②
伊織が壱号館の詰所に行くと、そこでは佳純と何人かの従業員が帳簿の整理をしていた。
「すみません。少しいいですか?」
「伊織さん!気づかなくてすみません!」
声をかけられた佳純が慌てて立ち上がると伊織は苦笑しながら首を振った。伊織自ら来るには大事な話なのだろうと従業員たちが詰所を出ていこうとするのを、伊織はにこりと笑って留めた。
「仕事中なのですから出ていなかくて大丈夫ですよ。これからの方針について話にきただけですから」
伊織の言葉に従業員だけでなく佳純の顔にも緊張が走る。伊織は苦笑すると佳純のそばに歩み寄った。
「弐号館、参号館の主任よりとある噂が広がっているとの報告を受けました」
「噂、ですか?」
「はい。蘆谷道満が樹海の鬼を喰らったらしい、との噂です」
「それは…」
佳純の顔がサッと強張るのを見ると、伊織は静かにうなずいた。
「恐らく、ここを再び襲うのに力をつけたのだろうというのが、私たちや参号館にいらっしゃるお客さまたちの共通認識です。そこで、壱号館の営業はやはり蘆谷道満のことが片付くまで見送りとします。力を持たない人間のお客さまを危険にさらすわけにはいきませんから」
「わかりました。従業員たちはどうしますか?」
「従業員の皆さんについては今までどおりでお願いします。ただし、蘆谷道満がここに来たらばすぐに全員シェルターに避難してください」
「全員、ですか?」
確かめるような佳純の問いかけに伊織は迷いなくうなずいた。
「全員です。今回、人間は戦力に数えません。相手は神殺しも厭わないものです。人間が相手にするには危険すぎます」
「わかりました。蘆谷道満が来た際には全員をシェルターに避難させます」
「よろしくお願いします」
納得したようにうなずいた佳純に伊織はにこりと笑って頭を下げた。
「ただ、シェルター内で結界維持の補佐に力をお借りしたいです。結界の維持は九郎さんと菖蒲さんにお願いしているので。結界術に長けた人が何人かいましたよね?」
今までひとりで戦ってきた伊織の助力を求める言葉に佳純は驚いたような顔をしながらうなずいた。
「はい。確かに結界術に優れたものは何人かいます。あとで確認してお知らせしますね」
「ありがとうございます。この湯屋を守る結界が強固であればあるほど、私は心置きなく戦えます。今回は弐号館、参号館からも手練れを出してもらうことになっていますし、玉城も戦闘に参加します。万にひとつも負けません」
「戦闘になったときは、シェルターの中で皆さんの無事をお祈りします」
伊織ひとりが戦うわけではないと知った佳純は安心したように微笑むと静かに頭を下げた。
翌日、伊織は九郎と菖蒲からそれぞれ戦力となり得るものの報告を受けていた。やはりというか、古参のものがほとんどだったが、その中には律華の名前もあった。
「律華さんも戦力に数えていいのですか?」
「あぁ。実力的にも申し分ないし、何より本人がそれを望んでいる。藤華のほうは実力不足で無理だがな」
「わかりました。いざというときは、この方々にも力をお借りしますのでよろしくお願いします」
「そのように伝えておきますわ」
「こっちでもしっかり伝えておく。主殿の力になれると皆盛り上がっていたぞ」
九郎の言葉困ったように笑いながら伊織は「ほどほどでお願いします」と言った。
「あとは、蘆谷道満がいつ動くか、先にこちらから仕掛けるか、ですね」
「居場所はわからないのか?」
尋ねた九郎に玉城が首を振って答えた。
「探らせてはいるんだが、どうにもはっきりしない。恐らく何か術を使って姿をくらませているんだろう」
「さすがは陰陽師といったところですわね」
「だが、そうなるとこちらから仕掛けるのは難しいか」
「はい。後手に回るのは面白くありませんが、その分準備をしっかりして迎え撃とうと思います」
後手に回るしかない現状に不満を抱いていることを隠さず伊織が言う。九郎と菖蒲はそれに苦笑してうなずいた。
「まあ、今回は色々手の打ちようがあるからな。来るとわかっているのだし、罠を仕掛けることもできるだろう」
「そうですわね。ただ後手にまわるのとは違いますわ」
菖蒲もにこりと笑って言う。伊織はふたりの言葉に表情を和らげてうなずいた。
「そうですね。再びここに来たことをたっぷり後悔させてやりましょう」
伊織の力強い言葉に玉城も含めた3人は「応!」と答えた。
星の光も月の光も届かない樹海の闇の中、蘆谷道満は全身に血を浴びて笑っていた。目の前には樹海に住む妖の大量の死骸。妖の血を浴び、肉を喰らい、道満は伊織の破邪の光に焼かれた体を再生させた。そして、樹海に住む鬼を喰らったことで、その力はさらに増し、姿ももはや人間とは思えぬものになっていた。
「はははは!これであの小童にも負けまい。今度こそあれを手に入れてくれる!」
狂気に満ちた笑い声が樹海に響く。樹海に住む妖たちはその声を聞き、蘆谷道満から少しでも離れようと逃げた。あれはもはや人間ではない。妖ですらない。あれはおぞましい存在だ。あれの目についた妖はことごとく喰われた。あれを殺そうと立ち向かった妖も残らず喰われた。残ったのはあれの目に触れないように逃げ続けた妖だけだった。
「さて、力も満ちた。そろそろあの湯屋にいくとしよう。神に邪魔されてはかなわんからな。行くなら日の光が届かぬ曇り空の日か」
忌々しげに呟いて道満は空を見上げた。穢れを大量に取り込んだ道満にとって、すでに太陽の光もその身を焼く存在となっていた。
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