バスに揺られて 後半

 下の名前で呼ばれるというのが、こんなに刺激的なものだとは思わなかった。

 いや違う。

 これまでも、僕は女子に下の名前を呼ばれたことは何回もある。

 でも、ここまで心臓が速くなるのを感じた事はなかった。

 こんな感情は、橘、いや春樹が初めてだ。

 分かんない。

 この感情が、僕になにを伝えてるか分からない。

 ただ一つ、分かることがあるとすれば、これは嫌な感情ではない。


 「お前らさ、付き合ってんの?」


 不意に、前に座る新崎が僕らにそんな一言を放った。


 「付き合う?」


 「私と涼が?」


 いやいや、どこをどう見たらそう見えるのか。

 

 「そりゃ、顔赤くしながら見つめ合ってたし」

 

 「こっちまでドキドキしちゃったよ!」


 隣の早川がそう言いながら、どこか興奮気味になっている。

 なんか怖い。


 「いや、僕たちは付き合うどころか、まともに喋ったのも今日が初めてで」


 「そうだよ、私たちは何もない、ただの友達だ」


 そうだ、僕たちは何もないただの友達……。

 そっか、僕は春樹と友達になったのか。


 「とてもそうは見えなかったけどな」


 新崎はニヤニヤした顔で僕たちを見る。

 なんというか、すごいウザい。


 「まあ、からかうのもこの辺にして、みんなはどこで降りるの?」


 言って、話しを変えてくれた早川に、僕は心で一つお礼をする。

 僕は人をからかうのは好きだけど、からかわれるのは好きではないんだ。


 「私は、あと二つ先だけど」


 「え!?」


 僕は思わず声を上げる。

 いやまあ、察する通り、僕の降りる場所も春樹と同じだったわけで。


 「マジ!? 私達もだよ!」


 私達と言った早川。

 僕の降りる場所を早川が知っているわけがない、となると、その達に含まれたのは消去法的に新崎と言う事になる。


 「ああ、まさか入学初日にバレるなんて……」


 ガッカリと頭を抱える新崎。


 「バレたらそんなにまずいの?」


 「そりゃ、同級生のしかも女子と同じマンションに住んでるとかバレたら色々ヤバいだろうが!」


 「いや、別に同じマンションに住んでるとか、わたし言ってないんだけど…」


 新崎の顔が段々と白くなっている。

 それはまるで、色を塗る前の下書きのような。


 「俺、墓穴掘っちまった……、すまんな早川、俺の方からバラしちまって」


 その声に、新崎の力強さは残っておらず、反省の色が見える。


 「いや別に、私はバラしても良いかなっていうか」


 「は? どういう意味だよ」


 「どういう意味って……」


 言っているうちに、早川の顔が赤く染まっていく。

 

 「分かんないなら良いわよ! この鈍感ヤンキー!」


 「ちょ、お前声大きいって」


 周囲の乗客の目が早川に集まる。


 「あ、す、すいません」


 あははーと笑いながら、早川は申し訳なさそうに謝る。


 さて、今の会話のどこに、新崎が鈍感だと思われる箇所があったのか、僕は少し考えてみた。

 鈍感な男はモテないと思うし、せめて、性格なり行動なりは男らしくなりたいものなのだ。

 僕だって、ハーレムラブコメの主人公を夢みた事だってあるんだ。

 ん? 待てよ、ハーレムラブコメの主人公って大体鈍感な気もするが。

 まあ、それはあくまでもフィクションであり、現実ではない。


 早川は、新崎と同じマンションに住んでるのがバレても良いと言った。


 これはあくまで、僕の推察によるもので、当の本人にそんな気が全くない可能性だってあるということだけ、最初に伝えておく。

 しかも僕は、早川と新崎は互いに恋心を抱いているという、ある種の願望を持っているということも伝えておく。


 そんな僕が、早川の言葉を拡大解釈して自分の都合の良いように捉えた結果。


 早川は、新崎と同じマンションに住んでる事が学校中に知れ渡ることで、他の女が寄ってこないと考えたのではなかろうか。


 流石に都合の良いように解釈しすぎかな。

 まあ、人の心なんて、その人自身にしか分からないものなのだから。


 「というかさ、あそこのバス停でマンションって事はさ、多分ハルキちゃんも同じマンションだよね?」


 「そうだと思うけど……、え、今なんて呼んだ?」


 「ハルキちゃん」


 「……そ、それやめて、慣れてないから」


 赤く染まった頬を隠すように、両手で顔を隠す春樹。

 今の春樹は、かっこいいというより、


 「かわいい」


 僕の気持ちを早川が代弁してくれる。

 そう、かわいい。

 こう見ると、本当に女の子なんだなと改めて、思わされる。

 

 「可愛い! めっちゃ可愛いよハルちゃん!」


 「ハルちゃん!?」


 急なハルちゃん呼びに驚きの声を上げる春樹。

 

 「やー、実はまだ心のどっかで、こいつ本当は男なんじゃねとか疑ってたけど、やっぱり女の子だったんだね!」


 「そういうの、結構傷つくからね」


 「ごめん! そういうつもりじゃなかったの!」


 「別にいいけど、友達だし」


 「ハルちゃんって、めっちゃ可愛いね」


 僕たちは、何を見せられてるのだろうか。

 何も知らない人からしたら、美男美女がいちゃいちゃしているようにしか見えないんだろうな。


 「いちゃついてるとこ悪いけど、着いたぞ」

 

 新崎が立ちながら言う。

 それを聞き、急いでバスを出る僕たち。

 バス停周辺は見るからに住宅街という感じで、一軒家がずらっと並ぶ。

 その中に、場違いのように立つマンションがある。

 同時にそれは、僕たちが住むマンションでもある


 

 

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