第3話 獲得者の村
5時間後。俺は砂漠を移動するジープの中にいた。
あれから、俺はまたケネスに連れられ、拠点を離れたのだ。恐らく俺を一番近くのCIAの拠点に連れていくつもりなのだろう。
超越者が俺を狙っている。その事実は、自分でも意外なほど俺に衝撃を与えていた。
俺の任務に協力した技術者のマーカスは、その功績でCIAに復職していた。しかし、この情報が伝わると同時にセーフハウスに隔離されたらしい。
他に俺の任務に協力した人間は、もうこの世にいない。それだけがせめてもの慰めだった。
「目的地まであとどのくらいだ」
「もう少しだ」
数時間前に聞いた時も同じ返事だった。俺はわざとらしく肩を竦める。元々CIAと関わりたくなかったこともあり、俺の我慢も限界に達しようとしていた。
「任務の性質上、我々も君も受け身にならざるを得ないだろう」
俺の様子に気づいたのか、ケネスがそう話し始める。俺は横目で睨んだ。
「だから、次に臨界者が襲撃してきたら、我々はそいつを生け捕りにする」
「拷問にでもかけるのか?」
「CIAは拷問などという非人道的な手段は用いていない」
ケネスの回答に、俺は尚も肩を竦めた。よくもそんなあからさまな嘘がつけるものだ。ここには国際社会に影響力のある第三者などいないというのに。
「じゃ、もし可能だったらやるのか?」
「どうだろうな。亡命者のリークした情報には、臨界者の五感の鋭敏化が記載されていた。しかし鋭敏化が可能なら、逆に遮断することも可能かもしれない」
五感の遮断。それはつまり痛覚の無効化を意味する。それでは拷問は意味をなさないだろう。では、生け捕りにしたとしてどうするのか。
「少なくとも相手の素性を徹底的に調べる。無駄だろうが尋問も行う。ロシアや中国との繋がりが分かれば、外交に使えるカードになる筈だ」
外交。また俺の苦手な分野の話題が出てきた。俺は呆れたように言葉を返すより他無かった。
「そう簡単に行くかね」
「どうだろうな。実際、生け捕りにできなきゃ分からないさ」
そんな会話を交わしていると、地平線上に建物の輪郭が現れているのに気づいた。
「我々の目的地はあそこだ」
最初はオアシスかと思った。だが違う。
周囲を森で囲まれ、更にそこから数十メートルの荒野。背後には断崖絶壁。そんな中を、寄り集まるように小さな建物が集合しているのが見えた。
中央に尖塔が見える。頂上には鐘があるようだ。しかし、人っこ一人見当たらない。
森を抜けて荒野を走り過ぎる間に、ケネスがこの拠点の説明を始めた。
「知っての通り、世界各国は超越者の命令に従い、収容所に獲得者を集めて虐殺、その死体から合成食品を作成していた」
「その件は、あまり思い出したくないな」
忘れてはならないことは分かっているが、正直俺には正視するのも耐え難い真実だった。
そんな俺に目もくれず、ケネスは説明を続ける。
「だがアメリカとヨーロッパ諸国を始めとした先進国は、選りすぐった獲得者を収容所に送らず、この中東の地に送っていたんだ」
「何故中東に?」
「超越者が拠点としていた浮遊物――空中要塞が、この中東にはあまり近づかなかったからだ。彼らは大国と協働して中東各国の紛争に介入し、解決が見えた後は定期的な巡回にとどめた。恐らく人口が一定以下の都市にはあまり興味を示さなかったのだろう」
その言葉と同時に、ジープが止まる。そこはもう、村の入り口だった。
ジープを出ると、ケネスと俺は町の中に足を踏み入れる。
俺は歩きながら村を見渡した。どこの建物も土や砂で覆われた白亜の壁だ。照り付ける太陽に反応する人影はなく、吹き荒ぶ風音だけが辺りに木霊している。
「それで、この村の獲得者はどこに行ったんだ?」
「いいや、もうここにはいない」
曲がりくねった道を進みながら、背後にいる俺にケネスはそう答える。
「いない?」
「君が超越者の一人を殺したからだ。もうヨーロッパ諸国は超越者に従う理由も無くなった。だから、この村の獲得者達は故郷へと帰ったのさ」
ケネスの言葉と共に、やがて視界が開ける。
村の入り口から見えた尖塔が、大きな広場の中心に建っていた。
「君はもっと自分の功績を誇るべきだ。ここにいた子供達は、君のお陰で家に帰れたんだからな」
風が吹く。巻き上げられた砂が広場に吹き付けられていく。
その音は、無人の村落にどこまでも響いていた。
「それで?わざわざこんな所に来たんなら、何か策があるのか?」
「勿論だ」
言いながら、ケネスが尖塔の中へと足を踏み入れていく。
意外にも内部は広かった。居間にキッチン、寝室に使えそうな空き部屋もある。居間にある階段は天井を突き抜けて、ずっと上まで続いていた。
これまで世界中を回ったが、あまり見ない構造だ。今の中央のテーブルには、各種機器とモニターが起動状態で並んでいた。
「定期的に、我々の要員がここの設備を点検してる。今回はそれが功を奏したわけだ」
「…それはつまり」
俺の言葉にケネスは頷く。つまり、ここで迎え撃とうという魂胆なのだ。
何となく、この村を一目見た瞬間から、そういう策ではないかと思っていた。
村の外周を囲むように配置された小規模の森と、そこから村との間を隔てる荒野。村の背後には断崖絶壁。
どこからでも攻め易そうでいて、その実網を巡らせるには最適な構造だった。
「これからこの拠点を説明しよう」
そう言うとケネスは、村中に配置された設備について話し始めた。
森の中には監視カメラと動体センサーが設置されている。草や倒木、枝の中に巧妙に隠して、侵入者に発見されないようになっているという。
更に荒野の部分には等間隔に地雷が仕込まれている。俺達が入ってきた道以外は、どこからも入れない。
村内の尖塔を除いた民家の中には監視カメラが設置され、背後の断崖絶壁には動体センサー。そして尖塔の頂上には対空レーダーが設置されているという。
「下手な要塞より厳重だな。よくこれだけ設置する予算が下りたもんだ」
「君のためじゃない。元々ここは獲得者の保護施設となる前は、要人が極秘裏に中東で活動する際の拠点になっていた」
言いながら、ケネスは目の前のモニターとレーダーを見る。どちらも、今はまだ何も捉えてはいない。
「しばらく、ここで待機だ」
俺は頷くと、手近な椅子に腰を下ろした。
「それで、臨界者とやらに俺達の所までどうおびき寄せる」
「昔ながらの手法だ。ここの周辺の村々に、我々の情報をばらまいた。そうすれば向こうからやってくるだろう」
そうするしかないとは思っていたが、俺は嫌な予感を覚えた。そのやり方だと、俺達が迎え撃とうとしているというのが、相手に見透かされるのだ。
とはいえ、俺に代案が思いつく筈もなく、反論はできなかった。
それから約半日、ケネスと交代しながら監視カメラの確認を行い過ごした。
日が沈み、夜になる。
備蓄されていたレーションで夕食を取りながら、俺は傍らのケネスに言葉をかけた。
「おい、俺の経歴は知ってるんだろ」
「そうだが、それが何か?」
怪訝な顔でそう答えるケネスに、俺は目を細める。まるで、それで十分とでも言うような顔だったからだ。
「お前の経歴を教えろ」
「何故?」
「いざとなった時、お前に背中を預けられるか分からないからだ」
俺の言葉に、しばらくケネスは思案しているようだった。だがやがて、溜め息を一つ吐くと、やがて口を開く。
「長年、CIAの一員としてこの中東で任務を遂行してきた。エジプト大使館に始まり、シリア、イラク、サウジアラビア…色々な所へ行ったよ」
言いながら、視線を虚空に彷徨わせる。
「この地域には、アメリカに敵対するテロ組織が数多い。基本的に駐留軍の支援という名目だったが、秘密裏に潜入もやったし……暗殺もやった」
コップに入った水を一口飲むと、言葉を継ぐ。
「そういう意味では、私と君とはかなり近いのかもな」
「超越者が現れてからはどうだ。彼らの介入で、中東情勢はかなり鎮静化したと聞いたが」
「あぁ。確かに……彼らの介入により、姿を消したテロ組織も少なくない。だがその分、少数の強力な組織が台頭した。これは獲得者の存在によるところが大きい」
ケネスの言葉に、俺は頷いた。
超越者が世界各地の紛争に介入して、最初の5年は世界平和が訪れたと誰もが思った。
だがやがて、先進国の役人達は気づく。超越者の介入でも瓦解しなかったテロ組織の中に、獲得者を擁したものが出てきたことに。
「とはいえ、私には獲得者もそう目新しい存在には、思えなかったよ」
「どういうことだ?」
俺の問いに、ケネスは息を深く吸い、やがて言う。
「テロとの戦いは、即ち技術の戦いだ。優れた兵器は即座に投入され、テロリスト達はそれに対抗する手段を編み出す。例えば私の世代で言えば、ドローンなどがそれだ。無人攻撃機など、私の前の世代には想像上だけの代物だったろう」
「獲得者も、それと同じだと?」
ケネスはゆっくりと頷いた。
「勿論、彼らは兵器とは違う。生身の人間だ。だが能力を持たずに戦い続ける前線の兵士にとっては……数十年おきに現れる、新たな脅威。それとさしたる違いは無い」
「しかし、相手は子供だぞ!?」
意図せず、俺は声を荒げていた。ケネスの言葉に、以前の任務が脳裏をかすめたからかもしれない。
「そうだ。だがやがて、時代が進めば彼らも大人になる。大人になれば、その能力を更に……優れた攻撃方法として用いるだろう」
「そうして、戦争は続いていくんだ。仮にこの地が終息したとて、無くならない。テロリズムも戦争も」
「……何故そう言い切れる」
俺の問いに、ケネスは澄んだ瞳で、俺を見据えていた。
「富は、平等に分配されないからだ」
やがて目を瞑り、ケネスは言った。
「話がずれたな。それで私は思ったね……超越者は確かに世界中の紛争の歴史に一区切りをつけただろう。だがそれは、決してピリオドではなかったと」
一泊を置き、ケネスは続けた。俺の目を、正面から見据えて。
「そしてジェリコ。君の暗殺により、世界はまた新たな時代へと移行したんだ」
「超越者という庇護を失った世界に」
生唾を呑み込む。たとえ期待通りではなかったとしても、俺の暗殺は確かに世界を変えたのだ。初めから分かっていたことだが。
脳裏に、ある光景が映る。
ヴィサロを消した後の光景だ。
収容所から出てきた獲得者の、子供の表情。
確かに、世界にテロの脅威が再び訪れたのは確かだ。それでも、俺は間違いなく、彼らを救った。その事実、それだけが今の俺の支えだった。
「それでも、俺は……そのことに後悔はしていない」
そう答えた瞬間だった。
轟音。そして窓の外から飛び込んでくる閃光が、俺の視界に広がった。
「何だ!?」
ケネスの叫びに、俺は窓の外の光景を凝視する。
爆炎が吹き上がっているのが見える。方角は、俺達が入ってきた村の入り口だ。
あそこには、俺達の乗ってきたジープがある。
「襲撃?しかし、森の監視カメラやセンサーに反応は無かったぞ……!?」
ケネスの言葉を反芻しながら、俺はたった今爆炎を上げたジープについて考えた。
「ケネス、あの基地からここまで、車で何時間かかった?」
「何?おおよそ5時間だが」
脳裏に、臨界者と最初に相対した時の光景が浮かぶ。ドア口を掴んだ腕力だけで自身の身体を支えていた、あの力。
「……俺達がジープから降りてこの尖塔に着くまで、監視カメラや動体センサーは点いていなかった?」
俺の問いに、意図を察したらしい。ケネスの顔色が青ざめていくのが分かった。
「まさか、あり得ない」
その言葉に、黙って首を振る。
「奴は、俺達の乗ったジープに隠れてたんだ。恐らく……車体の下に」
ジェリコ・ギブスンとケネス・コールマン。二人がジープを出た後も、その人物は動かなかった。
5時間どころではない。それから日が沈むまで、ずっとそこから動いていなかった。
ジープの車体の下に張り付いたまま。
やがて日が沈む。村の中を暗闇が支配し、それは村の外に停められていたジープも例外ではなく。
暗視装置を起動して、その人物は、ようやく動き出す。
手始めにここからの離脱を阻止し、また混乱と注目を引き起こすため、あらかじめ用意していたC4爆薬をジープに取り付けた。
村には入らない。ここがCIAの拠点なら、その防衛設備は十分頭に入っている。
村の外周を回る。そこは村と荒野の境であり、荒野に設置された地雷は起爆しない。
歩きながら監視カメラの位置を把握すると、一足飛びで手近な民家の屋根を上り、そうして爆薬を起動した。
「馬鹿な、監視カメラにも動体センサーにも反応が無いぞ!?」
モニターを凝視し、ケネスが息を呑む。俺は必死に想像した。もし俺が逆の立場で、拠点内の要人を暗殺しようとするなら。
そしてそれに関わる要素から、自分の身体能力を度外視するとしたら。
「ケネス、さっき民家の中には監視カメラと動体センサーがあると言ったな」
「あぁ。説明した通りだ」
頭上に視線を向ける。
「屋根の上はどうだ?」
俺の言葉に、ケネスがハッとした。そこまで頭が回っていなかったのだろう。
即座にモニターを切り替えると、暗闇に包まれた屋根の上の光景が映った。
「村の四方と、この尖塔の頂上からなら民家の屋根の上を確認できる」
屋根の上を映したモニター。その一つに、目まぐるしい速さで駆ける人影がある。それは、一直線に村の中央の尖塔、すなわちここを目指していた。
俺はテーブルに置かれていたヘッドホン型の通信機を一つ掴むと、尖塔の階段に足をかける。
「どこへ行くつもりだ?」
「奴の狙いは俺だ。カメラで奴の位置を教えろ!!」
駆け上がりながら、俺は肩に担いだスナイパーライフルと弾倉の点検を済ませていた。
尖塔と民家の高さには差がある。故に、尖塔の頂上からなら民家の屋根にいる敵を見下ろせる筈だ。
俺は通信機を装着して起動すると、マイクを口元に近づける。
「もうすぐ頂上だ。そっちの様子は?」
『恐らく、そろそろこちらの攻撃を警戒しているんだろう。動きを止めて尖塔の方を観察している』
「屋根から降りたら民家の監視カメラで動きを追えるんだな?」
『動体センサーもある。奴は身を隠せない』
ならば、たとえ銃弾が当たらなくとも、敵を屋根から引き摺り下ろせればこちらが有利になる筈だ。
階段が終わり、頂上への梯子に足をかけながら、尚も俺は通信機に向かって言った。
「頂上に着く」
『そこには大型の対空レーダーがある。狙撃するにはスペースが狭い。気を付けろ』
確かに、レーダーが作動している低周波が僅かに聞こえた。
さっきケネスは、相手がこちらを警戒していると言った。ならば狙撃態勢に移れば相手は即座に行動を起こすだろう。
「ケネス!相手はどっちの方角にいる?」
『南東、ここから約30mの距離だ』
思っていたより近い。最初に遭遇した時の動きを考えれば、奴が本気を出せば数秒でこちらへ到達するだろう。
そうなれば、尖塔の頂上にいる俺より先に、階下のケネスが命を落とす。
俺は梯子に足をかけたまま、頭の中でシミュレートした。梯子を上がってライフルを構え、標的を狙って引き金を引く。その一連の動作を。
村中に監視カメラと動体センサーがある。その中に落とせば袋の鼠だ。そのために、最初の一撃を当てる。
俺はライフルに弾を装填すると、一気に梯子を駆け上がった。
確かに、尖塔の頂上には大型の対空レーダーが設置されていた。手は届かないが、大きな鉄製の箱の上にレーダーが回転している。
幸い敵のいる方角には、それを避けてライフルを置ける場所があった。そこにライフルの重心をセットし、スコープを覗く。
見つけた。
尖塔の全景が見えるように少し離れた民家の屋根の上。そこに片膝をついて、こちらを窺う人影。
相手もほぼ同時に俺の姿を認めたのだろう。その姿勢を崩そうとしていた。
――逃がすか。
俺はその姿を照準に定めると、躊躇わずに引き金を引いた。
銃声が木霊する。
その銃弾は、標的に当たらなかった。発砲する前に相手が動き出していたのが大きい。しかし、退避先を確認する暇が無かったのだろう。標的は屋根の上を転がり、そこから民家の間の路地へと姿を消した。
『どうだ!?』
「当たってない、民家の間に落ちた!」
銃声を聞いたのだろうケネスの問いに、俺はそう答える。
もう狙撃できるチャンスはないだろう。それより、不意を突かれた相手が体勢を立て直す前に、攻撃を仕掛ける必要がある。
俺はライフルをそのままに、梯子へと取って返した。
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