迷子にはくれぐれもお気をつけください①

 湯屋「憩い湯」は15時から開店する。平日は仕事帰りのお客が多いのだが、土日になると子ども連れのお客が一気に増える。子どもというのは広い風呂が楽しいもので、土日の壱号館には子どもの賑やかな声が響いていた。だが、子どもが多いということはそれだけ迷子になる子どももいるということで、今日も子どもがいなくなったと母親が従業員に助けを求めてきた。

「3歳の男の子なんです。少し目を離した隙に見えなくなってしまって」

「わかりました。今みんなで探しますからお母さまは他のお子さまと休憩室のほうでお待ちください」

母親は他にも遊び盛りな男の子2人を連れており、そっちまで迷子になられてはたまらないと声をかけられた従業員、健斗はすぐさま空いている休憩室に案内した。

「主任、迷子です。3歳の男の子。消防車の絵が描いてあるトレーナーを着てるそうです」

「3歳。微妙ね。手が空いてる人で壱号館を探してちょうだい。念のため伊織さんと弐号館、参号館のほうにも連絡を入れるから」

「わかりました」

壱号館主任の佳純に報告して指示を受けた健斗はすぐさま詰所を出て従業員に片っ端から声をかけた。声をかけられた従業員も手が空いている者は慌てて迷子の捜索を始める。この憩い湯での迷子は早く見つけないと大変なことになりかねない。特に小さい子どもは各館の間に張られている結界を通り抜けやすい場合がある。そして神や妖といったものは小さい子どもが好きだった。変に気に入られるとそのまま神隠しされてしまう。だから迷子が出た際は可及的速やかに従業員に周知され、捜索された。


 佳純から迷子の一報を受けた伊織はすぐさま各館の間に張られている結界を確認した。

「…歪みがありますね」

「となれば、通り抜けた可能性があるか」

伊織の呟きに玉城が眉間に皺を寄せる。伊織は椅子にかけていた羽織をとると玉城と共に執務室を出た。

「今いるお客さまに子どもが好きな方はいましたか?」

「いたな。見つけるなら早いほうがいい」

玉城の言葉を聞いて伊織の足が早くなった。

「玉城、狐の姿のほうが鼻がきくし足も早いでしょう?」

「まあな」

伊織の言葉にうなずいた玉城の姿が大きな白銀の狐になる。九つの尻尾は揺れるたびに青白い炎を散らしていた。

「乗れ」

うなずいて伊織が玉城の背に飛び乗る。玉城は伊織がしっかり掴まると一気に走り出した。


 時は少し戻って、和真はふたりの兄と母親とはぐれてひとり廊下を歩いていた。たくさんの扉やたくさんの人がいる湯屋の廊下は3歳の和真には面白く、キョロキョロとあちこち見ながら歩いているうちに、いつの間にか誰もいない廊下を歩いていた。

「おかあさん…にいちゃ…」

心細くて母や兄を呼びながら歩いていると木製の立派な扉があった。もしかしたら誰かいるかもしれないと、和真はその扉を開けた。だが、その扉は壱号館と弐号館を繋ぐ扉だった。和真は知らぬうちに妖たちが利用する弐号館に足を踏み入れた。

「ここ、どこ…」

少し歩くとざわざわと賑やかな声が聞こえてきたが、母たちのところに戻れるかもと駆け出した和真の表情はすぐに凍りついた。目に飛び込んできたのはどう見ても人間ではないものたちばかりだった。

 2本足で歩く狸や狐、天狗、鬼、一つ目小僧。まるで昔話に出てくるような妖怪が目の前を歩いている。

「ひっ!」

悲鳴をあげそうになった和真の口を後ろから塞ぐ手があった。驚いて見上げると、そこにはとても綺麗な女の人がいた。

「坊や、騒ぐでないよ。こちらにおいで」

女は和真を軽々と抱き上げると自身が使う風呂場に入った。

「坊や、人の子だね?迷いこんだのかい?」

女の言葉に和真はガタガタと震えながらうなずいた。目からは止めどなく涙が溢れる。女は困ったように笑うと和真の頬を撫でた。

「取って食いやしないから泣き止みなさいな。今迎えを呼んであげようね」

女はそう言うと慌てふためく世話係の猫又たちに目を向けた。

「すぐに伊織に知らせておあげ。今頃必死に探しているだろう」

「は、はいっ!」

うなずいてひとりの猫又が走っていく。女は和真を抱き上げると椅子に腰かけて膝に乗せた。

「迎えがくるまで私とお話をしていようね」

優しく微笑むと女にやっと和真の涙が止まった。

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