笑った紅葉はそばに控えていた給仕に酒を注がせると機嫌よさげに飲んだ。もう話はないと言うので再び頭を下げて伊織は座敷を下がった。


 紅葉の座敷を下がった伊織は玉城と菖蒲を連れて詰所に戻り、そこで紅葉からの要求を伝えた。

「蘆谷道満の魂を喰らいたいとはなかなか剛胆だな」

「紅葉さま、お腹を壊したりなさらないでしょうか?」

話を聞いた玉城は苦笑し、菖蒲は少し的外れな心配をする。伊織は苦笑しながら肩をすくめた。

「紅葉さまには借りがありますから。ご要望の通りにしようと思います。ですから、間違っても蘆谷道満の魂を消滅させたりしないでくださいね?」

「わかった。九郎にも伝えておく」

「私も戦闘に参加する皆に伝えておきますわ」

ふたりの返事にうなずいた伊織はふと詰所の窓から外を眺めた。雪こそ降っていないが、今にも降りだしそうなほど厚い雲が垂れ込めている。

「明日は雪になりそうだな」

伊織の視線の先に目を向けて玉城が言う。伊織はうなずくと「この雲では朝になっても太陽は顔を出しそうにありませんね」と呟いた。

「雪がたくさん降ったら今年も雪灯篭を作るのでしょう?」

「そうですね。あれはお客さまの評判もいいですし、私も好きです」

菖蒲の問いににこりと笑って答える。雪がたくさん降ったときに従業員総出でたくさん作る大小さまざまな雪灯篭は憩い湯の冬の名物になっていた。

「あれは壱号館から参号館まで全ての客に好評だからな」

「美しいものを愛でたいと思うのに種族は関わりがないということですわね」

楽しげに笑う菖蒲にうなずいて伊織は今年も雪灯篭を皆で作れるといいなと思った。


 翌日、伊織が起き出して外を見るとあたり一面雪がたっぷり積もっていた。朝方から降りだしたらしい雪は今も深々と降り続いていた。

「見事に積もったな」

目を覚ました玉城が伊織の肩に羽織をかけながら笑う。伊織はうなずくと窓を開けて冷たい空気を吸い込んだ。

「綺麗ですね。足あとひとつない」

「今だけ見られる絶景だな」

すぐに雪かきをするため一面の銀世界は今このわずかな時間だけ楽しめるもの。伊織はクスッと笑うと窓を閉めた。

「そうですね。早く着替えて雪かきと雪灯篭作りをしましょう」

そう言って着替えを始める伊織にうなずいて玉城もいつもの着物ではなく雪かきしやすい洋服に着替えた。

 雪かきは基本的に手が空いているものがやるのだが、普段着物しか着ない伊織と玉城の洋服姿が見られると従業員のたちの間で密かに人気の仕事になっていた。

 道路から玄関までの通路を雪かきしてから雪灯篭を作り始める。寒さに頬を赤くしながら、誰もが子どものように楽しそうにしていた。

 そんな楽しい時間がすぎていくなか、突如として雷鳴が轟いた。

「全員退避!」

不穏な気配に伊織が叫ぶ。従業員たちは結界を張れるもののそばに集まり、頭を抱えてしゃがみこんだ。

ドーン!!

凄まじい轟音と共に雪灯篭のひとつに雷が落ちる。だが、その雷は自然に発生したものではあり得ない、黒い雷だった。

「戦闘要員以外はすぐに避難!」

急速に近づいてくる気配に伊織が叫ぶ。人間は佳純が、妖は菖蒲が中心になって屋内に避難させる。九郎は湯屋の玄関前に陣取って結界の維持を行った。

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