閑話 願いと約束

「貴方に、少しだけ話しておくことがあります。暫し傾聴願います」


 それは今からほんの少し前、マージェリーとフリーデの決闘が始まる直前のこと。


 互いに背中合わせとなった聖堂の中で、フリーデはクリフに語りかけた。


 フリーデは手にエヴァの遺骨が収められた陶器を持ち、時折それを意味ありげにまさぐっている。


 一方でクリフは張り詰めた様な重く鋭い気配を放ちながら、背を晒してフリーデの話に耳を傾けていた。


 一見するとどらちも容易く首を取れそうな、しかしよく見ればどらちにも手傷一つ負わせられなさそうにない隙の無さと緊張感が、二人の間のほんの十歩ほどには漂っていた。


 さながら戦場いくさば、といった空気の中で小さく息を吸い、フリーデは言葉を続ける。


「先日、私がお嬢様へと申した事……憶えておいでですか」


「男を知る前にお前を殺す、だったか?」


「ええ。私の使命はユークリッドによる『新しい世界』の阻止……いいえ、お嬢様にです」


「……魔女?」


 クリフの顔が、僅かに怪訝そうに顰められる。


 魔女。魔王ノエルが生み出した魔にして、この世を毒する呪いとされている三人の女。しかし英雄と呼ばれるクリフであっても、魔女そのものの存在は伝聞以外に知るところが無く、魔女の呪いを受けた魔女憑き以外は見た事すら無かった。


「ええ。彼は穢れた血、魔女の末裔と呼ばれる男です。……ですが私は、彼が魔女の末裔であるということが。恐らく、彼にまつわる情報には幾つもの欺瞞が溢れているでしょう。彼は全てが嘘臭く、何も信用できません」


「何? どういうことだ?」


 ――ユークリッドの……


 胡散臭い、というならばクリフにも分かる。ユークリッドという人物は、男にも見え女にも見え、その口からは嘘と真実まことが絶えず混ぜられた歌が放たれる。彼の本当の姿は、恐らく同じ勇者であっても知るまい。


 しかしフリーデの話す言葉に嘘は無い。人が心に無い事、つまり嘘を吐いている時に出る微妙な緊張はクリフには感じられなかった。


「それは貴方のご友人、あの小さい魔王様が一番ご存知でしょう。後で伺ってみればいかがです?」


「……気付いていたのか。抜け目無い女だ」


「あれほど魔の気配が濃く強い者など、魔王を置いて他にいないでしょう。すぐ分かりましたよ」


 すんすん、とフリーデが自分の鼻を動かしてみせる。


 彼女は元魔女狩り部隊イノケンティウス。人を斬ることのエキスパートとして生きてきたクリフとは対照的に、魔を断つことのエキスパートとしてフリーデは幼少の頃から叩き上げられてきた。


 魔族、魔女憑き、異教徒、罪人。太陽教の敵である、教会が「魔」と定めた存在を、彼女は誰よりも敏感に感じ取ることができる。


 クリフとマージェリーの連れていた童女が魔王ノエルであることを、フリーデはひと目で見抜いていた。


「…………」


 ――この目聡さと嗅覚、万に一つがあった時には命取りだな。マージェリーには悪いが……。


 クリフが振り返り、長剣の柄に手を掛ける。殆ど時を同じくしてフリーデも振り返り、左腕に緑の魔力が奔った。


 動き出したクリフの背後の空間が切断され、ばつんと音を立てる。しかし今度は毛筋一本たりともクリフの身体は切断されていない。


 気付けば一瞬で彼我の距離は二歩ほどに詰められていた。この距離ならば聖者の左腕セファ・ガズラ優位性アドバンテージは消え、クリフの剣と条件は互角になる。どちらがどちらの命を獲れるのか、当人同士であっても分からない領域に状況は転換していた。


、と申した筈です。私の腕は聖者の腕、貴方であっても首が落ちますよ」


「よく言う。以前さきの戦闘で俺がその能力を読み取っていないとでも思ったか」


 聖者の左腕は不可視の境によって世界を区切り、境の上にあるあらゆるモノを切断・消失させる能力である。しかしその権能を振るう為には幾つかの制約がある。


 一つ、照準と発動が完全に手動マニュアルであること。


 自分の目で対象を見定めて、魔力を流し、境を出現させなければならない。つまりフリーデの知覚できないものや目で追えないものは斬ることができない。


 故に全力駆動時のハイネの様な相手では極めて相性が悪い。目で捉えて照準する前に、フリーデの首が落ちてしまうだろう。


 二つ、照準してから発動するまでに若干のタイムラグがあること。


 一秒にも満たないほんの一瞬ではあるが、本来自分の身体ではないものを使っての遠距離攻撃には、どうしても魔力を流して操作するためのタイムラグが生まれる。


 距離を取っていれば問題ない欠点ではあるが、ここまで接近されれば話は別である。その一瞬は己の命を殺す。


 クリフの手は未だ肩口にあり、剣は完全には抜かれていない。しかしそれでも身体に魔力を込めて振り抜けば、ほぼ一瞬でフリーデの脳天を割って即死させられるだろう。


 ただしフリーデの指もクリフを指さしている。一瞬魔力を込めれば、クリフの首を落として絶命させられる。


 どちらかが少しでも気を抜けば、片方の首が落ちかねない睨み合い。


 しかしそのきりきりと張り詰めた時間は、クリフが剣を収めたことによって唐突にほどけて消え失せてしまった。


 フリーデが指を下げ、ほうと息を吐き出す。


「……まあ、いい。俺もお前も、今は戦うべきではないな。横槍は無粋だ、済まなかった」


「分かっていただけて嬉しいです、私にはあまり時間がありませんので。何せこの戦いが終わってしまえば……


「なっ……」


 思いがけなく放たれたフリーデの言葉に、クリフが大きく目を見開く。


 この戦いが終われば、フリーデは死ぬ。


 ここまでの立ち合いで、クリフは彼女の実力を十分に理解していた。


 、マージェリーの勝ちはかなり薄い。


 ゼロとまでは言わずとも、砂漠の中の砂粒から硝子の欠片を拾うほどに難しい。死ぬ、という結果はまず出てこないことだろう。三日たらずの付き合いのクリフ以上にマージェリーを理解しているフリーデが、それを知らない筈は無い。


 なれど彼女はたった今、自分は死ぬとはっきり告げた。


 それはつまり、フリーデ・カレンベルクは始めからこの戦いでマージェリーを殺すつもりが無い……マージェリーが勝つようにしか戦いを展開するつもりが無いということになる。


「ユークリッドは強い……私では殺し切ることができません。無論、貴方だけでも殺すことは難しいでしょう」


 ちらりと、フリーデが扉の方を見遣る。その先にマージェリーがいることを、当然彼女は理解している。


「ですがお嬢様となら、そしてあの魔王となら……きっと彼の命に届くでしょう。

 しかし彼に打ち勝つためには、お嬢様の力は余りにも足りない……だから私が導きます。彼女の持つ妖精種エルフの力を、妖精の魂を、私の命を懸けて必ず引き出してみせましょう」


「……あいつが、マージェリーが、それを望むと思っているのか」


「…………そうですね、今はきっと、望んで頂けないでしょう。お嬢様はああ見えて普通の女の子ですからね、きっと泣いてしまうでしょう。ですがあの子は聡い、必ず私の願いに気付いてくれる筈です」


「……願い?」


「ええ。私のたった一つの、お嬢様への願いです」


 かつん、かつん、かつん。


 高く澄んだ音を立てて、フリーデが祭壇の方へと歩いていく。


 その動きに迷いは無く、淀みは無く、怖れは無い。死地へと向かう者の動きとしては、あまりにも晴れ晴れとしている様にクリフには見えた。


「あの子が自由であること。あの子が他の誰でもない、マージェリー・ミケルセンとして人の生を歩めること……」


 つい、とフリーデが天を仰ぐ。


「それさえ叶うならば、私は自分の命など惜しくはありません」


「…………」


「きっと、貴方にもいる筈です。自らを永久とわに夜の闇へと堕としてでも、幸せにしたい誰かが。

 貴方と私はよく似ている。だから私のことも、きっと分かって頂けますよね?」


「……ああ、分かった。お前は、それでいいんだな」


「ええ、色々とお世話を掛けました」


 くるりと振り返り、フリーデが微笑む。それは先程浮かべたあの笑みに、とても似通っていた。


 寂しげな、限りなく透明な笑み。それは何か大きな覚悟を決めた者が、自分の行くであろう路の終着点を見つけた者ができる、この世で最も寂しい笑み。


 ――嗚呼、なるほど。これは命の終わりを決めた者の、命の使い方を定めた者の笑みだったのか。


 戦場で時折……ごく稀にではあるが、クリフも見た事のある目。


 フリーデは既に、自分の命をマージェリーの為だけに使い切ると定めていたのだ。その覚悟を止めることなど、どこの誰であっても出来はしない。


 多くの言葉こそ語らなかったが、フリーデの言いたいことの全てはその目を通じてクリフに伝わっていた。


 後は、フリーデとマージェリーだけの問題。二人の決闘が終わるその瞬間まで、誰にも手出しは出来ない。否、させはしないとクリフはその時決意した。


「――聖帝国東都、ミケルセン家本邸。ユークリッド・【ヴェール】・ビリティスの本拠地は、彼の拠点はそこにあります」


 自分に背を向けて去っていくクリフへと、フリーデが話しかける。


 ミケルセン家本邸の場所は、当然ながらこの辺りの地理に明るいクリフであれば知っている。


 敵の居所は掴んだ。後はただ、祈って待つだけ。


「お嬢様を、よろしくお願いしますね。少し口は悪いですが、あの子は優しい。どうかあの子が自らの道を選べる日まで、あの子が鳥籠から巣立つその日まで、一緒にいてあげて下さい」


「……ああ、約束だ」


 短くそう答えて、クリフは木製の大きな扉をゆっくりと開いた。


 扉の向こうには、フリーデのよく知る主……マージェリー・ミケルセンの姿がある。


 ――死して甲斐あるものならば、使う命もありましょう。


「……貴方が聖女に、その命を使うと決めたように」


 クリフには聞こえないように小さく、フリーデはそう呟いた。

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