第1話 青い瞳の少女

 暖かくなり始めたころの朝。春の気配を感じる日、私、青山 宇宙(あおやま そら)は自室のベッドの上にいた。

 朝は嫌いだ。一日が始まったところでいいことがあった試しなどない。奇異な目で見られて、化け物だの妖怪だの言われるのがオチだった。ただ目の色が違うというだけで。

 

 ◇

 

 瞳が違うだけでそれ以外は普通と変わらない。それなのに道行く人に石を投げられることもあった。ただ目の色が違うだけで石を投げるなんて頭おかしいんじゃないかと思ったが、投げられた回数が二桁を超えたあたりからそれについて考えるのをやめた。

 これが大体物心ついたころの私。友達もできず近所の人間にさえ嫌われる始末。当時の両親には申し訳ないことをしたと思う。

 一番不気味がってもおかしくなかった両親は私のことをよくかわいがってくれた。どうして両親が最も不気味がるのか? それは両親の瞳の色と私の瞳の色も違うから。遺伝で今の瞳の色になったわけではない。両親の瞳の色は茶色がかった黒。だけど私は明るい青色だった。普通に考えたらこれはおかしいことだ。生まれた時からこの色だったということを聞いて両親に怖くなかったか聞いたことがあったが、両親共々笑って

「自分の子には変わりない」

 と言い、頭を撫でてくれた。

 両親だけが唯一の理解者だった。だけど、その両親も私が小学校高学年になったときに突然姿を消した。

 何があったのか、今でもわからない。優しかった両親が跡形もなく唐突に消えたのだ。それ以降、私は親戚の家をたらい回しにされた。

 もちろん、両親以外の理解者に出会うことはなかった。表面上はにこにこしていても、深夜の時間に耳を澄ますと聞こえるのは私の悪口。

「なんであんな不気味な色なんだろう」

「両親とは違う色だったらしい」

「あんな子早くどこか行ってしまえばいいのに」

 最初のころはその言葉にひどく傷つき、家を飛び出してしまったこともあった。だが、それはかえって面倒ごとが増えるだけで、結局何にもならなかった。

 他人と少しでも違えば、人は消えなくてはいけないの? 生きている価値もないというの?

 心無い声におびえながら私はずっと生きてきた。味方は一人もいない。自分自身を信じることもできない、そんな地獄のような日々が続いた。

 カラーコンタクトをして普通を装っても、親戚の人たちの陰口は後を絶たない。一度ばれてしまったものはどんなに隠したって無駄だった。

 学校ではカラーコンタクトを外しさえしなければ、普通に過ごすことはできた。だけど自分から人に関わろうとすると、不可解な事件が起きたりした。

 例えば、教室にあるシャーペンがどこからともなく飛んできてクラスメイトをケガさせたり、クラスメイトと下校していると一緒に帰っている人だけ車に轢かれそうになったりと、私と一緒にいる人だけ危険な目に遭う。そんなことが起きれば私に近づく人間がいなくなっていくのも当然だ。そんなことも相まってか、親戚も学校のクラスメイトも私に必要以上に関わろうとしなかった。

 この不可解な事件の原因を周りの人は不慮の事故と片づけているが、私は原因がわかっている。それは普通の人には見えない何かが全ての要因だ。形は個体によってそれぞれ違うが、共通していることは私以外の人間には見えないということ。私はそれをお化けか何かかと思っているが、実際のところよくわかっていない。ただ、目を合わせれば必ずこちらに近づいてくるので、基本的には見えないふりをして見つけたらその場を離れることにしている。

 ただ、神出鬼没なものなので、昼も夜も関係なく見え、小学生の時は怖くてよく泣いていた。今でも正直怖いが、いきなり出てきて襲われたことはないので人との関わりを必要最低限にしておけば、彼らもこちらに干渉してこない。


 ◇


「早く支度をしないと」

 私は寝ぼけ眼をこすってずるずるとベッドから出ると、パジャマを脱ぎ捨てて制服に着替える。

 現在私は高校二年生。両親が失踪してから六年経った。あれから両親の話は一切聞かない。まるで元々私の両親はいなかったかのような、そう錯覚させるほどだ。死体も出ていないといっているが、死んでいる可能性が高いだろう。元よりもう期待していない。

 今、私は遠縁の親戚の家に引き取られ、天池町という町に住んでいる。家は一軒家で比較的大きな家だが、いまだにその遠縁の親戚と会ったことはない。電話越しで会話したことがあるくらいだろうか。本人たち曰く仕事で基本的に家にいないので、家の管理を私に頼みたいために引き取ったとのこと。その代わり、生活費は全額負担してくれるという好条件だったので、行く当てもなかった私はその条件で承諾した。

 天池町に引っ越してからまだ数日しか経っていないが、両親が失踪して以降では割と良い生活を送っていると思う。人と会うときにカラーコンタクトをとったり、必要以上に人と関わりを持たなければ平和に過ごせる。

 朝の支度をしながらそう考えて、ふと時計を見ると時刻は八時を回ろうとしていた。

「あぁ……朝ごはんどうしよう」

 学校が始まるのは八時半からだ。家から学校までは十五分かかるのでゆっくりご飯を食べている暇はない。

「まぁいいか。お腹も減ってないし」

 私はぼやくようにそう言うと、学校かばんと家の鍵を持って家を後にした。


 ◇


 憂鬱な気分を無理やり抑え、家を出て数分歩いた。

 背負っているかばんが重く感じる。最低限の物以外は入れていないので、そんなに重さはないはずだけれど、気分が落ちすぎてそう感じているのかもしれない。

「……やっぱりご飯食べた方がよかったかな」

 空腹で頭が回っていない。昼休みまで時間があるので、コンビニによってチョコか何か買った方がいいかもしれない。

 腕時計を見ると、八時十五分を指していた。走っていけば、コンビニでチョコを買っても間に合う。

 私はコンビニに向かうため、普段と違う道を通ろうと方向転換をした……その時だった。

「―――!」

 電柱の影に何かがいた。最初は人だと思ったが、全身が灰色で爪は鋭く、頭にはヤギのような角が生えた姿が確認できた途端人ではないと悟る。

 視線が合った。

 ――まずい。

 直感的にそう思った。だけど、体が動かない。

 心拍数が上がる。

 ――足を出せ、視線を向けるな。

 本能が叫ぶ。だけど、できなかった。

 何故なら……。

「……ミ……タ?」

 相手はこちらを見て、もう手遅れだったからだ。

「ひっ!」

 私は一歩下がって、逃げる算段を高速で考える。

 ――早く逃げないと、だけど下手して動けば追っかけてくる。でも、ここで固まっていたら学校に遅れる。どうしよう? どうしようどうしよう?

 思考は言葉で埋め尽くされ、頭で処理できないほど覆いつくされそうになった。

「あれ? 青山さん?」

 唐突に名前を呼ばれ、我に返る。

「は、はい!」

 驚いた反動で大きな声を出し、振り返ると茫然とした様子で私を見ている同じ制服の女子二人がいた。確かこの二人はクラスメイトだったはずだ。

「ど、どうしたの? こんなところで茫然として」

「え、えぇっと……その……」

「電柱に何かいるの?」

 言葉が見つからず、言いよどんでいると一人が電柱の方へ視線を向けた。

「何もいないけれど、もしかしてストーカーとかいたの?」

 目の前の女子は不思議そうな顔で視線をこちらに戻し、そう言った。

 私の目にはまだ電柱のそばに異形はいる。だが、彼女たちにはあれの姿が見えない。わかりきっていたことではあったけれど、それでもあの姿が見えないのはうらやましい。

「よかったら学校に一緒に行く? また変な人に絡まれたらいやだと思うし」

 眼前にいる彼女たちは優しく笑いかけて、一緒に学校に行こうと誘ってくれた。

 確かに、まとまって動けば異形は近づいてこない可能性がある。たまにお構いなしに襲ってくる奴もいるが、その時は大概ある程度一緒にいた人たちに反応していた。

 彼女たちはさっき会ったばかりだから、まだ大丈夫かもしれない。

 視線を合わせないように、彼女たちの誘いを受けようとした……その時だった。

「ミ……タ……?」

 異形の声が先ほどよりも近い。

 ここで返事をすれば、目の前の彼女たちにも不審がられるし、異形にも私が見えるということが気づかれてしまう。

 だけど、ここでポーカーフェイスを保てるほどの精神力は持っていない。

「青山さん? どうしたの? やっぱり具合悪いの?」

 その言葉で私ははっと、顔をあげて

「ごめんなさい! やっぱり一人で行きます!」

 と叫んで二人を避けて走り出した。

 振り返らずにまっすぐ前だけを見て駆ける。後ろを向けば……立ち止まってしまえばあの異形を認識してしまう。そうすれば、流石にアイツに気づかれる。

「はぁ……はぁ……」

 学校までの距離は幸いなことに近い。全力で走れば五分で到着するはずだ。

 さっきの二人にはひどいことを言ってしまった。せっかく誘ってくれたのに、失礼な態度をとってしまった。あとで謝らないと。

「あと……ちょっと」

 脇腹が痛くなり始めたころ、やっと学校の正門が見えた。時計は八時二十五分を指している。

 遅刻寸前というわけではないので、他の学生たちはまだ談笑しながらまとまって歩いている人がほとんどだ。私のように全力で走っている人は本来であればもう少し後にくるのだろう。

「はぁ……はぁ……」

 校門をくぐり、一度息を整えるために少し歩いた後立ち止まる。

 朝からハードな運動は勘弁してほしかったけれど、もうこの行動も何度もとっている。そろそろ変な噂が流れてもおかしくないかもしれない。

「はぁ……」

 深いため息をつく。

「結局、チョコ……買い損ねちゃったな……」

 憂鬱な気持ちの中、私は背後を振り返った。

 先ほどの異形は追ってきていないみたいだ。私の思い違いだったらいいけれど、本当に教室まで追いかけられていたら、本気で早退しようか迷うところだった。


 ◇


 ――今日は厄日だなぁ……。

 落ちた気分のまま教室に入り、自分の席につく。

 いつもなら、朝は何事もなく登校していたはずだった。異形たちが現れるタイミングは大体夕方が多い。昼間でも薄暗いところとか、違和感を覚える場所に近づかなければ出くわすことは少ない。

 ついていない。朝からあんなのと出くわすのは、ただでさえ低空飛行のような気分なのに、さらに落ちてしまうからやめてほしい。

「はぁ……」

 視線をあげて教室を見渡す。

 ホームルームが始まる直前の時間のため、教室にはほぼ生徒が集まっていた。それぞれ仲のいいグループを作り、楽しそうに話している。

 私はクラスに仲のいい人はいない。引っ越しを繰り返してきたため、人間関係をまた一から作るのが面倒くさいと思っているからだろう。一年に一度引っ越しては当たり前。その時だけ仲良くなってもどうせ忘れられる。手紙を出すからねと言われて、数か月、数年期待して待っても来なかった。

 それで毎度絶望するくらいなら、最初から中途半端に仲のいい人間なんて作らない方が楽だし、精神的にもそっちの方が安定する。

 我ながら随分とひねくれた発想をしているなと自嘲する。

「はーい、じゃあ席につけー」

 一人反省会をしていると、担任の先生が教室に入ってきた。気づけばホームルームの時間だ。


 ◇


一時間目は先生の都合で自習の時間になった。クラスメイトはわからない問題を友達に聞いたりしているせいか少しざわついている。会話の中には雑談のような会話も混じっているが、話の内容はよくわからない。

 私は一人で黙々と昨日までの授業内容を思い出しながら復習をしていた。

 私の成績は基本平均より少し上といったところだろう。提出物も真面目に出しているため、成績が低いということはあまりない。というのも、今まで居候の身だったので、下手に悪い成績を取れば追い出されるかもしれないという恐怖があったからだ。

「それでさ、最近は面白い話ないのか?」

「深夜の時間に出歩いていると神隠しにあうとか?」

 隣の席からだろうか。自習に飽きて雑談をしている話の内容が聞こえてきた。会話を聞くに物騒な内容らしい。

 あの異形たちの仕業かもしれない。私は少し興味がわき、話を聞くために耳を澄ました。

「それは少し前の話だろ? 一時期町はずれにある廃工場が心霊スポットになって女子たちが行ったり してたな。だけど、最近聞くのはあの都市伝説ぐらいじゃねぇの?」

「あの都市伝説? 黒コートの怪異のことか?」

 黒コートの怪異? 朝に出くわした異形だろうか? でもコートは着用していなかった 気がする。また違う異形か?

「最近の都市伝説つったらそれぐらいだろ。他にもあるのか?」

「赤い人間とか知ってるか?」

「赤い人間? いいや、知らない」

「丁度黒コートの怪異が出る時間帯に出現する奴で、出会ったら最後。生きて帰ってこれないって言われてる」

 生きて帰ってこれない ……か。

 都市伝説などの怪異でよくある出会ったら帰ってこられない と言うのは大体夜逃げの言いわけに使われる場合が多い。本当に赤い人間というものが存在して人さらいをやっている可能性もあるけれど、そもそも都市伝説の情報を鵜呑みにするのはよくない。

 だけど、異形としてそういう奴がいるかもしれない。念頭には置く程度に覚えておこう。

「関係ない話が増えているぞ、あと少しで休み時間だ。もう少しだけ集中してやれー」

 唐突に先生が教室に入ってそういうと、辺りは一気に静かになった。隣の雑談をしていた男子たちをちらりと見てみると、適当に話をきりあげて自習を始めていた。

 この町に越してから数日経ったけれど、まだまだわからないことが多い。ここ最近だと、都市伝説の話がクラスでよくされている。

 いつも異形を見ている私にとって都市伝説はほら話に等しい。今まで口裂け女とか花子さんの有名な都市伝説だって出会ったことがない。不審者に尾ひれがついてこういった話になったのか、それともただの勘違いだったのか。

 怖いものが嫌いな私にとっては迷惑だからやめてほしい。ただでさえ、見えなくてもいいものが見えて怖いのだ。精神的にもきついし、もっと平凡な日常を送りたい。

「はぁ……」

 小さくため息をつくと同時に、授業終わりのチャイムが鳴った。

 クラスメイト達は早々に教科書を片づけ、仲のいい友達とまた談笑を始めていた。

 視線を外に向けると巨大なクラゲがふわふわと漂っていた。青透明でキレイに見えるが、人間に害がないとは限らない。こういうものは近づかないのが吉だ。

 これがみえないなんて羨ましい。見えても得をすることなんてなかった。

「いつまで苦しめばいいのかな」

 ぽつりとつぶやいたその言葉を聞いている人は私以外誰もいなかった。

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