第十一話 勇者殺しの条件⑥

 勇者殺し。ノエル・【ノワール】・アストライアが望む手駒は、畢竟ひっきょうそれだけだ。


 かつて自分を九分九厘まで殺してみせた、五人の勇者たち。


 『天眼』アルフレッド・【ブルー】・イスカリオテ。


 『緑の魔法使い』ユークリッド・【ヴェール】・ビリティス。


 『鉄血の女神』イシュタリア・バックアロウ・ノクチルカ。


 『飢餓と飽食の乙女』クラリス・【ヴィヨレ】・シュタインベルク。


 『沈黙する金十字』イース・ロスチャイルド。


 彼ら彼女ら、一騎当千の怪物を狩る為には、人は人ではいられない。


 つまり、怪物ゆうしゃを狩る者は、同等以上の怪物ばけものとなる事を求められる。



「――ノエルッッッ!」


 マージェリーの叫びが響き、ノエルの身体から赤黒い鮮血が噴き出す。


 両袈裟に裂かれてだらりと下がった両肩は、もはや上がることはないだろう。


「……ぬし、その技は……!」


 血の泡を垂らしながら、ノエルがエヴァを睨む。


 その場の誰も、一連の斬撃を捉える事は叶わなかった。マージェリーも、ノエルも……そしても。


「……存外、大したことは無かったねェ。所詮は偽物、太刀打ちすら適わんか」


 エヴァが双剣を振り、刃についた血を払う。失望一色へと染まった、退屈そうな左目がノエルの姿を映す。


「やはり狼だ。今向こうで精霊憑きを抑えている狼でなければ、僕は満たせない。満たされる気がしないや」


 すぐにその視線はノエルからマージェリーの方へと移り、エヴァがゆっくりと歩み寄っていく。


 彼我ひがの距離は、ざっと二十歩。


 エヴァが二歩進むごとに、マージェリーが一歩後ずさりをする。


「さァ、お嬢様。ユークリッド様のもとへ帰りましょう。貴女にはユークリッド様としとねを共にし、その吾子あこを宿して頂く義務があります」


「ざけんなッ! 手足がれたって帰るもんか!」


 素早く、そして正確に。マージェリーがエヴァの方へと掌と視線を向ける。


 一瞬で魔導陣が次々に現れ、きびきびと幾何学模様を構築していく。


「……うぜェなァ。もうめんどくせェや」


 ち、と舌打ちをして、エヴァがマージェリーにスキールニルを突き付ける。


 きらりと銀の輝きが増し、エヴァの足が僅かに音を立てて地面を擦る。


「手足切り取って、ついでに舌も抜こう。胴体が無事ならもういいや」


 きらりと、スキールニルに緑の輝きが奔る。


 次の瞬間にはエヴァの身体は消え……刃は振り降ろされた。


 ――まずは左腕。


 エヴァの持つスキールニルに、肉を断つ感触が伝わる……筈だった。


「なっ……!」


 エヴァの目が、驚愕に大きく見開かれる。


 振り降ろされた彼女の腕は、しかしマージェリーによって手首から。マージェリーの目には青い輝きが爛々と湛えられ、僅かに白目が血走っている。


 ――何だこれは……ミケルセン家の秘術か!?


「……エヴァ。貴女に一つ聞きたいことがあるわ」


「奇遇だねェ。僕も一つ、聞きたいことがあるんだ」


 冷や汗をひと筋垂らして、エヴァが嗤う。


……貴女達の言っていた世界とは何のこと?」


「そのままの意味さ。ユークリッド様は新たな世界をお造りになられる! 古い慣習とシステムを捨て去り――あのお方は血の呪いから解き放たれる!」


 マージェリーの手を振り払い、エヴァが再び魔力を刀身に流す。


 動き出そうとしたエヴァの身体を、マージェリーの手が再び捕らえた。


「……~~~っ!」


「やめた方がいいわ。今のアタシは


 血走った目でエヴァを睨みながら、マージェリーがそう呟く。


 未来視。文字通り起こりうる未来をその目に映す奇蹟の力である。


 ミケルセン家の悲願は時間の遡行と加速にあるが、その研究の過程で加速の一側面を掴むこと、つまりある程度の確率で起こる未来を視覚化することに成功している。


 無論、未来は絶対ではない。視えるのはあくまでもだけである。


 直前に行動が変われば修正を余儀なくされる上に、見えるのはどう頑張っても精々が数分後までである。それに、何よりも――。


 ――後はエヴァに、止めを刺せば……!


 詠唱を始めようとしたマージェリーの心臓が一段と高く鳴り、全身に激痛が走った。


「――――!」


「随分つらそうじゃんかお嬢様。膝が震えてるけど?」


「くっ……!」


 マージェリーの両目から血の混じった涙が流れ、鼻血が噴き出す。


 何よりも、未来視は身体に甚大な負荷をかける。


 今のマージェリーでは、一日に累計で五分。


 それが未来視を行使する、魔術で時を操れる限界時間であった。


「大体さァ、魔術で未来が見えるっつっても――」


 ぐ、と力を込めたエヴァの両腕が、マージェリーの身体を完全に捉える。


 万力の様に感じられる腕力で捉えられた直後には、彼女の足払いがマージェリーの身体を木の葉の様に舞わせていた。


 ろくに受け身も取れないままに倒れたマージェリーの身体を、エヴァが何度も踏みつけにする。


「身体がッ! ついていかないんじゃあッ! どうしようもッ! ないだろうがッ!」


「ごっ……あが」


 エヴァの足が深々と鳩尾に突き刺さり、マージェリーが咳き込む。


「どうして……どうしてこんなクソガキがユークリッド様の一番なんだッ! 僕なら全て捧げられるのにッ!

 こいつよりも強い!血統だって劣っていない! なのに、なのにどうしてどうしてどうして……!」


「――かかか。まるで童の喧嘩じゃの。じゃが中々どうして……面白いわ」


「――――――ッッッ!」


 エヴァの足がマージェリーの骨を砕く、僅かに一瞬手前。


 後方より聞こえた嗤いに、エヴァの背筋はたちまち凍り付いた。


 ――莫迦な。あいつはついさっき……!


「何じゃマージェリー。そこな女共々、阿呆面あほづら下げて妾の方を見おって。クリフが見れば笑うぞ?」


「ノ、エ……ル……」


「莫迦な、莫迦な莫迦な……有り得ない! 貴様は先程、!」


 エヴァがだらだらと脂汗を垂らしながら、瞳をあちこちへと泳がせる。


 聞こえる筈の無い声が、確かに聞こえた。


 あの少女が魔族であることはすぐに分かっていた。人と魔族は決定的に異なる。魔族との関わりが多い人ならば、匂いを嗅ぐだけで魔族であると分かる。


 そしてエヴァの持つスキールニルはだ。人より遥かに頑健な肉体を持つ魔族と言えど、ひと度斬られれば甚大な傷を負う。


魔力を流して権能を発揮することで、仕手しての能力や技術を無視して自動的に技を振るう神聖剣スキールニルであれば、如何な魔族であろうとも、一撃で葬ることは難くない。


 ……ただし、何事にも例外は存在する。


「エヴァ・テッサリーニとか言ったかや、其処許そこもと。先の一太刀は見事であったが、少々残心が甘いのではないかえ? よもや――」


 ――駄目だ、振り返るな、振り返っては駄目だ、後ろを見たら、後ろを見たら僕は……!


?」


「有り得、ない……」


 ゆっくりと、引っ張られる様に、エヴァの瞳が声の主の方へと吸い寄せられる。


 そこには確かに、黒髪の少女が立っていた。夜の様に黒い髪と、血の様に紅い双眸。肩口より斬られた傷はどこにもなく、まるで初めから何も無かったかの様に平然とそこに立っている。


 どくん、とエヴァの心臓が、破裂しそうなほど強く高鳴った。


「う、う、あ」


「何かの間違いだ、とでも言いたげじゃの。雑兵ムシの分際で妾を再三さいさん疑うとは不遜ふそん極まりないが、妾は寛大じゃ」


 ゆっくりとノエルが両腕を広げ、悠然とエヴァへと迫る。


「ほれ、もう一度打ち込んで良いぞ。?」


「あ、あ、あ……あああああッッ!」


 激昂と、絶叫。湧き上がる恐怖心を払おうと、エヴァがスキールニルを振り被る。


 緑色の光が刀身の装飾を這い、辺りに再び魔力が満ちた。


「『瞬き流れて陽を招け』、スキールニル!」


 緑色の光が、銀の輝きへと変わる。


 エヴァの身体が再びスキールニルによって動き始め、閃光の様な右の一撃がノエルの胴をく。転身して左の斬撃が右腕を切り裂き、一歩大きく下がった後にバネの様に繰り出した左の突きが喉笛を貫いた。


「――――」


 がくん、と痙攣しながらノエルの身体から力が抜け、落葉の様にゆらりと体勢が崩れる。手ごたえは確かにあった。相手の命を獲ったという確信が、刃を通じてエヴァへと伝わる。


 ――手応えあった、今のは確実に殺した!


 勝利を確信した彼女の笑みは、しかし絶望の歯ぎしりへと変わる。


 刃の伸びる先で、ノエルが牙を剥いて嗤う姿を、彼女は確かに見た。


「……なるほど、なるほど、それがスキールニルの権能かえ」


 地面へと零れたノエルの血が、重力を失った様にふわりと浮き上がる。


 おびただしい雫は依り合わさって赤い糸となり、裂けた胴や零れたはらわた、千切れた腕を繋ぐ。瞬く間に傷は塞がり、エヴァの眼前には先程までと寸分違わないノエルが現れた。


「魔力を通じて仕手と共鳴し、刀身に刻まれた使徒の記憶をか。聖者の遺体を参考として打たれた一本じゃの。うむうむ、なるほど名物と言って差し支えあるまい。、十日ほどで倒せたであろうよ」


「にひゃく、ごじゅう……?」


 常人であれば想像だに適わない、途方もない膨大な時間。


 それだけの年月を経た魔物など、魔界の中でも知れていよう。


 或いは、古竜。或いは、悪魔。或いは──。


「魔王……ノエル……!」


「かかっ、だから度々そう言うておるじゃろうが。さて――」


 す、とノエルの指がエヴァの方を示す。


 古来より、人を指す行為は呪いをかけると云われている。


 呪いが直に伝わる様な怖気が、爆発的に広がっていく。


「妾の前で見せるには些か粗末な前戯であったが、少しは興が乗ってきたわい」


 ノエルの陰から覗く無数の瞳が、ゆっくりと細められる。


 紅い眼光に射竦いすくめられたエヴァの足が、明確に一歩、後ろへと退いた。


 浮いた足が一歩後ろの地面へと着けられると同時に、エヴァの身体はびたりと止まった。


「ここからが本番じゃ。精々しっかり踊れよ? 妾はゆっくり愉しむ方が好みじゃからの」


 ぞろりと揃った牙を覗かせながら、ノエルがうたう。


「開け。開け。は血と夜と呪いの鉄冠てっかん。其は混沌の牙と渇望の瞳。我は玉座にしてあまねく地上の怨嗟をすする者。我が指は星の巡り、我が言の葉は血と呪いの大潮おおしお

 鉄冠の主、ノエル・【ノワール】・アストライアが命じる。

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