20時、参号館の大扉が開けられた。そこは特別なときにしか開かない扉だ。その扉の前に煌びやかな着物を纏った美しい神が降り立った。神の後ろには漆黒の着物を着た青年が付き従う。

 神が降り立つと出迎えのために待っていた九郎と湯浴みの世話係数人が頭を下げた。

「ようこそお越しくださいました」

「どうやら、大事にしてしまったようだな」

普段開かない大扉が開いたことに神が苦笑する。九郎は微笑みながら神を風呂場に案内した。

「本日は少しではありますが、湯浴みのあとに御神酒と御膳もご用意しております」

「それは豪勢だな。気を遣わせてしまってすまんな」

「いつも通りにとのお言葉は聞いていましたが、こちらで勝手にご用意させていただきました。どうぞお気になさらずに」

九郎の言葉に神は「ありがとう」と微笑んだ。


 いつもの風呂場にいつもの薬湯、世話係もいつものもの。いつも通りに湯浴みを終えた神を九郎が座敷に案内する。神が座につくとすぐに御神酒と御膳が運ばれてきた。

 九郎から御膳が運ばれたと知らせを受けて羽織袴に着替えた伊織と玉城が座敷に向かう。その後ろには身を清めた東吾が続いた。

「東吾さん、お座敷に入ったら私たちの後ろ控えてください。私が声をかけるまで、決して頭を上げず、声も出さないでください」

「わかりました」

初めて参号館に入った東吾が緊張したようにうなずく。伊織は襖の前に立つと足を止めた。

「失礼いたします。伊織でございます」

「お入り」

返事を聞いて伊織から座敷へ入る。伊織の後ろに玉城、さらに後ろに東吾が続き、3人は膝をつくと頭を下げた。

「この度はお越しくださいましてまことにありがとうございます」

「こちらこそ、このようなもてなしを受けるとは思わず、気を遣わせてすまなかった。思わぬもてなしを受けて嬉しく思う」

伊織の言葉に神が穏やかに微笑みながら応える。その会話は東吾だけは理解できなかった。東吾にはただ伊織がひとりで喋っているように見えた。

「そのように言っていただけて光栄でございます」

伊織がわずかに顔を上げて微笑むと、神は玉城の後ろにいる東吾に目を向けた。

「そのものは?人間であろう?」

「はい。今日、貴方様がいらっしゃると聞き、お姿を見ることも、お声を聞くこともできまそんが、それでもお伝えしたいことがあるのだと申しまして。お伺いもたてずに連れてきたことはお詫び申しますが、どうかこの者の言葉をお聞きいただければと思います」

伊織の神は静かにうなずいた。

「かまわぬ。申してみよ」

「ありがとうございます」

伊織が礼を言って後ろに声をかける。東吾は声をかけられるとゆっくり顔を上げた。視線の先には御膳があるが、座っているはずの神の姿は見えない。それでもそこにいるのだろうと思い、東吾は口を開いた。

「俺は、実家が隣町で、子どもの頃からよくお社にお参りに行ってました。高校受験の度も合格祈願に行きました。でも、高校入ってすぐ、父親が事故で死んで、家計を助けるために俺もバイトたくさんして、そのうちお参りに行かなくなりました。高校受験のお礼もしてなかったのに。たまたまご縁があって、ここで働かせてもらって、神様のことを聞きました。神様がいなくなるって聞いて、どうしてもお礼とお詫びがしたくて。今まで、俺たちを見守ってくれてありがとうございました。なのに、お参りに行かなくてすみませんでした」

東吾はそう言うと深く頭を下げた。東吾には神は見えない。神は、東吾が顔を上げて話し始めたときからずっと、驚いたように東吾を見つめていた。

「ああ…ああ、この子だ。よく覚えている。最後まで、私の社にお参りにきてくれた。ああ、かように大きく、立派に育って…」

神が感極まったように言いながら腰を浮かせる。そのまま伊織たちの前まで歩いてきたが、東吾の目に神は写らなかった。

「伊織、そなたの目と耳をこの者に貸すことはできるか?」

「お望みとあらば」

「頼む。どうしても、私もこの者に伝えたいことがある」

「かしこまりました」

神の言葉に伊織はうなずいて東吾の隣に下がった。

「今から私の目と耳を貸します。少し気持ち悪いかもしれませんが我慢してください」

「え?」

東吾が返事をする前に伊織の人差し指がうなじに押し当てられる。すると、まるで静電気が流れるようなピリピリとした痛みが走り、東吾は思わず目をきつく閉じた。痛みが消えてゆっくり目を開ける。目を開けた東吾は驚愕に声も出なかった。今まで自分たちしかいないと思っていた座敷には、九郎や参号館の従業員、神の付き人がおり、そして目の前には神自身がいたのだ。

「私が見えるか?声が聞こえるか?」

神からの問いかけに東吾は無言でうなずいた。

「そなたのことはよく覚えている。最後まで社にきてくれた。かように立派に成長していて嬉しく思う。私のことは気にしなくていい。むしろ、そなたらのおかげで長くここに留まれた。本当なら、もっと早く力尽きていたものを」

神は優しく微笑みながら言うとそっと東吾の髪に触れた。

「もはや私には加護を与える力すら残ってはいない。だが、こうして言葉をかわせて嬉しく思う」

「っ、俺のほうこそ、ありがとうございます」

東吾がやっと言葉を絞り出すと、神はにこりと笑って立ち上がった。

「伊織、そなたにも、ここのものたちにも感謝する」

「もったいないお言葉にございます。お力がお戻りになりましたら、ぜひ高天原からおいでください」

伊織の言葉に神は嬉しそうに微笑んだ。

「ありがとう。やはり最後にここにきて良かった」

そう言って神が歩き出す。お付きのものが急いで神の後を追う。伊織たちも立ち上がるとそれに続いた。

「大扉を開けなさい。お帰りです」

伊織の声で大扉が開けられる。神は一度振り向いて「またいづれ」と言うとそのまま大扉から飛び立っていった。

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