第2話 低空飛行の心
昼休み、クラスメイトは他クラスや購買、食堂に行くため人はまばらになっていた。
自分も購買で適当にパンを買いに行こうと席を立った時
「青山さん」
と声をかけられた。
視線を向けると、朝に声をかけてくれた二人の女子がいた。彼女たちは心配そうに
「朝、大丈夫だった? 突然走り出したりしたから少し心配で、何か言いにくいこととか嫌なことがあったのかなって」
と一人がいい、隣にいるもう一人は黙ってうなずいていた。
「あ、うん。大丈夫……です。突然走り出してごめんなさい。ちょっと、急用を思い出しちゃって」
苦笑いをしながら浅い嘘をつく。我ながらもう少しマシな嘘を吐けなかったのだろうか。
「そっか。何もないならよかった」
「心配かけて本当にごめんなさい。じゃあ、私はこれで」
私は努めて笑顔でそう言い、その場から離れようとした。
彼女たちも昼食はまだだろうし、これ以上時間を取らせるのも申し訳ない。
「あ、待って」
しかし、先ほどまで隣でうなずいていた女子が制止した。
「ど、どうしました?」
あまりにも唐突だったので声がどもって裏返ってしまう。
「よかったら……でいいんだけど。一緒にお昼……どうかなって」
「え」
重ねて予想外の誘い。朝あんなに挙動不審で変人と思われても仕方ないことをしていたのに……。
私はうれしくなり、誘いを受けようとしたが彼女たちの後ろ、正確には廊下の窓の外に朝見かけた異形がいた。
「ッ!」
反射で私は一歩退いてしまう。
「どうしたの? 青山さん?」
私の行動を見て、首をかしげる二人。目の前で急に顔色を変えて一歩退けば当然奇妙には思うだろう。
「な、何も……何もないです」
刹那、背後から突風が吹いた。窓から風が入ったのだろうかと振り返ると、窓には人間の手が二つあった。手首から先は存在せず、指を動かすことで移動している。手の甲には不気味な目が一つだけあり、あちこち観察するように見ていた。
「あ、あぁぁぁ……」
私は声に出し、後ずさりする。さっきは声にださなかったが、二度目は駄目だった。
足が震えて今にも腰を抜かしそうだ。
「あの、青山さん? 本当に大丈夫?」
「ご、ごめんなさい!」
脱兎のごとく私は生徒たちの間を抜けてその場から逃げ出した。一秒でも早く、あの場所から消えたかった。
学校の教室では滅多に見えないのに、今日に限って出てくるなんてついていない 。
教室から飛び出し、廊下を駆け抜ける。
他の生徒たちは不思議そうに私を見るが、気にしている余裕はない。比較的安全な場所を求めて走る。
人がいなくて、明るくて、まだ逃げ場がある場所。
何も考えず、無心で走り続け目の前のドアを押し開ける。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
ドアを開けたあと、ぴしゃりと閉めて近くにあった 机の影に隠れて息を潜める。しかし、全力で走っていたため呼吸が乱れ、隠れるというにはあまりにお粗末なもの。
部屋に誰かが入ってくれば一瞬でわかるだろう。
◇
「……」
この部屋に入ってから約二分、人や異形を含めて誰かが入ってくることはなかった。不幸中の幸いとはまさにこのことだろう。
やっと呼吸が整い、落ち着きを取り戻す。視線をあげて周りを見てみると、そこは技術室だった。
「……またやっちゃったな……」
安心したのか、つい後悔の言葉が口から出る。
今日は朝からついていなかった。普段会わない時間帯に異形に出くわし、なおかつせっかく声をかけてくれたクラスメイトの誘いを無下に断ってしまった。
なんでこうなってしまうのだろう。なんでいつも普通にできないのだろう。
脳裏に浮かぶのは後悔の言葉ばかり。こんなことをしていたって何も変わらないのに、いつも後悔の言葉ばかり呟くのは嫌な癖だ。
「はぁ……クラスに戻りたくないな……気まずいし」
技術室の机にもたれて地面に座り込む。昼休みは残りどれくらいだろうか。予鈴のチャイムが鳴れば戻らなければならない。授業をサボるような勇気は私にはない。私を引き取ってくれた人にも迷惑がかかるし、何よりこれ以上引っ越さなければならない要因を少しでも作りたくない。
何より、まだ昼食をとっていない。 早めにお昼を食べないと、午後からの授業が持たない。
「早く購買に行こ」
鼓舞するようにそう言って立ち上がり、技術室を出ようとすると何かにぶつかった。
しりもちをつくことはなかったが、ぶつかった拍子に書類が散らばったようだった。
「あ、ご、ごめんなさい!」
無意識に謝罪の言葉が出て、急いで書類をかき集める。
「いや、大丈夫だ。こっちこそすまんかった……って青山?」
「え?」
手を止めて視線を向けると、クラス担任がそこにいた。彼は不思議そうにこちらを見て首をかしげる。
「青山、お前次の教科は技術じゃなかっただろ?」
「えっと……その、間違えてきちゃいまして」
苦笑いを浮かべて私はごまかすように言う。
「教科書を持たずにか?」
とってつけたような嘘はすぐに見抜かれた。
「あ、いや、その、焦ってて忘れてたんですよ。私、もう行きますね。これ書類です」
面倒になりそうと直感で察知し、私は無理やり書類を先生に押し付けてその場から逃げ出すように早歩きで教室に向かう。
「青山」
名前を呼ばれて足が止まる。振り返ることはしなかった。
「青山、お前最近悩みとかないのか? 人間関係とか。町に越してから数日たつが、まだ馴染めそうに ないか?」
背後から先生の声が聞こえる。彼は心配でこう言ってくれているのだろう。それはわかる。だけど、ひねくれ者の私にはどうせ仕事の一環で言っているのだろうと思ってしまう。
この瞳の色を見れば気味が悪いというに決まっている。
一人は好きじゃない。だけど、自分が傷つくくらいなら、一人の方がマシだ。
「いえ、特には。失礼します」
私はそのまま振り返らずにその場から離れた。
◇
「はぁ……疲れた」
学校が終わった帰り道。私は一人で通学路を歩いていた。学校は好きではない。行って帰ってくるだけでも疲れる。勉強するところというなら、今のご時世なんだから遠隔での授業でもいいと思うのだけれど、コミュニケーション能力も鍛えていかないといけないから文句も言っていられない 。
しかし、今日の出来事が毎日のようにあると考えると外には一歩も出たくないという気持ちが強くなるからやめてほしい。そのせいで今日はいろんな人に迷惑をかけたし、奇異な目を向けられる原因を作ってしまった。
本当に嫌になる。もっと普通に生きていたかったのに……この瞳の色がみんなと同じ色だったら、私はみんなと同じように笑って過ごせたのだろうか。
こうやって隠さずとも平凡に生きていけたのだろうか。
両親がいなくなってから、よくこの考えが頭に浮かぶようになっていた。何度振り払っても、しつこくまとわりつくようにまた浮かんでくる。
もう疲れた。相談できる人もましてや理解してくれる人なんて両親以外に存在しないのだ。
世界は広いというが、どれだけ助けを求めても誰も助けてくれない。広い海の上を一人で過ごしているようなものだ。
昔はこういうことを考えているうちに涙が出てきていたが、今はもう悲しいとも思わなくなってしまった。涙が枯れてしまったのだろうか。それとも単純に考えるのが面倒になったのだろうか。どのみち、これから先ああいった異形のものとどう接していくかは自分で考えなくてはいけない。
いっそのこと自分が消えた方が早いかもしれないが、そんな覚悟は私にはない。
おかしい話だ。苦しいと思っていても、この人生を手放せない。その先にあるものは何もないのに……。
「やめよう、こんな考えをするの」
口ではそう言っているが、もやもやした気持ちが消えない。
こういうときは早く帰って寝るに限る。寝て忘れるなんてことはないかもしれないけれど、気分は今よりマシだ。
「ん、あれは?」
ふと視界に入ったものが気になり、その場に立ち止まる。
道の先には同じ制服を着た生徒男女が談笑しながら下校していた。制服は着崩しており、女子の方は派手なメイクをしている。
ハッキリ言って苦手な人種の人たちだ。別に着崩すことも校則をやぶることも別に何とも思わないけれど、怖いから近づきたくない。
この先まっすぐ行けば私の家につくが、このまま一定の距離を保って帰るのも、追い抜いて早歩きで帰るのも割と精神的に辛いから避けたい。
視線を左に向けると少し狭いわき道があった。確か、ここから通れば多少遠回りになるけれど、家につくはずだ。
私は道の先にいる集団に気づかれないようにそのわき道にはいった。
◇
「……失敗だったかな」
人気のない細い道を歩きながら私は呟いた。
わき道に入ったあと家に向かって歩いていたはずなのに、気づけば全く知らない道に出てしまった。
「また行き止まりか……」
これで三回目。こっちに来てから必要最低限しか外出していないため、町の構造はあまりわかっていない。うろ覚え程度の知識で脇道に入ったのは失敗だった。
変な見栄をはらずに、あのまままっすぐに帰った方がよかったかもしれない。
そう後悔し始めた時、不幸が訪れた。
「おい」
男の声が聞こえた。
振り向くと、複数人の男が退路を塞ぐように立っていた。
――なんだろう?
最初に出た感情は疑問だった。
「あの……なにか、用ですか?」
次に沸いた感情はじわじわと迫りくる恐怖だった。後ろは行き止り、正面には道をふさぐように人が立っている。周りには人気がない。
「……」
男の一人が言葉を出さずに一枚の紙を取り出して私と紙を見比べる。見比べた後、一つうなずくとじりじりと男たちは間合いを詰めてきた。
「!?」
――怖い。
相手が一歩近づくごとに一歩下がる。しかし、後ろは行き止り。やがて背中に壁があたり、距離がみるみると縮まっていく。
「お前、化け物 が見えるんだってな?」
「え……?」
なんで知っているのか、という言葉は何とか押しとどめた。これを言ってしまえば、相手に対してうなずいているのと変わらない。
「聞いていたのと一部違う情報があるが、まぁいい」
リーダー的な男は別の男に小声で指示を出した。指示された男はうなずき、麻袋と紐、そして大きなキャリーバックを持ってきた。
血の気が引いていく感覚がした。呼吸が荒くなる。しかし、駆けだそうと一歩踏み出すと壁のように立っている他の男たちのせいで逃げることができない。
――逃げなきゃ……逃げなきゃ逃げなきゃ! だけど、どうやって?
携帯電話で通報しようにも、この状況を切り抜けた後じゃないとできない。電話を壊されれば連絡手段がなくなり、一巻の終わり。
相手の準備が終わる前に、何とかしなくては あのキャリーバックに入れられて終わりだ。
何とかしないといけないという言葉に頭が埋め尽くされる。だけど、足を一歩踏み出すことも、逃げようとすることもできなかった。
恐怖が私の体を硬直させているのだろう。小刻みに震えて、気を抜けば腰が抜けて立てなくなりそうだ。
ガシャン!
刹那、男たちのさらに奥から不自然な物音が聞こえた。
「何事だ!」
男たちにもわかっていない出来事。何かしらのアクシデントがあったのは間違いなさそうだ。
「ッ!」
一瞬の隙をついて私は全力で駆け出した。
「このガキ!」
男たちの一人が私に気づき、行く手を阻もうとするが全力で押しのけて下を向いて走り続けた。
このまま走り続けて、どう家までたどり着くだろうか。必死にそう考え、ふと視線を正面に向けた時だった。
「あ……あぁ……」
先の距離にあったのは、頭らしきところにあるヤギの角に鋭い爪のある灰色の体。朝に出くわした異形だった。
「ミ……タ……」
咄嗟に口を両手で押さえる 。こうでもしなければ、大声で叫んでいる ところだった。
背後からドタドタという複数の足音が聞こえる。早くこの場から逃げないと追い付かれてしまうが、体がまた小刻みに震えて動けない。
正面には異形、背後には人さらい。先ほどとは若干違うが、また板挟み状態だ。
――足を出せ! 朝と同じで、知らないふりして走って逃げれば大丈夫!
自身にそう言い聞かせて正面の異形は見て見ぬふりをして再び駆け出した。
異形は見る、話しかけるだけで今のところ実害はない。むしろ危険なのは背後にいる人さらいたち。
頭をフルに使って状況を判断し、落ち着ける場所を探した。
◇
「今日は走ってばっかり……」
乱れた息を整えながら歩く。足は極端に遅いわけではないが、体力に自信はない。特に今日は運が悪いのか、朝から走ってばかりだ。一体私が何をしたっていうのだろう。
「もう……追ってこない?」
後ろを振り向いても追って くる様子はない。あの異形が男たちを攻撃したのだろうか? やっぱり、無害な奴らというわけではないのだろうか?
「あ、つ、通報しなきゃ」
予想外の出来事が怒涛に押し寄せてきたせいで忘れていた。また襲われる前に通報して保護してもらわなければ、自分の身が危ない。
震える手を抑えつつ、背負っているカバンから急いで携帯電話を取り出し、電源ボタンを押すが画面は真っ暗なままだった。
「嘘……」
何度も電源ボタンを押すが、携帯電話は変わらず沈黙していた。
どうやら電池が切れたらしい。昨日寝る前に充電するのをすっかり忘れ、朝も憂鬱な気分のままだったせいで忘れていた。
「はぁ……」
自分の不幸を呪いながら携帯電話をカバンにしまう。
連絡手段を絶たれた今、できることは自力で大通りに出るしかない。
しかし、現在地もわからない状態でむやみに動いても仕方ない。追われている身とはいえ、迷子になって追い詰められたなんてしゃれにもならない。
「どうしよう……」
上を見上げると空が赤く染まっていた。腕時計を見ると六時を回ったところだった。早く家に帰らないとどんどん暗くなっていく。
隠れることも考えた。けれど、この辺の地理を理解していない状態でただただ異形がうろつく町中を震えながら助けを待つなんて、怖くてできない。
となれば取るべき手段はやはり一つしかない。
カバンを背負いなおして、周囲を警戒しながらまた歩く。なるべく足音を立てないように。慎重に。
――やっぱりあの時まっすぐ帰っておけばよかったな……。
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