高天原にお帰りになる神様がいらっしゃいます①

 夏の暑さが遠退き、秋が日に日に深まってきたある日、伊織の執務室に来客があった。窓をコツコツと叩く音に気づいて振り向くと、窓の外に1羽のカラスが止まっていた。伊織が窓を開けるとカラスは部屋の中に入ってくる。休憩だと言ってソファに寝そべっていた玉城もカラスを見ると起き上がった。

「ようこそいらっしゃいました。何か私にご用でしょうか?」

「御山の社の神の使いで参りました。最近は詣でる者もなく、すっかり弱ってしまいこれ以上この地に留まれぬ。高天原に帰ることにしたのだが、最後にこちらの湯に浸かりたい、とのことです」

伊織の問いに神の使いだと言うカラスが答える。伊織は一瞬痛ましげな顔をすると深々と頭を下げた。

「承知いたしました。最後の湯浴み、精一杯おもてなしさせていただきます」

「感謝申し上げます。3日後においでになられますが、あまり仰々しくしたくないので、湯屋はいつも通りにしていてほしいとのことです」

「お心遣い痛み入ります。では3日後、お待ち申し上げております」

伊織の言葉にうなずいてカラスは窓から飛び去っていった。

「御山の社というと隣町の小さな社だな。あそこは近くに大きな神社もある。仕方なかろうな」

玉城が窓を閉めて言うと、伊織は予約台帳を見ながらうなずいた。

「そうですね。信仰が薄れた神は弱る。この地に留まれないほど弱れば、高天原に帰るか消えるかしかありません」

「で、どうする?いつも通りと先方は言っていたが?」

「いつもお使いいただいている風呂場が空いていますから、そこをお使いいただきます。湯もいつも同じ薬湯でしたからそのように。御神酒と、御膳を少々ご用意しましょう」

伊織の言葉に玉城は「それがいいだろうな」とうなずいた。

「私は参号館に行ってきますから、玉城は薬湯の予約をしてきてください」

「わかった」

玉城はうなずくと伊織の額に口づけて先に部屋を出ていった。伊織も椅子にかけていた羽織を肩に羽織って部屋を出るとまっすぐ参号館に向かった。


 伊織が参号館に入るとすぐに1人の男が頭上から飛び降りてきた。毎度のことなのですっかり慣れた伊織は驚かない。男は薄緑の作務衣を着ていたが、背中には黒い翼があった。だが、その翼は右側しかなかった。

「主殿、どうされた?」

「新しく予約が入ったのでお伝えしに」

伊織がそう言うと男はうなずいて一緒に詰所に入った。

 男の名は九郎。参号館の主任を任せている天狗である。九郎は伊織と出会ったときにはすでに片翼だった。空を自在に飛ぶことはできないが、移動速度は恐ろしく早かった。

「御山の社の神様が高天原にお帰りになるそうで、その前にと3日後うちをお使いくださるそうです」

「なるほど。ではその日は貸しきりに?」

「いえ、先方からいつも通りでかまわないとのお言葉をいただいております。結界は強めますが、通常通り営業します。神様への対応も御神酒と御膳はつけますが、他はいつも通りに」

「わかった。あの御方はお優しい御気性だからな。いつものようにおもてなししよう」

九郎は伊織からの説明にうなずくと壁に貼ってある予定表とパソコンに必要事項を書き込んだ。

「そういえば、壱号館に新しい従業員が入ったそうだな?」

「ええ。見えぬ質なので壱号館の専属ですが、よく働いてくれますし、専属の人を探していたので助かりました」

「見えんのか。確か住み込みだろう?あまり驚かさないように皆に伝えておくか?」

九郎の言葉に伊織は苦笑しながらうなずいた。

 人でないものを全く見ることができない従業員の中でも特に住み込みの者はすぐに辞めてしまうことが少なくなかった。理由は同じく住み込みの人でない者との遭遇。勝手に扉が開閉する。勝手に電気がついたり消えたりする。足音だけ響く。見えない者からしたら恐ろしいポルターガイスト現象でしかなかった。いくら事前に説明しても怖がる者はいるし、それを面白がって怖がらせる者までいて、結局長続きせず辞めていくことが多かった。

「ぜひお願いします。彼に辞められると正直困ります」

「わかった…」

伊織がいつになく真剣にうなずくので九郎を顔をひきつらせながらうなずいた。住み込みの者たちには悪戯をするなときつく言い聞かせようと思いながら。

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