閑話② ジェリコ・ギブスン(前)

「何故あの時、イツァークが感情を露にしたか分かるか?」


「いいや、分からない」


「理解したかったからだよ。私も同じだ、君が知りたい」


「会ったばかりの相手に、俺の何を明かせというんだ」


「過去だ。イツァークが君に話したろう。今の君を形作る思い出。どんなものでもいい、話してくれ」


「急にそんなことを言われても……」


「きっとある筈だ。怒り、悲しみ、幸福な思い出……君の根幹を成す、そんな出来事が」


「……拒否権は無さそうだな」





「俺が生まれたのは、アメリカの大都市の一角だった。家は貧しく、親父は朝から晩まで工事現場で汗だくになって働いていた。それでも家は裕福にはならなかった。俺の家だけじゃない。その地区一帯は貧しい者が多く住んでいた」


「道を歩けば麻薬やドラッグの売人に行き当たる。近所の商店に強盗が入るのも日常茶飯事。そんな場所だった」


「母は俺が幼い頃に病気にかかって死んだ。親父は薬を買う金も無いことを何度も謝っていた。お袋の墓に向けて」


「俺を育ててくれたのは姉貴だった。不機嫌になるとすぐ拳が飛んでくる以外は、我儘な俺をよく面倒見てくれた、良い姉貴だったと思う」


「俺が12の時だ。姉貴は年上の彼氏と付き合っていた。その彼氏も俺達と同じく、貧しさに喘いでいた。そんなある日のことだ。その彼氏が、人質を取ってマンションの一室に立て籠もった。なんでも、悪い仲間とつるんで銀行の現金輸送車を襲ったが、失敗したらしい。それで警察に追われたんだと」


「姉貴が説得に行った。姉貴は彼氏がそんなヤバいことに首を突っ込んでたなんて知らなかった。それで、姉貴は堂々と乗り込んでいって説教した。俺に対してやったのと同じように、彼氏をぶん殴って、こんな馬鹿なことは止めろと啖呵を切ったそうだ」


「彼氏は人質を解放した。俺が顛末を聞いたのはその人質からだ。人質が解放されると、警察が現場に突入した」


「それで一件落着か?いいや」


「そのまま、突入した警官は姉貴と、姉貴の彼氏を射殺したそうだ。その警官は、彼氏が銃を向けてきたと証言した。真相は誰も知らない。ただ、警官達が突入した時点で彼氏はもう自首するつもりだったらしいという証言と、発砲した警官は白人至上主義者だったらしいって噂があるだけだ」


「その警官がどうなったか?言うまでもないだろ、不起訴だ」


「……これで終わりなら、俺の悲劇的な過去ってだけで済んだんだがな」


「警官の不起訴に、俺のいた地区の黒人達は怒ったんだ。連日警察署に詰めかけ、デモを繰り返した」


「その光景に、最初は俺も感動したさ。姉貴のために怒ってくれる人達が、こんなにいたんだって」


「やがて、デモは暴徒化した」


「関係無い商店を襲い、略奪した。何も関係のない白人の家に火を点けて回った。そんな彼らに、鎮圧という名目で警察は発砲した。暴徒も平和的なデモも関係無く」


「何人も死者が出た。負傷者はその何倍も出た。デモの近くを通りがかっただけの俺の友人も、警官から警棒を背中に叩きつけられて半身不随になった。俺だけのものだった筈の悲劇は、大勢に共有されたってわけだ」



「……こんなこと、世界中で起こってる。それは分かってる。けど、俺はこう思わずにはいられないんだ」


「悪いのは、誰だったのか……何だったのかってな」


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