第十話 勇者殺しの条件⑤

「さて、妾達もそろそろ動くかの」


 ベッドから起き上がって大きくひとつ伸びをして、ノエルが欠伸あくびをする。その口元からは僅かに、ひと筋の赤い線が伝っていた。


 数秒前には、轟音と閃光、そして大きな地震が二人のいる宿を襲ったにも関わらず、ノエルに動揺は見られない。


「クリフは今頃、あの群れと戯れながら町の中心へ向かっておろう? 妾とぬしはと教会へ向かうだけじゃ。楽ないくさじゃの」


「楽ないくさって……クリフはこのままだと捨て鉢スーサイドじゃないの! あんな規模の相手、砦の普請ふしんも援軍の期待もできないなら、引き付けきるなんてできっこないわよ!」


「何じゃ、えらい噛みつくのぅ。さては惚れたかや?」


「ンな冗談言ってる場合じゃないでしょうが! アンタもあの実力は見たでしょ? もっと有効に使った方が助かる確率上がったんじゃあないかって言いたいの。アタシはどうあっても生き残らないといけないの!」


「一々うるさい奴じゃのぅ……ならばぬしだけでさっさと走って行けばよいではないか。上手くいけばクリフも助かるであろ」


「〜〜〜〜っ!」


 だん、とマージェリーが壁に拳を叩きつける。


 とはいえ、今からできる事など二人には見当たらなかった。それはマージェリーも理解している。


 多勢に無勢なのは言うまでもないが、何よりも時間と行動可能範囲が無い。


 数時間程度の纏まった時間と、町を自由に動ける安全が保証されているならば、マージェリーとてこの場を綺麗に事は可能である。


「要は美人局つつもたせじゃ。クリフが尻を振って奴らをしっかり誘惑してくれるなら、妾らがと叩いて落着じゃ。三人揃ってこの街を出られるであろ、ほれ行くぞ」


「…………」


 ち、と毒気たっぷりな舌打ちをするマージェリーに軽く微笑んで、ノエルはやっと一歩を踏み出した。その足はふわりと宙に浮き、次の足を踏むまでもなく滑る様に進んでいく。


 飛行。魔術師ひとりの力では到底為し得ない業が、マージェリーの眼前にあった。


「アンタ……それ、どこで」


「さっさと降りてこんと置いていくぞ。なぁに、愉快なお友達になってよいならばゆっくり来てもええんじゃが」


「~~~っ! ああもう! 分かったわよ、行きゃあいいんでしょ行けば!」


 くるりと踵を返し、マージェリーが扉を開け放つ。どかどかと階段を駆け降り、既に破られた扉から外へと転がり出た。


 外は、嘘の様に静かだった。あまりにも静寂に満ちている空間では、無音は音となる。耳をつんざく様な無音に、マージェリーがごくりと生唾を呑み込む。


 ――これが、戦場……!


 つ、と汗がマージェリーの頬を伝い、瞳が青く揺らめく。耳をよく澄ませば、遠くで僅かに物音が聞こえる。


 ――良かった、クリフはまだ生きてるのね。


 一瞬の、安堵。彼の安否が分かった事で、彼女の心にひとつの火がともる。


 もしかしたら、あの作戦に乗っても構わないかもしれない。


「聖堂の場所は分かるの? では本丸を落としに向かうぞ」


宿屋ここから聖堂あそこまでは直線で六〇フィートってところかしらね……っと、少し待って」


 マージェリーの人差し指に小さく青い炎が灯り、地面に素早く魔法陣を描く。


 次いで懐から小粒の宝石を取り出し、魔法陣の上へと振りまいた。魔力が通され、赤と緑の煌めきが倍ほどに増す。


「――――――――――――――」


 きぃいん、と甲高い音が、マージェリーの声帯から放たれる。音が鳴ったのはほんの数秒程度であったが、その数秒によって彼女の行うべき詠唱は完了していた。


 マージェリーがノエルの手を取り、魔法陣へと足を踏み入れる。次の瞬間、二人の身体は光へと変換され……三人が出会った街道の傍へと転移した。


「さて、これで境界は目と鼻の先よ。でも今の魔力反応で、こちらが生きてることはバレたかもね」


「高速詠唱と空間転移か! 詠唱はともかく、空間転移ができるならばぬしも十分魔法使いよ、やるではないか」


 ぱちぱちと拍手をするノエルに、マージェリーがため息をつく。


「認めたくはないけど、これは本物の空間転移じゃないわよ。入り口と出口の座標をマーキングして、身体と魂を光へ分解・転送・再構成しているだけ。降霊魔術と自然魔術の応用ね」


「で、あろうな。あり合わせの寄せ集めにしてはよくやっておるわ、誉めて遣わすぞ」


 握ったままの手をぐいと引き寄せて、ノエルがマージェリーを見つめる。


「褒美を取らす。此度こたびの戦、面白いものを見せて進ぜよう」




「……へぇ、思ったよりも早いお着きですね。お嬢様」


 緑の布を取り、きらりと光る右の目と、底なしの闇となった左の目で前方を見つめ……エヴァ・テッサリーニは顔を歪めて笑った。


 エヴァの前には、黒い手袋を填めた金髪の少女。そして、の黒髪の少女がいた。その身体からは、絶えず血の匂いが漂っている。


 マージェリー・ミケルセンとノエル・【ノワール】・アストライア。ただしノエルの身体は、先ほどまでと比べ一回り大きくなっていた。


 吸血による成長。……厳密には元に戻っているだけだが、クリフの血を吸ったことにより、彼女の身体は童女から少女にまで戻っていた。


「大人しくユークリッド様の元へと戻る……という訳ではなさそうですね」


「エヴァ。アンタを殺す前に、少しだけ話がしたいわ。聞いておきたい事があるの」


「……言うねェ。随分大きく出るねェ。面白い声でさえずる様になったねェ。甘ちゃんのクソガキにしては見上げた大言壮語だよ」


 がりがりとこめかみを搔き毟りながら、エヴァがけたけたと笑う。


「だけど残念ですねェお嬢様! もはや問答に意味は無いのですよ! ユークリッド様の悲願は、という大願は、既に成就の時を迎えようとしているのです! 例え如何様いかような事情があれども、必ず貴女の胎盤は拝領するのです!」


「――エヴァ。貴女は……」


「問答無用と言っているッッ!」


 腰に差した短剣をエヴァが抜き、逆手に構えて魔力を通す。流麗な装飾を施した刀身が緑色に輝き、マージェリーの眉が僅かに険しくなった。


 ――どうやら、本気で来るみたいね。


「――『宵の明星、明けの流星。瞬き流れて陽を招け』! 【スキールニル】!」


 刹那、緑色の光が刀身をはしり――ごうと音を立てて魔力が爆ぜた。僅かにマージェリーが目を細め、ノエルが嗤う。


「……なるほどなるほど。その短剣、業物であったか」


 ぎろり、とエヴァがノエル達の方を睨む。


 その手には一揃いの細身の双剣が握られていた。クリフのものとは異なり、その刃渡りは二振りとも同じである。


 流麗な装飾はより流麗に、鋭利な刃はより鋭利に……鋼のもつ限界まで磨かれたは、もはやつるぎとして収まっている方が不思議とさえ思える。


 びりびりと伝わる殺気と魔力、そして剣の放つ悋気りんきに、マージェリーが脂汗を流す。


業物わざもの、それも名物の類じゃな。教会も中々良いものを持っておる」


「曲がりなりにも神聖剣の類よ。気を付けて」

「……、のぅ」


 くつくつとノエルが嗤い、ぎゅっと目を細め舌なめずりをする。


 その足元から、黒い黒い怖気を帯びた悪夢の様な気配が立ち上るのをマージェリーは感じた。


「つくづく、ぬしらは面白いのぅ。名物一本で、この魔王の首が落ちると思うておる」


 ずい、とノエルが一歩前へ出る。彼女が一歩踏み出すと、その影は見る間に少女の姿を失い、醜悪で奇怪な姿へと膨れ上がっていく。


 ぞわりと背筋に寒いものを感じて、エヴァはごくりと生唾を呑んだ。


「本来であれば斯様な雑兵ムシなどいぬに喰わすがの。今日は初陣じゃ、特別に一手、妾が馳走ちそう仕ろうぞ」


 ぱちん、とノエルが指を鳴らすと、足元に伸びる悍ましい影がと開いた。口元を歪めて嗤うと、ぞろりと揃った牙が覗いた。


 少女と歌うたい。二人……否、一人と一匹が向かい合い、互いを見つめる。


 りん、と澄んだ音が響く様な、極限まで張り詰めた空気が辺りに満ちる。


「我が声を聞け、雑兵ムシ。妾は魔王、血と夜と悪夢の主にしてあらゆる魔族の長。世を統べる七色が一色、ノエル・【ノワール】・アストライア。妾はこれより汝を殺す。


「――我が声を聞け、魔王を騙るわっぱ。僕は『緑の歌うたい』第五席。ゼノ・テッサリーニの娘、星空に指揮者マエストロ、エヴァ・テッサリーニ。『緑の歌うたい』総代、ユークリッド・【ヴェール】・ビリティスが命により……いざ推して参る!」


 ずい、とエヴァの足が、ノエルの方へと歩み寄る。一歩、二歩。彼女の動きがそれまで通りであったのは、二歩目を踏むまでだった。


「――――シッ!」


 短い呼吸と共に、エヴァの持つ双剣――スキールニルが煌めく。二人の決闘を見ていたマージェリーは、エヴァの姿を殆ど追う事ができなかった。


 ――はやい!


 それはまさに流星。ちらと瞬いた時には、既に行動は終わっている。


 次にマージェリーが見たものは、ふた振りの刃によって両袈裟に切り裂かれたノエルの身体だった。


「……ごぶっ」


「――ノエルッッッ!」


 悲痛な、絞り出す様なマージェリーの悲鳴が、静まり返った一帯へと響き渡った。

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