久しぶりに父に会いに行きます①

 暗く重い雲が垂れ込め、一段と冷え込みが厳しい朝、いつもなら起き出す時間に伊織と玉城の姿は玄関にあった。その手には花や水、線香、蝋燭、菓子や果物と墓参りセットがあり、玉城もいつもの華やかな着物ではなく紺の羽織袴を着ていた。

「では行ってきます。湯屋を開けるまでには帰りますので」

「ああ。こっちは気にしないで行ってくるといい」

見送りに出てきたのは参号館主任の九郎。伊織と玉城がそろって湯屋を空けることはほとんどないが、そういうときは九郎が湯屋を取り仕切る決まりになっていた。

 湯屋を九郎に任せ伊織と玉城は玄関を出た。向かうのは伊織の先祖代々の墓があり、母が眠る場所。そこは湯屋から少し離れてはいるが街中ではなく郊外にある寺だった。

 寺の門をくぐると暗い空からチラチラと雪が降ってくる。思わず足を止めて伊織は白い息を吐きながら空を見上げた。

「初雪か。まるで母君が降らせているようだな」

ふわふわと舞い降りてくる雪を手のひらに乗せて玉城が笑う。伊織も思わず微笑んでうなずいた。伊織の母の名は雪音。名のとおり雪のように儚げで美しい人だった。

 ふたりが墓にくると、そこにはすでに花が供えられていた。ピンクの山茶花。山茶花は母が好きだった花。そしてピンクの山茶花の花言葉は『永遠の愛』だ。

「今年もお父さんのほうが早かったですね」

供えられた山茶花を見て伊織は目を細めた。毎年この日はピンクの山茶花が供えてある。それは普段姿を見せない父が変わらず母を愛し、想っていることの証だった。

 持ってきた花を花立のひとつに活け、供えられていた山茶花をもうひとつの花立に活ける。菓子や果物を供え、蝋燭と線香にも火をつけて供えた。まず伊織が手を合わせたあと玉城が手を合わせる。チラチラと雪が降る中、ふたりは言葉を交わすでもなく蝋燭が消えるまでの短い間、静かに祈りの時を過ごした。

 蝋燭が消えると供えた菓子と果物を持って寺に行く。顔馴染みの住職に墓の管理の礼を言い、菓子と果物を渡してふたりは寺を後にした。

「さて、いつもならこのまま帰るが、どうする?」

「以前話したように父のところに行きましょう」

にこりと笑うと伊織は寺の裏の山に足を向けた。父の居場所に繋がれと念じながら歩いていると、しだいに濃い霧が立ち込め一歩前すら見えなくなる。それでも伊織が迷わず歩いていると、突然霧が晴れて目の前に屋敷が現れた。それこそが伊織の父が住む屋敷だった。普通に歩いても辿り着くことのできない場所。伊織の父は異界との狭間に居を構えていた。

 声をかけるでもなく閉じられた門を開けて中に入る。静かなそこに確かに気配を感じると伊織と玉城は庭にまわって歩き出した。


 伊織の父は中庭に面した部屋で脇息にもたれながらチラチラと降る雪を眺めていた。ふと、屋敷に入ってくる気配を感じる。その懐かしい気配に珍しいと思いながら自然と目を細める。だが、出迎えに行くことはせずにいると、気配は徐々に近づいてきた。

「おはようございます。お久しぶりです」

久しぶり見る我が子が微笑みながら声をかけてくる。ますます母に似てきたと思いながら、伊織の父、惶葵こうきはゆっくり体を起こした。

 惶葵は長い年月を生きた鬼だった。漆黒の髪に闇色の瞳。頭には2本の角がある。見た目は玉城と変わらないほど若く美しいが、玉城より長く生きた力ある鬼。だが生来の気質なのか長く生きたがためなのか、伊織の知る惶葵は物静かであまり大きく表情を変えたり、感情をあらわにすることがなかった。そんな父だが、忙しい母に代わっていつもそばにいて面倒をみてくれたのを伊織は覚えていた。今も、突然尋ねてきたにも関わらず嫌な顔ひとつせず迎えてくれた。

「久しいな。息災か?」

耳に心地いい落ち着いた声が尋ねる。伊織はにこりと笑ってうなずいた。

「変わりありません。お父さんもお変わりありませんか?」

「私は変わりない。今日はどうした?」

惶葵が尋ねると、玉城が懐から手巾を取り出す。それを開くと真っぷたつに割れた赤い玉があった。

「それは?」

「神楽山の天狗の里を壊滅させた呪いの塊に埋め込まれていました。これが核となり、妖力を集めてどこかへ送っていたようです」

「ふむ。見せてごらん」

惶葵の言葉にうなずいて玉城がそばに行く。差し出されたそれをひとつ手に取った惶葵がしばらく眺めた後、フッと息を吹き掛けると玉の片割れは砂と化して消えてしまった。

「これは、外法者の使う技だな。妖力を集めることにも使えるが、これ自体に目の役割もある」

「目?これを通して妖力を集めるさまを見ていたと?」

玉城の言葉に惶葵はうなずいた。

「そうだ。割れてからはその機能は果たしていなかったろうがな。これを切ったのはお前か?」

「いえ、伊織が」

玉城が答えると惶葵の眉間にわずかに皺が寄った。

「では、おそらく伊織がこれをそれを切るまでは見ていただろう」

「ということは、やはりまた湯屋に現れる可能性がありますね。妖力を集めたいなら、あそこは絶好の狩り場となりましょう」

伊織の瞳に剣呑な光が宿る。惶葵はそれを見ると首をかしげた。

「湯屋が狙われたのか?」

「いえ、神楽山の天狗の生き残りが湯屋に逃げ込んできまして、それを埋め込まれた化け物が湯屋まで追ってきたのです」

「なるほど。伊織、久しぶりに湯屋に行ってもかまわないか?」

惶葵の言葉に伊織が驚いた顔をし、すぐに嬉しそうに微笑む。その表情に玉城も笑みを浮かべた。

「もちろんです。お父さんならいつでも歓迎だと、いつも言っているでしょう?」

その言葉に惶葵はわずかに目を細めてうなずいた。

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