佳純は東吾に壱号館の中を案内していた。基本的に1階は受付ロビーと各種風呂がある。2階は休憩スペースだったり簡単な食事ができるようになっている。そして3階は宿泊の部屋が並んでいた。

「あなたにはまず掃除を中心にやってもらいます。基本的にここが開くのは15時から。宿泊のお部屋はそれまでにご用意を整えます。各種風呂もそうだけど、泊まりのお客さまもいらっしゃるからどの風呂を掃除するかは時間ごとに決めてあるので間違わないようにお願いします」

「はい」

東吾は佳純の説明を聞きながら風呂の多さに驚き、掃除だけでも大変そうだと思ったが背に腹はかえられない。生きるために頑張ろうと気合いを入れ直した。

「慣れないうちは迷うでしょうから、今掃除を担当してくれている人と仕事してくださいね。翔くん!」

佳純の視線の先に東吾より少し年下に見える薄緑の作務衣を着た少年がいた。翔と呼ばれた少年は箒を手に佳純のそばにきた。

「佳純さん、何か?」

「新しく試用期間の人が入ったから翔くん、一緒に仕事をしてくれる?」

「志紀東吾です。よろしくお願いします」

第一印象は大事と東吾が頭を下げると、翔は驚いたような顔をしながら頭を下げた。

「翔です。よろしくお願いします」

「住み込みだからまずは部屋に行って着替えね」

「俺の隣、空いてます」

控えめな翔の言葉に佳純が「じゃあ部屋は翔くんの隣で」と即決する。そのまま翔も連れて従業員の居住区画に案内した。

「ここが部屋です。部屋にあるものは好きに使ってかまいません。食堂とか風呂場とかはあとで翔くんに聞いてください。じゃあ私たち廊下にいるんでこれに着替えてくださいね」

「わかりました」

佳純は東吾に薄緑の作務衣を渡すと翔と一緒に廊下に出た。


「佳純さん、あの人、見えない?」

「そうみたい。だから仕事は壱号館だけ。よろしくね。とりあえず1週間は翔くんも壱号館のみで」

「わかりました」

翔は見える側だったので弐号館や参号館で仕事をすることもある。だが、見えない東吾を連れてそっちで仕事をするわけにはいかない。なので翔も1週間は壱号館のみで仕事となった。

「着替え終わりました」

少しすると着替えを終えた東吾が出てくる。佳純はサイズは大丈夫か確認するとあとは翔に任せて自分の仕事に戻っていった。


 東吾は翔について仕事を教えてもらった。風呂の掃除は朝イチでやるそうで、昼前のこの時間は館内の掃除、それが済めば昼休憩のあとに宿泊用の部屋の準備をすることになっていた。

「東吾さんって前もこういう仕事してたの?」

手順は教えるものの、手付きは手慣れたもので翔が尋ねると、東吾は「ホテルで清掃のバイトしたことがあるんだ」と笑った。

「家事とか結構好きだから、掃除とかも苦じゃないんだよね」

「そうなんだ。掃除は面倒くさいっていう人もいるから、東吾さん来てくれて助かる」

翔が素直な感想を口にすると、東吾は照れくさそうに笑った。

「俺は壱号館でだけって言われたんだけど、弐号館とか参号館とかってどんなお客さんがくるの?」

「弐号館は特別なお客さま。参号館はもっと特別なお客さまだよ」

「へえ。偉い人とかがくるのかな?」

翔の説明に東吾はホテルの特別室みたいなものかと特に疑問を感じることなく言った。

「俺もいつかそっちで仕事してみたいな。ってその前に試用期間を無事に終えて採用してもらわないとね!」

無邪気に笑う東吾に翔は「そうだね」と言ってうなずいた。


 翔は口数は少なかったが面倒見はよく、時々会う他の従業員もみんな愛想よく挨拶してくれた。おかげで東吾は久しぶりに伸び伸びと仕事をすることができた。昨日まではミスばかりする東吾は厄介者扱いで、仕事中も針のむしろ状態だった。

「俺、本気でここで働きたいな」

初日の仕事を終えて翔と向かい合って夕食を摂りながら呟くと、翔は不思議そうに首を傾げた。

「東吾さんはなんでここに働きにきたの?」

「あ~、ミスばっかしてバイトクビになって、挙げ句の果てには住んでたアパートが火事で全焼して何にもなくなったから。どうしようかなって歩いてたら前を歩いてる人たちがここのこと話しててさ。とりあえず試用期間は必ずあるし、住み込みOKって話だったからもうここしかないと思って」

東吾の話を聞いた翔は目を丸くして「怪我がなくて良かったね」と言った。

「なるほど。確かに少し間違えば俺火事の時アパートにいたかもしれないしな。そう思えば運が良かったかな!」

翔の言葉になるほどそういう考えもあるかと東吾は笑った。

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