嵐の前の静けさでしょうか?①

 伊織は復調すると弐号館、参号館に顔をだし、客たちに騒がせたことを詫びた。

「伊織や、もう仕事復帰してよいのかえ?」

声をかけてきたのは龍神だった。伊織が「ご心配をおかけしました」と深く頭を下げると、龍神は「元気になったのなら良い」と微笑んだ。

「玉城や九郎が大丈夫とは言っていたが、顔を見るまでは落ち着かなんだ。他の神たちも気にしていたぞ?」

「私が未熟なばかりに申し訳ありません。これからますます鍛練に励みます」

伊織がそう言うと、龍神はそっと伊織の頬に触れて目を細めた。

「稲荷殿の加護を受けたか。お前になら私も喜んで加護を与えたものを」

「恐縮です」

「まあ、番が狐だからな。稲荷殿のほうが相性がいいか」

龍神は慈しむように微笑むと伊織の額に軽く口付けた。

「龍神さま」

「なに、稲荷殿の加護を邪魔したりはせぬ」

人差し指を唇にあてて悪戯っぽく笑った龍神は伊織に弱い加護を与えてくれたのだった。

「蘆谷道満を倒すのだろう?加護などいくらあっても困らぬわ」

龍神の言葉に伊織は困ったような顔をしながら頭を下げた。

「ありがとうございます」

「礼には及ばぬ。私はここもお前も好きだからな。それに、蘆谷道満の所業は目に余る」

「それは…」

「他の神たちもそうであろうよ。もしまた我らがいる時にここを襲うようなら、お前には悪いが我らも黙って見過ごすことはできぬ」

龍神の言葉に伊織は何も言えなかった。神の意思にただの湯屋の主が逆らえるはずもない。それほどに蘆谷道満は神々の怒りを買っていた。

「壱号館の改修は終わったのだろう?まだ開けぬのか?」

「蘆谷道満のことに決着がつかなければ壱号館を開けることは難しいかと思っております」

「ふむ。まあただの人間を危険にさらすのもな。人質にとられては厄介だし、そのほうが無難か」

龍神は納得したようにうなずくと伊織ににこりと笑った。

「もし助けがほしくばいつでも言うが良い。お前ならば喜んで力を貸そう」

「もったいないお言葉、ありがとうございます。万が一の時にはお頼みいたします」

伊織の返事に機嫌よく笑って龍神は去っていった。


 その後も伊織は神々に声をかけられては弱い加護を授けられた。どの神も稲荷神の加護より強くならないように、互いに妨げにならないように、そしてなにより伊織の助けになるようにと加護を授けてくれた。

「ずいぶんたくさん加護をもらってきたな」

執務室に戻った伊織を見て玉城が苦笑しながら言う。伊織は困ったように笑いながら自分の席についた。

「驚きました。皆さま、お優しい方ばかりです」

「それだけないだろうさ。神は強かだ。お前に何かあればここがなくなる。それは嫌なのだろうな」

「ふふ、それは私にとって何より嬉しい言葉です」

伊織は穏やかに微笑むとすっかり冷めた茶を飲んだ。

「できれば、ここに被害を出したくはありません。ですが、これ以上手を出すつもりがないものに追い討ちをかけるのも気が引けます」

「ふむ。何より居場所がわからんのではな。一応管狐どもに探させてはいるが、今のところ手がかりすらないな」

玉城の言葉に伊織の表情が険しくなる。本心、伊織は蘆谷道満がこれ以上手を出してこないのであればあえて手出しをするつもりはなかった。だが、手出しをするつもりがあるのなら、湯屋に被害が及ばぬように居場所を探してこちらから出向くのもやぶさかではないとも思っていた。

「なんとも歯痒いですね」

「そうだな。だが仕方ない。恐らくあいつがお前を諦めることはないだろう。あいつからすれば、お前は絶好の研究材料のようだなからな」

「なんとも不愉快ですね」

伊織は吐き捨てるように言うと窓の外を眺めた。空には沈みかけの満月が輝いていた。

「いつまでも壱号館を閉めておくわけにもいきません。なるべく早く対応を決めなくてはいけませんね」

呟くような言葉に玉城がうなずく。伊織が目を向けた予定表には、翌日の日付に会議と書き込まれていた。


 翌日の昼過ぎ、執務室の続きの部屋になっている会議室に伊織、玉城をはじめ、各館の主任と医師、薬師が集まっていた。

「では月に一度の会議を始めましょうか。まず、壱号館の皆さんにはご迷惑をかけて申し訳ありません」

「いいえ。特に不満も出ていませんし、みんな現状を理解していますから心配しないでください」

開始早々に謝る伊織に壱号館主任の佳純が首を振る。壱号館の従業員のうち、妖を見たり感じたりできる者は現状をよく理解しているし、見えない感じない者も、ピリピリした空気は感じ取っていた。

「弐号館、参号館の皆さんは変わりありませんか?」

「問題ありませんわ。戦闘力が高いものは次は伊織さまのお役に立とうと鍛練を行っておりますし」

「参号館も問題ない。弐号館と同じく、戦えるものは鍛練に精を出している。ただ、客のほうがなかなか落ち着かないな」

参号館主任の九郎の言葉に伊織が首をかしげた。

「私が見回ったときは特に変わった様子はありませんでしたけど、何か問題がありましたか?」

「問題というほどのことではないがな。次に道満が来たら自分が引導を渡してやるんだと息巻いている客が意外に多い。といってもいつ奴が来るかわからないからな。鉢合わせになりたいと頻繁に予約を入れる客が増えた」

「なるほど。参号館の売り上げが上がっているのはそのせいか」

九郎の話を聞いて玉城が苦笑する。伊織はなんとも微妙な顔をした。

「お客さまを巻き込むつもりなないのですが」

「参号館の客は皆主殿がお気に入りだからな。主殿を傷つけた輩を許せんのだろう」

九郎は笑いながら「今のところそれで騒ぎが起きたりはしていない」と肩をすくめた。

「参号館のお客さまには万事我らにお任せくださいと伝えてください」

「伝えてはみるが、無駄だと思うぞ?」

九郎の答えに伊織は困ったように笑った。

「他に何か問題などはありませんか?」

伊織の問いかけに皆が沈黙して問題ないことを示す。伊織はうなずくと立ち上がった。

「まだ色々と落ち着かないでしょうが、皆さんよろしくお願いします。何かあったらすぐに知らせてください」

「「わかりました」」

全員がうなずくのを見て伊織はにこりと笑ってうなずいた。

「では、今月の会議はここまでとします。お疲れさまでした」

「よし!主殿、手合わせをお願いしたい!」

会議の終了を告げられると九郎がうきうきと伊織に声をかける。伊織は驚きながらもうなずいた。

「まだ本調子ではないので、体慣らしにこちらこそお願いします」

「あら、ではぜひ見学をしたいですわ」

九郎と伊織の会話を聞いて菖蒲が楽しげに言う。菖蒲に誘われて佳純も見学を申し出た。

「そんなに楽しいものでもないと思うのですが」

「そんなことはありませんわ。伊織さまの刀さばきはまるで舞のようですもの」

とても美しいのだと微笑む菖蒲に伊織はなんとも言えない顔をしながら見学を了承した。

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