第十二話 勇者殺しの条件⑦

「……ふぅ」


 ざぶりと音を立てて水路から這い上がると、クリフは大きく息を吐き出した。


 辺り一面は瓦礫の山と化し、所々で魔力の稲妻がぱりぱりと弾けている。


 血の匂いと、何かが焼け焦げた様な匂いが、クリフの鼻腔を懐かしくくすぐった。


クリフの通ってきた、外周から中央の広場までの路地は、恐らく足跡をつけるが如く次々に爆発に巻き込まれたことだろう。


 爆雷術式。空間に一定濃度の魔力を散布し、符に刻んだ刻印魔術によって着火することで大規模な爆発を生む術式。


 開けた平地であればさしたる効果も見込めないが、取り分け密室や市街では大きな効果を発揮する。……ただし、周囲への被害を全く無視できるならばという条件は付くが。


「甲冑を着たまま泳ぐのも久しぶりだな。……全く、重い……!」


 鍛え抜かれた身体を持つクリフであっても、金属製の甲冑を着込んで水中から這い上がるのは容易ではない。水を吐き出しながら何度も咳き込み、ふらふらと立ち上がる。


 クリフが立ち上がるのを、そして獲物が弱っているのを――生き残った精霊憑き達は見逃さない。


 瓦礫の下から、建物の陰から、ぞろぞろと精霊憑きが湧いてくる。


 残った数は、ざっと二百足らずといったところだろうか。逃げも隠れもできない場所でたった一人で相手取るには、些か無謀な差であると言えよう。


 ただし、何事にも例外は存在する。


「…………やれやれ、どうにも楽にはいかないらしいな。ネル」


 ゆっくりと、クリフが瞼を閉じる。大きく息を吸い……大きく吐き出す。


 腰に差した短剣を抜き、手にした長剣と共に構える。


 りん、と辺りの空気が張り詰め、精霊憑き達の動きがびたりと止まる。


 ――まさかあの自称魔王の為に、を抜く羽目になろうとはな。


「――【ダーインスレイヴ】」


 クリフの呼び声に応じて、双剣が黒く輝く。


 どろりとクリフの両目から黒く粘っこい涙が流れて、腕へと伝った。


「『我が声を聞け、平原を歩む全ての羊と狐と狼たちよ。其は地平を轟くいかずち。其は青嵐の担い手。我は人にして人に非ず、刃にして刃に非ず、血と鉄と汚泥の中に蠢く人形ひとがたなり……」


 クリフの全身の血管を、何かおぞましいものが巡る。


 かつて紅かった魔術回路は黒く塗りつぶされ、呪いの様になった魔力は絶えず双剣を伝う。


 がきん、と音を立てながら双剣を重ねて前へと突き出し、赤く血走った双眸を開いた。


「呪え』【ダーインスレイヴ】!」


 刹那、双剣から闇が溢れた。


 怒涛となった闇は瞬く間に精霊憑き達を呑み込み、押し流し、呪いの跡を刻む。


 呑み込まれた精霊憑き達の額には、目をかたどった印が刻まれた。殺到しようとしていた群れが少し押しのけられ、奇妙な静寂を伴った虚無が生じる。


 その虚無を蹴破る様にして、ずいと一歩踏み出したのはクリフだった。


「――――」


 一歩。踏み出した様に見えたのはそれだけだった。


 クリフの姿が消え、ぱんと何かが弾ける様な湿った音が轟く。


 精霊憑きの首が一つ飛び、他の群れはそこでようやく……目の前の獲物が牙を剥いたのだと知った。


 再びクリフの姿が消え、今度は湿った音が三つ轟く。


 同胞の首が三つ地面に落ちたところで、精霊憑き達は初めて、自らの立場を知った。


 彼は獲物に非ず。我々は狩人に非ず。力量と格の差は歴然――。



 ひとつ、ふたつ、みっつ……二十……五十。


 瞬く間に三分の一を平らげ、頭から鮮血を被りながら、クリフが歯を剥いて群れの只中を睨む。


 クリフの両腕が振るうダーインスレイヴは、双剣から一振りの長大な黒い剣へと変化していた。剣の切れ味は、首を落とせば落とすほど、鋭く迅くなっていく。


 ダーインスレイヴ。赤の大公領北端の地下遺跡より出土した、この世界で唯一魔剣と呼ばれる。太陽の祝福を受けた他の全ての業物とは異なり、ダーインスレイヴは月の呪いを得た刃として、太陽教会から秘匿封印指定を受けている。


 刃に刻まれた呪いは、ただひとつ。ひとたび抜けば――


 ――呪った相手を滅ぼし尽くすまで、刃は鞘へと収まらない!


 抜刀の際に放った、黒い怒涛。怒涛を浴びた者に遍く刻まれたは、彼が刃を振るい、血を吸い尽くすまで追い縋る獲物へと、その対象を変える。


「――影よッッ!」


 クリフの咆哮と共に、ダーインスレイヴから黒い魔力がにじみ出す。


「我が声を聞け、平原を歩む全ての羊と狐と狼たちよ。其は地平を轟くいかずち。其は青嵐の担い手」


 クリフが地面を蹴って大きく跳び上がり、残りの群れへと躍り出る。


 彼の役目は、精霊憑き達の陽動。ノエルとマージェリーがエヴァの元へと向かい、倒せると考えられる数分の間、何百人かの精霊憑き達を引き付ければそれで充分だった。少なくともマージェリーはそう考え、それが至難であると判断しながらも了承している。


 痛みも恐怖も感じない、死ぬまで止まらない数百人の兵士。通常であれば如何な強者であれど、一人でこれを留めるのはマージェリーの指摘通り至難であると言える。

 ……ただし、何事にも例外は存在する。


「我は人にして人に非ず、刃にして刃に非ず、血と鉄と汚泥の中に蠢く人形なり」


 クリフが大きくダーインスレイヴを振り被り、獲物の群れを睨む。


 滲み出した黒い魔力は爆発的に膨れ上がり、胎動し、そして一本の糸の様に縒り合わされる。


 静かに、短く、しかし力強く。クリフがひとつ呼吸した。


「人に非ざる人形が、刃ならざる刃に祈り奉る! 黒狼のあぎと、羅刹の爪を以て、万物を平らかに均す呪いを!」


 振り被ったダーインスレイヴを、クリフが神速の斬撃にて打ち下ろす。


 解き放たれた黒い魔力は先程しるしを刻んだものとは桁違いの密度で精霊憑きを呑み込み――

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